第二章 理香……その11
三月十四日、ホワイトデー当日。
どうしてこうなってしまったのか?
僕はこの日、理香に絶対会えない状況になってしまっていた。
三月十日の夜、仲間が抱え込んでしまった火種から起こった乱闘事件の首謀者として、僕は警察に逮捕されていたからだった。
理香からもらったバレンタインチョコには手紙が添えられていた、といったことはなく、聡子の時とは違い、いわゆる義理チョコであったろう。
それでも理香に手渡そうと、これまでのお礼と感謝の気持ちを込めたホワイトデーのお返しの用意をちゃんとしていた。
そして拘束は数週間の辛抱だなんて甘い考えが打ち砕かれたとき、学校は退学になってしまっているし、あんなに世話になった理香には一生顔向けできないと思った。
結局、少年審判で中等少年院に送られてしまい、僕は聡子と同じく理香にもホワイトデーのお返しをしなかった。
それから夏が二回過ぎて、商店街の本屋で参考書を見ていた。
僕の再出発を応援してくれる人の勧めで、もう一度高校を受験するためだった。
英語の参考書を見比べていた僕の肩をトントン、と誰かが叩いた。
振り向くと、学校帰りの理香だった。
「見つけたぞ、不良少年」と、もう不良っぽい恰好をしていない僕に声を掛けた。
「えっ、あ、うん……、久しぶり、なんか、ゴメンね」
久しぶりに会うなり謝った僕を見て、理香は「なによ、それ」と吹き出して笑った。
店を出て、僕らは公園に向かった。
「アンタ髪、黒くしたのね」
「理香は髪、伸ばしてるんだね」
「アタシくせ毛だからあっちこっちハネちゃって毎朝大変なの。だからまたショートにしようかなって」
「せっかくだからもう少し伸ばしてみれば? きっとカッコよくなるとおもうよ?」
差し障りのない会話をしながらブランコの横にあったベンチに腰掛けて、ホワイトデーのお返しが出来なかったことを、どう切り出せばいいのか僕は考えあぐねていた。
「知ってるよ、アタシ。あの時なにがあったのか。言わなくてもね、全部知ってる」
「そ、そう、そうなんだ……、知ってるんだ……」
「しっかしまぁアンタ、とんでもないことやらかしたんだね。本当、驚いたわ」
「ともかく、あのときのことは申し訳なかったよ」
「アハハッ、もういいよぉ」
「僕は、理香に世話になってばかりだったね。ちゃんとお礼を言ったこともなかったから、あの時にお返しを渡してお礼を言うつもりだったんだ。遅くなったけど、理香、これまでいろいろとありがとうね」
「お礼を言うのはアタシの方だったかな」
理香はそう言うと立ち上がって、ブランコの吊りチェーンに触れた。
「えっ、このブランコってこんなに小さかったっけ? あ、アタシが大きすぎるのか」
理香は笑ってブランコに立ち乗りすると、ゆっくりと漕ぎだした。
その様子を僕は横からただ見ていた。
軽い屈伸をして理香はブランコを振幅させる。
キーコ、キーコ、キーコ、キーコ、
一定でゆるやかな、小さな軌跡を理香が描く。
肩甲骨あたりまで伸びた少しくせっ毛な彼女の髪は、自然なウェーブをまとって風になびいた。
日が傾いてきた。
逆光の夕日が、ブランコと彼女のシルエットをつくる。
「理香はやっぱり、カッコいいね」
「え? なにかいった?」
僕は聞き返す理香に答えず、ブランコを静かに漕いでいる彼女をベンチから見つめていた。
「さっき英語の参考書なんか見てたけど、どうしたの?」
「来年、定時制の高校を受験するんだ」
「へえぇ、そうなんだ。私は客室乗務員になりたくて外国語大学を目指してるの。英語ならまた教えてあげよっか?」
そう言ってブランコから飛び降りた理香は、いたずらっぽく笑った。
僕は、前回の受験で散々世話になったからもう大丈夫、と笑って答えた。
