嫌な予感
三題噺もどき―ななひゃくにじゅうろく。
「―ふぅ」
濡れた頭をタオルで適当に拭きながら、浴室のドアを開ける。
小さな水滴があたりに飛び散るが、まぁ、仕方あるまい。
せめて脱衣所が濡れないようにと、こうして浴室内で拭いているのだ。
「……」
ドアを開けたのは少しでも涼むためだ。
この朝シャワーも毎日していることではあるが、こう暑い夏だと籠る熱はかなりきつい。
せっかく浴びたのに汗をかくようなことがあっては嫌だろう。
ドライヤーは……まぁ、今回は勘弁させてもらおう。さすがに暑すぎる。
「……」
バスタオルではなく、フェイスタオルで拭いている。
夜はバスタオルなのだが、朝はなんとなくこれになっている。
……物を必要最低限しか置いてないから、バスタオルを今使うと夜の分がなくなるからだけれど。フェイスタオルは何枚か置いてあるんだが、バスタオルは二枚しかない。アイツの分と私の分一枚ずつだ。
「……」
頭を拭き終わり、体もさっさと吹いていく。
水気をふき取った先から、汗が滲むような気がするが、きっと気のせいだろう。そんなに代謝がいいわけでもないのだから、きっと気のせいだ。
それにまぁ、リビングに行ってしまえば汗なんて一気に冷える。クーラーがついているからな。
「……っしょ」
最後に足の裏を拭き、先に片足だけを脱衣所のバスマットに置く。
残りの片方もさっさと拭いて、空になった浴室のドアを閉める。
「……」
タオルを開けられていた洗濯機の中に放り込む。
その蓋を閉め、備え付けの棚の上に置いてあった着替えをその上に置きなおす。
淡々と着替えを済ませていき、最後に乾いたタオルを肩にかける。
まだ頭が少し濡れているような気がするので、それを軽く拭きながら脱衣所を出る。ドライヤーしてないから当たり前か。
「……、」
廊下に出ると、朝食の匂いが漂ってきた。
と、同時に。
何か嫌な気配がしていた。
「……」
何だ突然……。
と思うだろうが、私も思ったのだ。
嫌な気配というよりは、嫌な予感か。何か面倒事が運び込まれたような感覚がしている。また数か月前のような面倒事は勘弁してほしいのだが。
「……あ、上がりましたか」
リビングへの扉を開くと、そこには朝食の準備を着々と進めている小柄な青年がいた。
焼き立ての食パンに、少しだけコショウのかかった目玉焼き。申し訳程度の野菜に、今朝は冷静コーンスープ。コーヒーの香りがそこに混じり、いかにもな朝食が出来上がっていた。
「……」
しかし、二人分の朝食が並んだ机の。
今にも落ちそうな端の端の方に、黒い封筒が置かれていた。
蝋で封がされ、そこには、嫌でも見慣れた紋章が浮かんでいた。思いだしたくもないあの家の。
「……回覧板を回しに行ったらポストに入ってましたよ」
「……そうか」
見たくもなし。
興味もなし。
今すぐに燃やしたいところではあるが。
「……」
「……開けましょうか?」
「いや、いい」
どうせたいしたものではない。
あの女ではなく、もしかしたら義弟からのものかもしれない。
むしろそちらの方がまだ読もうと思える。
このままここに放置しておいても埒が明かない。さっさと確認して燃やしてしまおう。
「……」
封筒を手に取り、封を切る。
中身は案外白の普通の紙。
二つに折られたそれを開き、何かと。
「……、」
あぁ。
そういえば。
そうだった。
「……ご主人、」
「……」
あの男が死んだのは。丁度今くらいの時期だったか。吸血鬼でも案外あっさり死ぬのだ。
すっかり忘れていた。確か、毎年これくらいの時期に手紙が届いていたが、ここ何年かは見てもいなかったからな。見つけた時点で燃やすか何かしていた。
「……行くんですか?」
「いや、行かない」
簡単に言うと、墓参りに来いと言う手紙だった。
行く意味もないし、必要もなし。
それに、あの男の墓参りは年明けのあの時に済ませている。
「……朝食にしましょう」
「あぁ」
手紙を燃やし、跡形もなく消す。
私の視界からもコイツの視界からも、記憶からも消す。
あれらとの関わりは最低限でいいのだ。
「……余計なことをしましたね」
「いや、そんなことはない」
「……それならいいですけど」
「それより、今日の休憩はチーズケーキがいいんだが」
「えぇ、分かりました。作りますね」
「あぁ、楽しみにしている」
お題:滲む・目玉焼き・紋章