第一章 健児……その3
小学四年の春、健児の家に弟が生まれた。
健児は殊の外この弟を可愛がった。
おむつ替えにミルク、おんぶにだっこ、ベビーカーで散歩、本当によく面倒を見ていた。
僕は一人っ子で、自分にも弟か妹が出来ればそういう風になるのかなと思ったが、年の離れた兄弟が出来るというのはそういうものなのかもしれない。
年が近い兄弟だと親の愛情を独り占めしようとか、おもちゃを取り合ったりとか、そういうこともあるんだろうが、健児はこの小さな弟の望むことは何でもしてやる、といった具合で溺愛した。
健児が僕に話す話題の中に、弟君、という存在の割合が徐々に増えていった。
四年生の夏休み。
少年野球を始めてちょうど一年が過ぎて、僕は初めて試合に出してもらえることになった。
相手は近隣の同じ四年生のチームだったが、みな体が大きく、僕と同じくらいの体格の子は一人もいなかった。
僕は小学校に入学してからというもの、背の順で整列するときは先頭がずっと指定席だった。
野球を始めてからは坊主頭にしていたので間違われることはなくなったが、それまでは背も小さく華奢だったのに加えて中性的な顔立ちのせいか女の子に間違われることもあった。
一緒に入団した仲の良いチームメイトの体格と比べては、どうして自分はこんなに小さいのかな、とコンプレックスのようなものを次第に感じ始めていた。
それでも一生懸命練習していた僕の人生初めての打席は、一度もバットを振ることなくフォアボールだった。
体が小さすぎてストライクが入らない、と相手チームからあからさまなヤジが聞こえた。
ヤジが気にならなかった、という訳ではなかったが塁に出ることでチームに貢献できたのだ、と自分の中では良しとしていた。
次の打席では、打てそうだ、と見極めたボールに向かって、初めてバットを振った。
……バヂンッ……
投じられたボールにバットを当てることはできたのだが、押し負けた打球はピッチャー前へと弱弱しく転がった。
練習の時からそうだったが、体が小さい僕は、同級生と同じレベルでボールを遠くへ投げたり、強く打ったりすることができなかった。
せっかくバットに当たっても身体が小さいせいで力負けするのだな、と感じながらも一塁まで懸命に走ったが、やはりアウトになった。
次の打席も、相手投手は僕のストライクゾーンに投げにくそうにしていた。
僕は二打席目の力不足が頭に残っていて、どうせ打てないのなら四球を選んでチームに貢献したほうが良いだろうと思い、小さな身体をさらに縮めるように打席に立った。
「タイム!」
タイムを掛けた監督さんは、手招きをして打席の僕をベンチ前まで呼びよせた。
「もしかして、フォアボールでいい、って思っている?」
「えっ、あ、はい。そうです」
「いつも一生懸命バットを振って練習しているのに?」
「きっと当たっても飛ばないので……、それよりもフォアボールで塁に出るほうがチームのためにいいと思いました」
「チームのためを思うのは良いことだけど、まずは練習の成果を発揮することが先だよ。この試合は出場しているみんなが練習の成果を発揮するための試合、だから君の試合なんだよ。飛ばなくても空振りでもいいから結果を恐れず全力を出し切ってバットを振ってきなさい」
優しく勇気づけてくれた監督に、「ハイ!」と元気よく返事した僕は打席に戻っていった。
「あ、ボール球は振っちゃダメだよ!」
審判と相手チームに帽子を取ってタイムの礼をしている僕のうしろからそう付け加えた監督の声は届かず、そのあと三球連続で投げられたボール全てにフルスイングして人生初の三振をした。
ベンチに戻った僕に、ナイススイング! と監督やコーチは笑った。
「野球というスポーツは、身体が小さくても技術でカバー出来ることがたくさんあるから一生懸命やりなさい」
監督さんは最後にそう話してくれた。
この夏休みを境に同級生との対格差がさらに開いていくとは、よもや思ってもなかったのだが、このとき監督の言った、身体が小さくても技術で差を埋めることが出来る、という言葉は僕の中で大きく響き、この日の体験は身体の小さな僕が野球を続けていく大きな原動力となった。
いつか皆と同じような体格に成長することを信じて、練習に一層励むようになった。




