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(9)ロンドン・ウェンブリー・アリーナ

 12月27日。世界的人気バンドThe Gapの、1984年ワールドツアー総しめくくりの日がついにやってきた。会場はロンドン北西部にある、ウェンブリー・アリーナ。過去、多くのトップミュージシャンやバンドが、公演を開催してきた場所である。

 王室関係者を招き、IRAによるテロが最も警戒されるこの日、かねてからの依頼どおり国連能力開発室から現場へ、特殊能力者数名が派遣されて警備に当たった。


 「ローレンス!アンリ!ルーク!すまないな、休暇中に」

久々にみる仲間の顔に、楽屋のドアを開けるなりキーアンが呼びかけた。すると小さな箱のような部屋で、見慣れた3つの顔が振り返った。

 陽だまりのような笑顔を絶やさないローレンスは、大の愛犬家で36歳。近衛(ザ・)連隊(ガーズ)透視班随一の実力を誇る、透視能力者だ。パットの従兄でもある。

 褐色ちぢれ毛のアンリは、同じく透視能力者。透視班の副班長を務めているフランス人で、ローレンスと年齢が近い。

 ルークはキーアンと同じ物理班の一員で、ひょろっとした背高のっぽの青年。キーアンと同世代のオーストラリア人で、The Gapの熱狂的ファンだ。

 「ははっ、クリスマス休暇をモロに返上させられたのは、おまえの方だろ。俺は今日のミッション後、実家に寄らせてもらえるんだ。めったに帰れないから、むしろ喜んでるよ」

アンリが笑顔で言えば、隣室の楽屋にバンドメンバーがいることを知っているルークが、興奮で顔を紅潮させて大きくうなずく。

「The Gapの一大事とあっちゃ、休暇どころじゃねーからな!もしも自分の結婚式が今日だったとしても、俺はキャンセルして駆けつけたぜ!ああ~~パット様~~アシュリー様~~!!俺がぜってー守りますぅぅ!!」

両手を組み合わせて隣室を拝むルークに、一同は大笑いした。

「はっはっ…相変わらずだな、ルーク。さあ、それじゃ会場の安全確認だ。アンリとルーク、ローレンスと俺のペアに分かれて、半分ずつ見回ろう。透視で不審物が発見されたら、物理的(サイコキ)能力(ネシス)で撤去する————という連携だぞ」

会場の見回りにすっかり慣れたキーアンが言うと、3人はうなずいた。


 一方、ルークが隣室を拝んでいた時、当のバンドメンバーはリハーサル前の打ち合わせ中だった。

「……今日は、いつもとセットリストが少し違う。《My Love Goes On》の後は、新曲の《Masquerade》だからな。みんな、間違えるなよ!」

リーダーのアシュリーが、4人の仲間を見回しながら念を押す。

「りょーかい!」

それぞれが色とりどりの髪を揺らして、気合いが入った返事を返す。

「ようし。それじゃ、今年最後のライブだ。きっちりシメようぜ!」

ショッキングピンクのTシャツにジーンズという、まだ私服姿のアシュリーが勢いよく椅子から立ち上がると、他のメンバーたちもそれに続いた。



 リハーサルは滞りなく終わった。会場内にも会場まわりにも、不審な気配はなかった。あとは18時半からの本番を待つだけである。

18時20分。オープニングアクト終了後、ダイアナ皇太子妃が特別席に姿をみせる。すると、広い会場全体に歓声と拍手が湧きおこった。一方、舞台袖には、パットを除くメンバー4人が楽器を手に既に待機中。そして、最後の見回りを終えたアンリとルークが、その横に控えている。


「お、俺、生きててよかった!The Gapのライブを、まさかこんな間近で見られる日が来るなんてぇぇ~~~~」

超がつく大ファンのルークは、興奮と感動で顔は真っ赤。目も潤んでいる。そこへ見回りを終えたキーアンとローレンスが、早足で戻ってきた。

「よう、お帰り。どうだった?こっちは異常なかったぜ」

アンリがキーアンに尋ねると、彼は答えた。

「ああ、こっちも異常なしだ。まあ、この前ナイツブリッジで爆発したばかりだしな。予知班の予測どおり、やはり何事もなさそうだ」

「だな。俺も渡英直前に、再度ザヨンチョク班長に確認してきたが、異常なしという結論は変わらなかった」

2人がひそひそ話していると、クリスマスソングのBGMが流れていた会場の照明が落とされ、暗転した。BGMもピタリと止み、アリーナ中が一瞬の静寂に包まれた。開演である。


 一般観客席、招待席、ステージ。複数のスポットライトが、会場内のあちこちをぐるぐるとまわる。人々をくまなく照らしたあと、それらはやがてステージ一点に集まった。すると上手から黄色の、下手からピンク色の派手なスモークが噴きだした。スモークがステージを覆いつくしたところで、大ヒット曲《It’s Not Too Late》のイントロが始まる。そして32小節めで2色のスモークを割ってメンバーが現れると、満席の会場じゅうに、うわ——————ッ!!というものすごい歓声が上がった。更に32小節後、スポットライトが天井を照らしだすと、ワイヤーロープで宙づりになったパットが現れた。今宵だけのために仕立てられたゴールドのフリンジジャケットを着た彼は、飛ぶように会場を一周したあと、1万2千を超える観客が見守る中、ふわりとステージに降り立った。その瞬間、アリーナの建物全体が揺れるような大歓声と、無数の指笛が飛んだ。

「パットォォォ————————!!!!」

「パット——————ッ!!!!」

(キング)!!待ってました————ッ!!」

一方、舞台袖では観客以上に興奮したルークが、これまた早くもステージに釘付けである。

「あああ…パット様…俺のパット様~~~~」

パットを凝視し、今にもひざまづいて拝みそうなルークの様子に、こりゃミッションをすっかり忘れてやがるなとアンリは苦笑し、キーアンは一瞬で空間を支配したパットの凄さを、改めて感じていた。



————パット…つくづく凄い奴だ。あいつが出てくると、場の空気が変わる。目が吸い寄せられる。普段は人なつこい、甘ったれの泣き虫のくせに、ステージに上がるとまるで別人だ。これも天賦の才ってやつか…!



