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あの大きな樹とともに  作者: 三笠 好弘


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第一章 健児……その5

 健児と僕は同じ中学に進学し、中学生になった。

残念ながら健児とは同じクラスになれなかった。

そして、別の小学校に通っていた馴染みの野球少年たちや新しく増えた仲間たちとの交友を忙しくしているうちに、銭湯以外での健児との接点はどんどん減っていった。

中学校での新しい交友を深めていると、出身小学校が違うと子供社会の文化にも少なからず違いがあるのだと分かり、物事の捉え方にも差異があることや、知らなかった遊びや流行物の楽しみ方に触れて刺激を受けた。

こんな世界があったのか、と、軽いカルチャーショックを覚える毎日と、小学生から中学生になったという事実は、年齢は一つしか上がっていないのに急に大人に近づいたような錯覚に陥らせた。

不良のまねごとでもないが、羽目を外すような軽いノリで授業をエスケープしてみたり、学校を抜け出して買い食いしたり、小学校時代とは一風変わった友達付き合いを楽しむようになった。

 僕は中学校でもやはり学年で一番身体が小さく、学生服を着ていなければ小学生にしか見えなかった。

中学の野球部に入った僕は、同年代の子供たちと比べて身長も低く体力もなかったため、先輩たちとの練習についていくのに苦労していた。

僕たちが通う中学校は古くからある住宅街の中にあり、グラウンドがものすごく狭かった。

メインのグラウンドは長方形で主に野球部、サッカー部、陸上部が使用し、軟式テニス部が男女一面ずつ二面のコートがあるサブグラウンド、バスケットボール部、バレーボール部が体育館を使用していた。

陸上部は投擲系の練習以外ではグラウンドの端を使用していて、それもグラウンドの長辺が百メートルもないため、短距離走の練習すらまともにできない有様だった。

このため、野球部、サッカー部、投擲系陸上部は、グラウンドを使用する時間帯や境界線の折り合いをつけて練習していた。

どうせなら曜日を分けて広く使えばいいとも思うのだが、部活動は毎日行う事が学校の基本方針なのだという。

野球部は顧問の方針で生徒の自主運営スタイルを取っており、練習メニューや活動の一切は主将を中心とした上級生グループが決めていた。

そして、日々の限られたスペースでは部員全員での練習は事実上不可能であるため、実力が一定レベルに達していないものは練習に参加できないルールだった。

上級生たちは毎日、新しく入部した一年生の打撃や守備の実力を見極めようと観察していた。

もちろん自信満々であったわけではないが、少年野球では通用していたので、ある程度の自信はあった。

だがそれは小学生レベル、それも同学年の選手に対してであったことを痛感させられてしまった。

しばらくして上級生グループは、身体が小さいことを理由として僕を、他の数名を実力不足である、として練習の参加メンバーから外した。

もっぱら球拾いや雑用、選手としてではなくマネージャーとして扱うようになった。

折に触れ、練習に参加させてくれと頼んではみるものの、答えはいつも同じだった。

共に少年野球でプレーした同級生たちも、なんとか僕を練習に参加させてやってくれと上級生たちに頼んでいてくれたようだったが、何も変わらなかった。

実力不足とされた部員たちは、程なくして全員が退部していった。

公平に扱うようにと顧問へ訴え出ようかとも考えたが、上級生から不興を買うことが高確率で予想できたので得策とは思えなかった。

身体が小さいという理由で野球が出来ない。

このことは屈辱とも落胆とも言い難いものだった。

バスケットボールやバレーボールなら身長の低さをカバーしにくいだろうが、野球では技術があればそこまでのハンデにならないはずだと少年野球時代の経験から感じていた。

他の一年生部員と比べても、体の大きさに違いはあれどパワー以外の面での身体操作や技術に遜色はないはずだと思っていた。

この時の僕の身長は140cmに届かない程度だった。

対して同級生部員は平均して155cmほどで、大きな三年生だと170cmを超えていた。

平均的な中学一年生でも三年生の練習についていくのが大変なところ、小学四年生程度の身体つきの僕がこの差を技術のみで埋めることには確かに無理があった。

身体が急に大きくならない以上、技術の向上でしか自分を認めてもらう方法がないのだが、肝心の練習に参加できない毎日を過ごした。

小学校からの球友が帰宅後の自主練習に付き合ってくれて、いつか一緒にプレーできる日が来る、と励まし続けてくれた。

だが、一度ついた上級生たちからのイメージを払しょくするほどのレベルには、即座に届くはずもなかった。

僕は毎日、一体いつになったら自分にも成長期がやってくるのか? と、そればかり考えていた。

そして、いつか来るであろう爆発的な成長期を待ち望みながら与えられた部内での仕事をこなしていったが、入部してからずっと僕のことを真っ当に評価してくれないと、主将や上級生たちに不満を持ったまま時だけが過ぎていった。


