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あの大きな樹とともに  作者: 三笠 好弘


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第三章 義人……その4

 新しい制服に胸を躍らせて、僕の高校生活が始まった。

応援してくれたクラスメイトや仲間たちとも、同じ高校で顔を合わすことが出来た。

新しい仲間たちも増えて、新しいステージへ進んだのだと実感した。

太郎は念願の強豪校に入学して、さっそくライバルたちと鎬を削っているらしい。

そんな中、義人はというと、せっかく決まった就職先に一週間で行かなくなっていた。

僕は、染色工場で新生活をスタートさせたはずの義人をマンションに訪ねた。

少しバツが悪そうな感じの義人は、ポツリポツリと理由を語った。

作業に身が入っていないと叱責されたり、意地悪な先輩が作業指示を隠語で出すので聞き返すと怒鳴られたり、終いには騒々しいあの調子を疎まれ、周囲から孤立し居辛くなってしまったのだという。

「オレ、人とちゃんと付き合おうと思うんだけど、どうしてだかいつもうまくいかないんだ……、一人になるのが不安で嫌なんだよ。卒業してからはお前ともあんまり会えなくなったしな」

僕は掛ける言葉もなく黙り込んでしまったが、義人が今月発行のオートバイ雑誌を開けて、どのオートバイを買うのか決めたか? と聞いてきたので、内心では話題が変わってホッとした。

僕は二車種に絞り込んでいたので、コレかコレだな、と指さした。

義人に対して何かの言葉を掛けようとしても何も思いつかず、返事に窮した僕を見かねた義人の、僕への精一杯の気遣いだと思った。

義人は僕の大事な友人の一人に違いなく、これからも僕なりに義人の助けになりたいと思った。


 待ちに待った夏休みを前に、僕はアルバイト先を探していた。

アルバイトでオートバイの頭金と、中型自動二輪免許を取る費用を稼ぐつもりなのだ。

義人の部屋でアルバイト情報誌を見ていると、急募と書いてある屋根瓦の施工業者が目に留まった。

「義人、未経験でも日給一万二千円の求人があるぞ、日曜日が休みで期間は即日から八月二十三日までだって」

「なに? 日給一万二千円? どれ?」

「なんだ、ダメだよ……、十八歳以上って書いてあるじゃないか」

義人は求人欄をのぞき見した後、僕にそう言って残念がった。

僕だってそのことには気づいていた。

気づいていながらも僕は、夏休みは七月二十一日からだから八月二十三日までだとその間の日曜日を省くと三十日あるな、と指を差してカレンダーで数えた。

捕らぬ狸の皮算用では、三十六万円を手にすることが出来る。

これだけあれば、オートバイと免許の費用両方が賄える。

夏休みのアルバイトでは、頭金程度が貯まればいいと考えていた僕は、このチャンスを逃すまい、当たって砕けろと、年齢のことは言わずに応募してみることにした。

染色工場を辞めてからずっと無職で、遊ぶ金にも困っていた義人は、オレも行くよ、と僕の案に乗った。

 次の日の夕方、履歴書を持って義人と二人、求人欄にあった住所を訪ねた。

工務店の前で水道ホースを片手に持ち、眼前の道路に水を撒いている男性が僕たちの来訪に気付くと、「昨日の電話の人?」と聞いてきた。

「そうです、面接よろしくお願いします」

仕事終わりの従業員さんが帰りがけに声を掛けている様子から、この男性が社長さん、親方さんなのだと分かった。

事務所に案内され、応接用ソファに二人並んで座った。

僕は向かいのソファに座った親方に頭を下げ履歴書を渡すと、義人も同じくお辞儀をして履歴書を渡した。

二人の履歴書を見るなり、親方の顔色が変わった。

「募集しているのは十八歳以上って書いてあっただろ? 気付かなかったのか? 悪いけど帰ってくれ、時間もないんでな」と立ち上がり、履歴書を突き返してきた。

「あのッ、何とかなりませんか? 雑用でも何でも頑張ります、もちろん給料は少なくても構いませんから」と、僕は食い下がり、「どうしてもこの夏にオートバイと免許の費用を工面したいんです」と訴えた。

履歴書を手にしたままの親方は、深いため息をついてソファに座り直した。

「お前の熱意は分かった。でもな、そもそも十八歳未満だと屋根の上に登って作業をすることはできないんだ」

親方は少し考えこんで、じっと僕の目を見た。

日に焼けて真っ黒な親方は僕の父親と同じくらい……、いやもう少し若いかもしれない。

眼光は鋭いのだが意外と恐怖は感じない。

わかった、親方は一言そう言うと。七月二十一日を初出勤として日給は八千円の週払い、雨の日は休み、絶対遅刻をしないという条件で雇ってくれることになった。

僕と義人は親方にお礼を言って工務店を出てから、顔を見合わせ抱き合って喜んだ。

「日給八千円だってさ、一日に八千円も稼げるアルバイトなんか滅多にないぜ? 三十日だといくらになるのかな」と喜ぶ義人の顔を見て、こんな顔の義人を見たのは久しぶりだなと嬉しくなった。


