第一章 健児……その7
結局、中学二年生の二学期が始まってすぐに野球部を退部した。
中学校では部活動への加入が必須であったため、僕は運動部ではない部活に移籍先を探していた。
僕は小学校の時にやった図書係みたいなものか、と文芸部に入った。
暇つぶしに本を読むのも悪くないと思い入部したが、夏休みが過ぎて二学期になってもオキシドールで髪を脱色し続けていた僕は、図書室では浮いた存在だった。
三学年、男女併せて七名いた文芸部員たちは、そんな僕を快く受け入れてくれた。
文芸部ではただ本を読むだけではなく、本の感想や考察なんかを話したり、短歌や俳句などの歌詠みをする者、詩を作ったり創作物語に取り組んでいる部員もいた。
とても一生懸命な姿勢は、運動部が競技に夢中で取り組んでいる姿とそう変わらないように思えた。
僕は野球を辞めてしまって少なからず落ち着かない日々を送っていたが、本を読むことで現実から少し離れることが出来るのかもしれない、と思った。
入部して間もなく、何を読もうかと図書室の本棚を漫然と眺めていると、『五重塔』と書かれた古い本に目が留まった。
五重塔か……、僕たちの街にも古い五重塔があるよな、と小学生の時に健児と自由研究の題材として訪ねた思い出のあるタイトルに惹かれて手に取ってみた。
作者は幸田露伴とあった。
コウダ……ロ……バン? ロハン? なんて読むんだろう?
明らかに何年も前から図書室にあったであろうこの本を開いてみた僕は、面食らってしまった。
『木理美しき槻胴、縁にはわざと赤樫を用ひたる岩畳作りの長火鉢に対ひて話し敵もなく唯一人、少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女、男のやうに立派な眉を何日掃ひしか剃つたる痕の青々と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとゞめて、翠の匂い一しほ床しく』
な、なんなんだこれは?
読点ばかりでいつまでたっても句点が出てこないじゃないか……。
その文章は旧仮名遣いの文語体で書かれており、使われている漢字は旧字体だった。
なんて読みづらい文章なんだ……。
いや、待てよ、古い落語や講談の速記本に似てなくもないな……、漢字の意味さえ分かれば読めなくもなさそうだぞ……。
初めて落語に触れた時の感覚に近いものを感じた僕は、不思議と縁のようなものを感じて、なんとかこの物語を読んでみたいと思った。
このときから僕はこの物語をどうにかして読み進めようとするのだが、読み方の分からない漢字の意味を調べるのは大変で、まず最初の『木理』が『木目』のことで『もくり』と読むのだと知るまでにずいぶんと掛かった。
つぎの『槻胴』は、『木理美しき』の次なのだから木目のきれいな何かなんだろう、と見当をつけ、ようやく欅を使った何かの胴体部だと理解し、『岩畳』は『頑丈』を近世ではそう書いたのだということに辿り着いた時には心が折れそうになった。
それでも、どうやら導入部分にはこういうことが書かれているようだと分かった。
『木目のきれいな欅を胴に用い、縁にはあえて赤い樫の木を使って頑丈に作った長火鉢の前に、三十前後の女性が話し相手もなく、どこか淋し気に座っている。
青々とした男性のような立派な眉毛はいつ剃り落としたのだろうか、剃り跡は眼も醒めるような雨後の山を思い浮かばせる色で、まるで翠の匂いさえ漂うようだ』
なんだか不思議な達成感があった。
少しずつ物語の先に目をやってみると、ちゃんと読めなくとも不思議と書いてある情景は理解できる気がした。
文章のテンポは落語というより講釈、講談ものに近く、とてもリズミカルなものだと気付くと、完全にとはいかないが大まかにストーリーを理解することができるようになった。
この物語は、人付き合いは苦手だが素晴らしい技量を持った大工職人が、大仕事を任せてもらえない自分の境遇に屈せず、抗い、五重塔を建てるといった百年に一度あるかないかという一大事業を自分の我を貫き通し成し遂げる、といったものだった。
自分を受け入れてくれないコミュニティにあって、それでも自分の信念を貫いて大願を成就する、という描かれ方をしている主人公に衝撃を受けた。
そして、身体が小さいという理由で練習に参加させてもらえなくなった野球部での記憶と、周囲に馴染んでいないせいで大きな仕事を任せてもらえない主人公を重ねながら読み進めているうちに自己嫌悪感が増していった。
主人公は常に自ら考えて道を切り開き、自分のやりたい仕事を自分のやり方でなりふり構わずに勝ち取っていくのだ。
僕はといえば、周りの励ましがあったにもかかわらず、自ら諦めてしまった。
そうなんだ、健児の言う通り、僕は野球から逃げたのだ。
そんなことを考えているうちに物語はラストを迎え、頑なに周囲と距離を置き続け、差し伸べられた思いやりのある助力すら拒み続けた主人公は、信念を曲げず自分の思うがままに大願を成した。
このあと、僕は『五重塔』を何度も読み返すことになるのだが、一度目の読了でこの物語の本質をどこまで理解できていたのかは定かではない。
ただこの時、周りに迎合しない主人公の意志の強さこそが自分に足りないものだ、と感じたことは確かだった。
そして、その意志の強さを健児に重ねて感じ取っていた。
それからは読み返すたびに物語の異なる側面が読み取れ、主人公と関わる人物の描写から物事を多面的に捉えて考える、自分に関わってくれる相手のことを思いやる大切さ、といった教訓めいたものを感じ取り、自分の人生において大きな影響を何度も受けることとなる。
夢から逃げたと言われたあの夏の日以来、健児とは顔を合わせていない。
夜に一人で留守番している友達の家の風呂を借りたり、何をするわけでもなく夜遅くまで遊んで銭湯には深夜に行ったりしていたからだった。
なんとなく気まずく、仲直りの機会もないまま中学三年生になった。