 ある日、久しぶりに会った銭湯の脱衣場で、健児は落語会に行かないかと僕を誘った。

「ねぇねぇ、落語会に行ってみない?」

「落語会? 落語って、テレビでやってる横に並んで座布団をやり取りするアレ?」

「違うよ、あれは大喜利といって、いや、まぁ落語会でも大喜利をやることはあるんだけどそうじゃなくて、落語っていうのは本来一人ずつ高座(こうざ)に上がって、演者の前に『見台(けんだい)』っていう机と『膝隠(ひざかく)し』って衝立(ついたて)を置いて、右手に革でこしらえた『張扇(はりおうぎ)』、左手に小さな木でできた二本の『小拍子(こびょうし)』を持って、サゲと呼ばれるオチのある物語をしゃべる落とし噺のことだよ」

僕は健児の落語に関する説明とその情報量の多さに、変わってないな、と不思議と安心して二つ返事で応じた。

思い返してみれば、いつからか健児とはもっぱら銭湯で会ってばかりで、ふたり揃ってどこかに出掛けたりしたことは中学生になってからなかった。

健児に連れられて行った落語会は演芸場で開かれる興行ではなく、大鳥居の神社の境内にある建物で催される若手の勉強会だった。

この建物は地域の避難所にもなっていて、神社の境内に似つかわしくないコンクリートの打ちっぱなしで殺風景な造りをしていた。

若手の勉強会、ということで入場料は安く、中学生の小遣いでもなんとか賄える金額だった。

入り口で靴を預けると番号札を渡される。

下足番(げそくばん)、と呼ばれるこの係の人も若い噺家(はなしか)なのだという。

中へ入ると、横一列に八枚ほどの座布団が敷かれていて、その列が縦に七列ほどあった。

健児は前から詰めて座ろうと僕を案内し、前から三列目の中ほどの座布団に並んで座った。

前方には緋毛氈(ひもうせん)を敷いた舞台が設えてあって、演者の名前を記した『めくり台』が端っこにあり、真ん中に座布団、書道教室の文机のような台と、それと同じくらいの高さの衝立が置いてあった。

舞台にあたるところを高座といって、置いてあるのが見台と膝隠しだよ、と健児が教えてくれた。

物珍しく周囲を見渡しているうちに座布団の席は埋まり、会場は立ち見のお客さんが出るほどの大入りとなった。

開演時間になり、着物姿の若い男性が出てきて机の前に座ると、何やら両手に持ってガチャガチャパンパンと机を叩きだし、声を張って話し始めた。


『ようよう上がりましたわたくしがしょせき一番艘(いちばんそう)でございまして(ガチャガチャ)おあと二番艘(にばんそう)三番叟(さんばそう)(パンパンッ)四番艘(よばんそう)には五番艘(ごばんそう)御番僧(ごばんそう)にお住持(じゅうじ)(はた)天蓋(てんがい)銅鑼(どら)鐃鈸(にょうはち)影灯篭(かげどうろう)白張(しらは)り、とこない申しますとこらまぁ葬礼(そうれン)のほうで(ガチャガチャ)、なんや上がるなり葬礼(そうれン)の事を言うてえらい縁起(げん)の悪いやっちゃとお叱りがあるかも知れませんが決してそうやない(ガチャガチャ)至って縁起(げん)()ぇことを申しております(ガチャガチャ)。およそ人間には三大礼(さんたいれい)というて三つの大きな礼式があるのやそうで(ガチャガチャ)――』


軽妙な語り口で、まくし立てるように落語が始まったのだが、僕は何を言っているのか、まるで、サッパリ、まったく、全然分からなかった。

ところがこの奇妙なおしゃべりの続きを、じっ、と聞いていると、やっぱり日本語ではあるので何となく言っていることが分かりだした。

大坂(おおさか)の気の合う若者が二人、連れ添って伊勢神宮へお参りする道中もの、の導入部だった。

この噺は『伊勢参宮(いせさんぐう)神乃賑(かみのにぎわい)』別名『東の旅(ひがしのたび)』といって、江戸時代から続いている旅ネタなのだそうだ。

よく聞いていると実に珍妙なセリフ回しで、実際に作者不詳らしいのだが誰が考えたのか滑稽な、なんとも不思議な味わいのある噺であった。

あとで健児が、この落語一門の新弟子は一番最初にこの噺を習うのだ、と教えてくれた。

次々に出てくる若い噺家の話芸を楽しんでいると、この一門のお師匠さんが出てこられた。

お客様へ大入りのお礼を述べられた後、最後にわたくしとも一席お付き合いを、と噺を始められた。

その落語は、ヒビがはいっているわけでも割れているわけでもないのに、どこからともなく水が漏れてくる茶碗に「はてな?」と首をかしげる『はてなの茶碗』という噺だった。

お天子様からお公家さん、豪商、大店(おおだな)の文化人と番頭、その丁稚、門前茶屋の主人、油の行商人と、実に多彩な日本人が登場するのだが、登場人物のすべてを一人の噺家が演じているのに、ちゃんと別々の人物に見えるのが不思議でたまらなかった。

