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あの大きな樹とともに  作者: 三笠 好弘


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第一章 健児……その1

「ねぇねぇ、朝だよっ、起きようよっ」

そう言って僕を揺り起こしたのは、隣で就寝していたらしい見知らぬ男の子だった。

小学一年生の夏休み終盤、郊外の学習センターで行われる一泊二日の学習体験に参加していた僕は、自分を揺り起こしたこの男の子がいったい誰なのか分からないまま朝の挨拶を交わした。

健児(けんじ)、と名乗ったその男の子は僕を洗顔に誘い、朝食の席へと案内してくれた。

引っ込み思案というか、誘ってもらうのを待つばかりで自分から人の輪に入っていくことを躊躇(ためら)うような性格の僕は、出会って間もない相手と即座に会話できるようなコミュニケーション能力を持ち合わせているはずもなく、まるで毎日顔を合わせている親しい友達のような感覚で話しかけてくる彼に困惑しつつ、只々相槌を打ちながら朝食を供にした。

だが、初日にあったレクリエーションの感想や、今日予定されている催し物について楽しそうに話しかけてくる彼に対して次第に心を開いていったと同時に、この男の子に見覚えがあるような気がしてきた。

彼の発する言葉から、どうやらこの男の子は僕とは違うクラスの同じ一年生だとわかった。

 僕たちが参加していた学習体験は、郊外の森の中にある学習センターと呼ばれる施設に地域の人たちや保護者たちが集まり、小学生を対象に行うちょっとしたキャンプのような催しだった。

普段触れ合う機会のない高学年のお兄さんお姉さんと混じってゲームをしたり、森の遊歩道で森林浴をしたり、一緒に食事の用意を手伝ったりと、普段とは少し違った環境を初日は楽しんだ。

二日目、午前中のレクリエーションは簡単な木工制作で、表札やネームプレートを作るというものだった。

初日の夜にあったキャンプファイヤーで燻された木材や白木の破材などを使って自由に創作するらしい。

僕の隣に座ってさっそく作業を始めていた健児という男の子は、手先を器用に動かし手元の木材を削って組み上げたり、色を塗ったりして次々と変化させていった。

その速さにも驚いたのだが、どういったものを作るのか、といったイメージがなければこういう風にはできない。

僕はネームプレートのベースとなる木材をどれにするのかいつまでも迷っているような有り様だったから、単純に彼を凄いなと思った。

ぼんやりと、確たるイメージもないまま、なんとなく手を動かしだした僕の横で、健児はネームプレートを完成させていた。

そして、その制作を時間内に終わらせることができなかった僕を、自分の家には木を削ったり色を塗ったりする道具がたくさんあるので帰ってから続きを一緒にやろうよ、と健児は誘ってくれた。

学習体験はお昼過ぎに終わり、迎えに来た貸し切りバスに乗っての帰り道、隣に座った健児はいろんな話をしてくれた。

普段見ているテレビ番組の話や興味のある本の紹介など、それらは僕の関心ごとと共通点が多く、しかもことごとく僕より深い知識を持っていた。

その話を興味深く聞き入りながら、どこかで見覚えがある、と思った感覚は気のせいではなく、どこかで間違いなく見知っている顔だと思った。

どこで見かけたんだろう? と、思い出せないまま彼の話を聞いては相槌を打ち続けるうちに、バスは二人が通っている小学校の前に停まった。

僕は出迎えた母親に、新しく友達になった健児の家に木工制作の続きをしに行ってもいいか、と聞いた。

母親は、同じく健児を迎えに来ていたおばさんに挨拶をして、僕たちは四人で健児の家に向かった。

健児の家の前に着くと、母親はおばさんに、よろしくお願いします、とお辞儀をして家に帰っていった。

 健児の家は裏通りのアパートで、二階の一番奥の部屋だった。

薄暗くギシギシときしむ急な階段と、電球が一つしかない長く狭い廊下のアパートは、子供ながらに我が家を相対的に貧乏だと認識していた僕から見ても、とても貧相に思えた。

おばさんに「さぁどうぞ、はいって」と案内されると、僕は「こんにちは、お邪魔しまぁす」と子供らしい挨拶をして部屋に入った。

部屋は六畳ほどの二間で、奥の部屋では座布団に座っているおじさんが手元を動かしていて、何やら作業をしているようだった。

おじさんは挨拶をした僕のほうに目をやると、驚いたような顔をして手を止めたあと、満面の笑みを浮かべ「いらっしゃい、よくきたね」と優しい声で歓迎してくれた。

おじさんは仏具の職人で、木製の吊り灯篭や香炉、花立や仏壇の部品などを作っていた。

作業場には健児の言った通り、木工用の道具から絵筆までいろいろとあった。

初めて見る道具を興味深く眺めていると、おじさんはそれぞれどうやって使うのか説明してくれた。

傍らにあった道具箱の上に、小さな仏像が何体も置かれていた。

僕が仏像に目を留めたのに気付いた健児は、これらは観音像であり、観音様には三十三のお姿があって、これはなんという観音様で、こちらはこういう意味の観音様である、などと詳しく話しだした。

その説明ぶりから、観音像が特別に好きなのだということがはっきりと伝わってきた。

そのうちの何体かは健児自身が彫ったというものもあり、子供にこんなものが作れるのかと思ったが、ネームプレート作りの時に見たあの手さばきを思い出すと納得できた。

未完成だった僕のネームプレートは、おじさんの手直しによって工芸品のような仕上がりになった。

健児が家に友達を招いたのは初めての事らしく、それも今朝初めて会話したばかりだということに、彼の両親は大変驚いていた。

おじさんは、ネームプレートに色を塗って手を絵具まみれにした僕を銭湯に誘ってくれた。

親以外の人と銭湯に行くなんて初めてのことで、僕はワクワクした。

慌てて帰宅した僕を連れて銭湯まで送ってくれた母は、今度はおじさんに、おばさんにした時と同じように丁寧な挨拶をした。

銭湯の脱衣場でシャツを脱ぎながら楽しそうにおどける健児をみて、僕はやっと思い出した。

どこかで見覚えがあったのは、この銭湯で見かけたことがあったからだった。

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