第一章 健児……その9
追い込み勉強の甲斐あって、僕はなんとか希望する高校に合格することが出来た。
高校生活も楽しいものではあったが、一番の関心ごとは高校での学校生活にはなかった。
もうすぐオートバイに乗って風を切って走ることができるのだと、中学からの悪友と毎日そんな話ばかりしていた。
そして夏休みに入ると、中型自動二輪免許を取るために通う教習所の授業料とオートバイを買う資金を稼ぐべく、工務店でアルバイトを始めた。
アルバイトしたお金で秋口に手に入れた念願のオートバイは、身長が低く小さな身体だった僕の足りない部分を埋めてくれた気がした。
これまで抱いていたコンプレックスが、一気に吹き飛んだような爽快感があった。
オートバイに乗っている時だけは周囲のライダーと横一線でハンデがなく、同じ環境の中で同等に競えるのだという、これまでにない感覚に酔いしれて昼夜を問わず走り回った。
段々と学校へは行かずに、オートバイに乗ることとそれを維持するために始めたアルバイトが中心の生活になった。
特に反抗期だというわけでも、両親に不満があったわけでもなかったが、家には帰らなくなった。
義務教育ではない高校は、登校してこない僕に無関心だった。
あんなに頑張って合格した高校なのに、あっという間に出席日数が足りなくなり留年が確定して休学となった。
年が明けても不良のような恰好を楽しんではオートバイを乗り回し、目の前の楽しい出来事にしか関心がなかった僕は、春先に中学の同級生が巻き込まれたトラブルから起こった乱闘事件の渦中にいた。
健児と通った落語会のある神社の近くの警察署は、首謀者と見立てた僕を帰してはくれなかった。
長い勾留期間のあと、僕は少年鑑別所に送られた。
川沿いの少年鑑別所にいる僕の面会に来た母親は、事態を知った高校が休学扱いになっていた僕を放校したこと、毎日うつむいて歩いていたから散った花びらを足元に見るまで桜が咲いていたことにも気付かなかった、といったようなことを話して帰っていった。
少年審判を数日後に控えたある日、一通の手紙が届いた。
ここにいることをどうして知ったのか、差出人は健児だった。
小学校時代と変わらない筆致で、僕の名前が書いてあった。
しばらく会ってない健児の顔を懐かしく思い出しながら、僕は検閲で開封されていた封筒から二枚の便せんを取り出した。
お元気ですか、で始まるありきたりな書き出しの便りには近況が綴られていた。
『お元気ですか?
僕は今、父の兄弟子にあたる師匠のところで、毎日修行に励んでいます。
家で父の作業をみてはいたものの、実際に自分でやるとなると、全くうまくいかないことだらけで困っています。
でも、師匠は優しく教えてくれて、周りの先輩もよくしてくれています。
先輩の中には美術系の大学を卒業している人もいて、大変おどろきました。
これまでも勉強していたつもりでしたが、宗派の違いなんかを覚えるのにも苦労していて、自分の浅学に気付かされる毎日です。
話は変わりますが、一眼レフのカメラを買いました。
休みの日には、神社やお寺の風景を写しに歩いています。
子供のころに遊んだ大鳥居の、あの大きな樹の根元にあった穴は危ないからとネットが掛けられていました。
若手の落語会も次々と新弟子さんが出てきて、僕も同じく負けないようにと思っています。』
日々の暮らしぶりを伝える文章から、健児の充実した近況を窺いながら一枚目をめくった。
二枚目には、健児が進学しなかった本当の理由が書かれていた。
『僕にどうして高校へ進学しないのか? と聞いたことがありましたね。
中学二年のある日、親戚の寄り合いで僕が両親の本当の子供ではないらしいと偶然耳にしました。
まさか、と思って役所に行って戸籍謄本を見ると、そこには養子と書いてありました。
驚いたことに、父母、養父母と親の名前が四人も記載されていました。
父も母も弟も、みんな血の繋がった家族だと思っていましたから、大変ショックでした。
僕がこのことに気付いたことは、家族の誰にも言っていません。
ですが、僕だけがこの家の本当の家族ではない、という気持ちはふくらんでいくばかりで、孤独を感じるようになりました。
そのうち僕は、家業を継ぐことで本当の家族になれるような気がして、父や母の反対を押し切って高校へ行かずに修行することにしたのです。
何度かこのことを君に話そうかと思いましたが、役所の帰り道で君に会ったとき、心無い言葉を君に言ってしまったことがずっと気になって、ついに話すことはできませんでした。
あの時はひどいことを言って、ごめんなさい。
僕は今、血は繋がっていなくても、家族のみんなとちゃんと繋がっていられるように、毎日毎日頑張っています。
君も大変だろうけど頑張ってください。
追伸 また落語会に行きましょう。 健児』
突然の告白にもちろん驚きはしたが、どうして少年鑑別所に手紙を出してまでこんなにも大事なことを僕に打ち明けたのか? という疑問の方が大きかった。
世間から見れば立派な不良になった僕が、何かに行き詰まり自棄になったり、よくない環境で苦しみながら一人暗闇で藻掻いて事件を起こしたとでも健児には思えたのだろうか?