 アルバイト初日、僕らは十時十五分にあった最初の休憩時間で既にフラフラになっていた。

僕らの持ち場は、屋根の上の作業以外のすべて、だった。

トラックから瓦を降ろして一旦並べて置き、職人さんの指示で梯子に備えられたリフトに瓦を乗せる。

屋根から剝がされた瓦がリフトから降りてくるので、それを集積してトラックに積み込む。

あとは不要になった資材を片づけたり掃除したりだが、困ったのが屋根の上からの指示が聞き取りにくいことだった。

気の荒い職人さんは、聞こえないのかッ、と古い瓦を上から投げ落としてきたりもした。

でも、僕らの想像を一番超えていたのは、夏の暑さだった。

作業の合間に日陰に入れる僕らと違い、屋根の上の職人さんたちは遮るものもなく直射日光の下で作業をしていた。

初日で僕は、彼らに畏敬の念を抱いた。

幼馴染が言っていた、職人の世界の厳しさを垣間見た気がした。

この日、僕はどうやって家まで帰ったのか記憶にない。

 次の日の朝、工務店に義人は来なかった。

「連絡してみますので、電話を貸してください」と親方に言うと、連絡はしなくていい、と言ったっきりで仕事の準備を始めた。

僕は昨日の職人さんたちと同じ車に乗り込み、新しい現場に向かった。

「あいつの分まで働きますので」と職人さんに言うと、こちらをチラッと見て、「今日も暑くなる、人のことより自分のことを考えろ」とだけ言って、あとは現場まで無言だった。

職人さんの言う通り、この日も暑かった。

照り返し対策に打ち水をしようと思ったが、屋根の上の職人さんを思うと憚られた。

少しずつ作業の流れが分かりだして、職人さんから小さく礼が返ってくるようになった。

夕方になり作業が終わると親方が現場に来て、屋根の上まで登って来いと言った。

屋根の上まで梯子で登ると、お前の家は瓦屋根か、と親方は聞いた。

瓦屋根です、と僕が答えると、親方は「俺たちの仕事は何十年も風雪に耐えられる屋根瓦を人様の家の屋根にキッチリと施工することだ」と言った。

続けて、良い仕事をするためには決められた約束を守ること、自己管理をしっかりすること、特に屋根の上のような高所作業は寝不足や二日酔いなんかは命取りになる、といった訓令みたいなものを僕に言って、梯子を下りた。

帰り道、義人のマンションの呼び鈴を鳴らしたが、誰もいないようだった。

 週末、仕事が終わると初めての給料をもらった。

ありがとうございます、と親方から給料袋を受け取ると、あいつの分だと言って義人の給料袋を渡してくれた。

源泉なんとかって税金が引かれていると付け加えてから、月曜日には遅れずに来るようにと言って、ご苦労さんだったな、と労ってくれた。

僕は義人に早く給料を渡してやろうと思って、帰り道に義人のマンションに寄って呼び鈴を押したが、誰も出てこなかった。

日曜日の昼過ぎ、給料を持ってまた義人のマンションに行くと、この日はおばさんが出てきた。

「こんにちは、義人君いますか?」と言うと、おばさんは少し困惑した感じで、中へ入ってくれ、と僕を招き入れた。

リビングのソファに座ると、おばさんは麦茶を出してくれて、お盆を手にしたまま向かい側に座った。

「実はあの子、このところ家に帰ってきてないの」と、おばさんは切り出した。

染色工場を辞めてから、ちょくちょく外泊している様子はあったものの、何日も帰ってこないことは初めての事らしかった。

「心当たりを探してみます。これ義人君の給料です」

僕はおばさんに給料袋を渡すと、おばさんは給料袋に書かれた義人の名前をじっと見つめながら、「ごめんなさい、よろしくお願いします」と、か細い声で頭を下げた。

マンションを出て心当たりを探したが、義人は見つからなかった。

途中で偶然、部活の帰り道だという太郎とすれ違った。

僕は交友関係の広い太郎に、みんなに義人を見かけたら僕に連絡するように言ってくれ、と手短に伝言した。

太郎は何か感じ取ったようで、わかった、とだけ言った。

その日、義人は見つからなかった。

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