噺のオチ(さげ)に至るまでの間、僕を含めた会場にいたすべての観客はまるで催眠術にかかったように魅入られていた。

帰り道で健児は、あの落語家師匠は当代随一の名人で、こんなに近くで高座が見られるとは思いもしなかった、僕たちは本当にラッキーだったんだよ、と興奮冷めやらぬ様子で語った。

そして、落語家は高座に上がればたった一人なので周りが助けてやることが出来ない、だから名人の子供に生まれたとしても、自分の力が足りないと二代続いての名人になることはできないんだ、と健児は言った。

落語には、いつ、誰が作ったのかよくわからない、わかっているのはちょんまげ時代からあるということだけ、といった古い噺も多く、伝える噺家が居なくなって途絶えてしまった噺も数多くあるらしい。

古い噺には往時の流行や価値観、その暮らしぶりを色濃く反映したものもあり、その当時は単なるお笑いの芸であったはずなのだが、今や貴重な文化史料的な側面もあるのだそうだ。

伝統を受け継いでいく、技や芸を繋いでいくことの大切さや厳しさを、家業の仏具職人や仏師の世界と重ねるように健児は語った。

落語というものを単純に、お笑いの芸、としか認識していなかった僕は、その世界の奥深さを垣間見たような気がした。

すっかり上方落語に魅了された僕は、健児とともにこの落語会へ通うようになった。

落語に関心を持ってから、僕は日本語の古い言い回しや表現、その時代の風俗などにも興味を持つようになった。

それまで気付きもしなかったのだが、落語の寄席番組がテレビやラジオでたくさん放送されていた。

落語のラジオ放送をカセットテープに録音したり、ネタを文字に起こしてある落語の本を読んだりしていると、江戸時代や明治時代の市井の人々も同じネタを聞いて笑っていたのか、と不思議な感覚になった。

僕たちは銭湯のベンチで落語の感想を話すのが日課になっていた。

「健児が一番好きな落語のネタってなに?」

「一番かぁ……、一番って難しいけど……、やっぱり旅ネタかな」

「旅ネタもいっぱいあるよね、東の旅とか西の旅とか?」

「そのなかでもやっぱり『地獄八景(じごくばっけい)亡者戯(もうじゃのたわむれ)』かな?」

「じごくばっけい?」

「うん、腐ったサバを食べて死んでしまったお気楽者が、先に死んじゃってた近所のご隠居さんとあの世でばったり出会って、死出の旅路は急ぐものでもないと、賽の河原をブラブラ歩いたり三途の川を渡ったりしてね、六道の辻の名所を巡って今は亡き名人たちの歌舞伎や落語会に驚いたり、閻魔様のお裁きを受けた四人の曲者が地獄の鬼とドタバタ劇を繰り広げるネタだよ」

「なんだかよくわからないね……」

「なんでも原型は江戸時代に遡れるらしくてね、四人の亡者と鬼の話は絵本にもなってるし、とにかく一時間以上もある大ネタなんだよ」

「でも、先に死んでた人とあの世で再会して一緒に遊ぶなんて、面白そうだね」

「じゃぁ、僕たちも先に死んだ方はあの世で待ってることにしようか」

「そうだね、そしたら一緒に初代(しょだい)桂春團治(かつらはるだんじ)の高座を観に行こうか」

四代目(よだいめ)桂米團治(かつらよねだんじ)の『代書』も観たいね」

僕たちが銭湯のベンチで古典芸能という、およそ中学生には似つかわしくないジャンルで大いに盛り上がっているのを見て、銭湯の主人や周りの年寄りたちは、若いのに珍しい奴らだ、と面白がって「坊主たち、こいつは知ってるかい?」などといろいろなことを教えてくれたりもした。

そして僕は落語を通して、浄瑠璃や歌舞伎、浪花節に講談もの、能や狂言といった古典芸能にも興味が湧いてきた。

二人で古本屋に行って落語や講談なんかが文字起こしされた速記本を漁っては、書かれてある内容の読み方や言い回し、言葉の意味や当時の流行なんかの研究ごっこに夢中になった。

健児は僕と共有できる関心ごとが増えて喜んでくれた。

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