理香は、またね、とベンチに座ったままの僕を置いて、公園の出口に向かってしばらく歩を進めると、クルリとこちらに向き直ってから両手を挙げて、大きく左右に手を振ってさよならを言った。
高校生活をやり直し、多くの大人たちに見守られながら再出発していた僕は、昼は工務店で働いて、夜は定時制高校へ通った。
その後、都市部の名門大学に合格した理香と会うことはなく、たまに共通の友達から消息を聞くくらいだった。
カナダに短期留学したり、客室乗務員になるという夢を叶えるために頑張っているようだった。
二度目の高校生活で無事卒業を控えていた僕に、この冬に催される同窓会の案内ハガキが届いた。
僕は懐かしい面々の顔を思い浮かべながら『出席』に丸を付けて返信した。
同窓会を主催した幹事を労ったり、久しぶりに会う面々と旧交を深めていると、流行りのボディコンスーツに身を包んだ最先端の女子大生そのものといった、ひときわ目立つ姿の理香を見つけた。
本屋で会ったあの日からさらに伸びたくせっ毛は、自然なウェーブを幾重にも重ねた美しいロングヘアとなり、なんだか近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
「不良少年、見つけた!」
僕を指さした理香は、まるでランウェイを歩くモデルのように真っ直ぐ僕に近づいてきた。
「久しぶりね、どう? このスーツ、カッコいいでしょ?」
赤いボディコンスーツに黒いベルト、黒いハイヒール、まるで雑誌から抜け出てきたような理香は、ややサイドから分けて揃えられた長い黒髪をかき上げて、目の前でクルリと回り、横に並んで僕の左肩に右手を置いてポーズを決めた。
「うん、似合ってるよ。理香はいつでもカッコいいね」
今度の高校はちゃんと卒業できそうだよ、と僕は理香に報告した。
理香は航空会社に内定が決まっていて、卒論も終わって後は卒業を待つばかり、卒業旅行で行くオーストラリアが楽しみで仕方ないと言った。
いくつかの思い出話をしていると、理香は急に小学三年でやった学芸会の話を始めた。
「アタシのお姫さまが楽しみだって、アンタのあの言葉で張り切っちゃったのよね」
「でも本当にカッコ良かったよ、理香のお姫さま」
「アンタはね、アタシにとってはあのお話の、優しい神さま、そのものだったわ」
理香はどこを見るというわけでもなく、懐かしむように言った。
あの大きな樹の下で浴衣姿を褒めてくれたこと、自分を否定しないでほしいと言ってくれたこと。
そして、自分になれるのは自分しかないのだから、このままでいいのだ、と言ったこと。
それは、さながら傷ついた白うさぎを癒す、オオナムチノカミであったと。
「やっぱりお姫さまって柄じゃなかったのよね。案の定、お姫さまは聡子だったしね」
「だったら、やっぱり僕はワニザメだよ」
「何年か前さ、本屋でばったり会ったじゃない? あの日アタシ、アンタに告白しそうになったのよ。危なかったわぁ」
「え? そうなの?」
「ウソよ、ウ、ソ!」
「理香め、騙したな!」
「きゃぁぁ、皮を剝がれちゃう!」
周囲の視線を集めながら、僕と理香はしばらく会場の中で追いかけっこをした。
ハイヒールでは自慢のストライド走法が出来なかった理香に、僕は初めて追いついた。
「やったぁ、初めて理香に追いついたぞ!」
理香を捕まえて大喜びしている僕を見て、白い歯を見せた理香はお腹を抱えて笑った。
理香は最後、今日は会えてよかった、ありがとう、と言って僕から離れた後、クルリとこちらに向き直ってから両手を挙げて、大きく左右に手を振ってさよならを言った。
僕は今まで飛行機に乗ったことがない。
特に理由はない、ただ乗る必要がなかったからだ。
理香があれからどうしたのか、知る必要もないんだろう。