鑑別所という外界から隔離された場所にいる僕に対して、誰にも言えないような秘密を共有して、いつまでもそばにいる同志がここにいる、と示そうとしてくれたのかもしれない。
僕が今置かれている状況はただの自業自得で、血の繋がりがどうとか、そんな重いものじゃないのだ。
検閲で手紙の内容を知っていたであろう法務教官は、少年鑑別所では友人との通信は可能だが、少年院送致になると親族以外との通信はできなくなるので返事は少年審判の日までに書きなさい、と教えてくれた。
僕は自分の境遇が恥ずかしくなって、健児の手紙に対して返事を書かなかった。
少年審判の日、家庭裁判所の裁判官は僕と両親に対して、こう告げた。
「あなたの保護処分を、少年院送致、とします。しばらく勉強してきてください」
初犯だから少年院送致はない、とタカをくくっていた僕は、少年院に入れられて一体何を勉強するのだろう、と落胆した。
直後に移送された少年院は、やはり勉強をするといった表現は似つかわしくないところだった。
木工の職業指導は、あの夏にやった学習センターのネームプレートづくりを思い起こさせた。
罪と向き合い、規則正しい生活を過ごし、一年足らずで少年院を仮退院した僕は保護観察期間となった。
仮退院して保護観察中となった僕を担当する保護司の先生は、お寺の住職だという。
最初の面談日、その保護司が僕の家まで訪ねてきた。
六十歳前後の小柄でニコニコとした住職先生は、僕に意外なことを言った。
「少年院でのあなたの様子を記録したものや作文などを見せてもらいました。あなたね、もう一度学校へ行きなさい」
僕は何かの冗談か、からかってでもいるのかと少しムッとしたが、住職先生は至って真面目だった。
「次の受験となると、あなたの同級生は大学受験ですねぇ。いいじゃないですか、また同じ一年生になるのも悪くないでしょう。ほっほっほっ」と笑いながら言った。
まったく笑えない冗談を言う坊主だ、と、うつむいたまま黙り込んでいる僕に、住職先生は思いもしないことを口にした。
「ところであの日一緒にいた少年は、どうしていますか?」
意表を突かれ顔を上げた僕に向かって、住職先生は恵比須顔を崩さずこう続けた。
「今年は秘仏の観音様の御開帳がありますから、是非一緒においでなさい」
驚いたことに僕を担当する保護司は、あの夏休み健児と自由研究で訪ねたお寺のご住職だったのだ。
何年も前に、それも一度しか顔を見ていない子供の顔を覚えていたのだろうか?
まさか、と思ったが、もしかしたら僕を覚えていたというより、健児のことを覚えていて、ついでに僕を思い出したのかもしれない。
この時は、事実健児とは会っていなかったので、最近は会っていないのです、と答えた。
その後、保護観察中の面談は先生が僕の家にいらっしゃるか、僕がお寺に伺うかして面談することとなった。
お寺で面談をするときに目にする仏具を見ては健児のことを思い出しはしたが、あの手紙の返事を書かなかった気まずさで会いには行かなかった。
結局、その年に御開帳となった十一面観音立像を僕は見ることはなかった。
それからの僕は、最初の高校一年生の夏休みにアルバイトした工務店で昼間働き、夜は定時制高校に通った。