「キーアン」

キーアンが魅入られたようにステージを見つめていると、不意に背後で柔らかい声がした。振り返ると、ローレンスだった。

「すっかり言い忘れていたけど、僕————今日ここへ来る前に、ブリストル空港へ寄って来たよ」

人好きのする笑顔を消してそう言ったローレンスは、シナモン色の髪をちょっと手でよけてからキーアンの耳元で囁いた。

「視てきたんだ。例の現場…ヘリポートを」

「!念視(サイコメトリー)か?」

「うん。でも、怪しい気配はまったく見当たらなかったよ。あの当日、あの現場にいたのは関係者だけ。怪しい人影は、近づいた気配すらなかった」

 念視(サイコメトリー)とは透視能力の一種で、物品などに付着している残留思念を読み取る能力のことだ。過ぎた時間を遡って現場や物品に関わった思念を探り、それを手がかりにその思念の持ち主を探ることができる。

 ローレンスの報告を聞いたキーアンは、ステージで歌っているパットを、硬い表情で見やった。ローレンスもまたやさしい印象の瞳を従兄へ向け、彼にまったく似つかわしくない、難しい表情で彼を見つめた。2人はそれぞれの心の中で思った。IRAも気になるが、パットの生命が狙われた現実は、もっと気になる。ライブへの妨害にしては悪質すぎるし、パット1人を標的にしたということは、彼に個人的な恨みを持つ者なのだろうか。

 警察は懸命に捜査しているが、まだ何も掴めていない。



 新曲を交えたライブは、盛り上がりに盛り上がった。2回のアンコールを終え、客席に明かりがついても誰も帰ろうとせず、拍手とともに“アンコール!アンコール!”の大合唱を続ける観客に、バンド側がついに根負けした。再び会場が暗転し、メンバーは追加2回のアンコールを披露して、公演はようやく幕を閉じた。

終演後、王室関係者を見送ったバンドは、ロンドン市内の大型チェーンホテルに場を移した。このホテルは今夜の宿泊先だが、同時に1年に及んだワールドツアー関係者を労うための、大がかりな打ち上げパーティーの会場でもある。

きらめく大きなシャンデリアの下、コックたちが目の前で調理するブッフェコーナー、ブラックタイ姿のバーテンダーが仕切るバーコーナー、歓談用のテーブル席の他、ディスコミュージックがかかるダンスフロアまでもが設けられた大宴会場には、大勢の人々にまじってキーアンたちの姿もみえる。

「ひええ~~…これが打ち上げかよ!まるでセレブのクリスマスパーティーじゃん!」

関係者で溢れかえる会場に足を踏み入れるや、ルークが目をむいた。そこへシャワーと着替えを済ませたバンドメンバーが現れ、ひとりひとりに挨拶してまわった。


 「よっ、キーアン。楽しんでくれてる?ローレンス、久しぶり!元気だったかい?アンリとルークも、休暇中だっていうのに今日はわざわざマンハッタンから来てくれて、ほんとにありがとうな!君たちのおかげで、ツアーを無事締めくくることができたよ。感謝してもしきれない」

ピンクとグリーンのカーリーヘアをなびかせ、真っ白なシャツに黒タイを結び、黒いベリーショートジャケットで盛装したアシュリーが近衛(ザ・)連隊(ガーズ)一行のところへやって来たのは、打ち上げが始まって40分近く経った頃だった。彼は近衛(ザ・)連隊(ガーズ)の4人に代わるがわる手を差し出し、固く握手して礼を述べた。

「ア、アシュリーさんが俺の名前を呼んだ…俺の名前を覚えてくれた…握手してくれた…!」

ホテル特製のミンスパイをほおばっていたルークは、気絶しそうな勢いの感動ぶりだ。そこへ、逆立てた真っ赤な髪にゴールドの幅広バンダナを巻いたジェイクもやって来た。

「およっ、ルーク。どうしたのよ、真っ赤な顔して」

ポン、とジェイクに背中を叩かれ、ルークはもう夢か幻かという表情だ。

「ジェ、ジェイクさんまで~~~~!俺、もう死んでもいい!!」

身体をプルプル震わせて嬉し泣き半分の彼に、隣のローレンスがにっこりと陽だまりのように笑う。

「ルークは、バンドの大ファンだもんね。ジェイク、アシュリー。彼はね、今回誰より君たちのことを心配していたんだよ。今日の護衛も、“休暇なんてどうだっていい”って言って、自ら志願してくれたんだ」

「うわ!そうだったのかあ!そりゃ、ありがとなあ、ルーク。次回マンハッタンでライブやる時は、必ず近衛(ザ・)連隊(ガーズ)を招待させてもらうから、ぜひ来てくれよな!」

「い、行きますっ!万難を排して行きます、アシュリーさん!!うわ~んローレンスぅ~~今日は俺の人生最良の日だぁ…うわぁぁぁ~~ん…」

感動を抑えきれなくなったルークは、とうとうローレンスに抱きついて泣き始めた。

「あははっ…君も泣き虫なんだね、ルーク」

ひょろ長い身体にハグを返してやりながらローレンスが笑うと、不意に背後で甘さを含んだ声がした。

「“君も”って、他にも泣き虫がいるの?」

ローレンスがシナモン色の髪を振ってふりかえると、乗馬のドレッサージュコート風ジャケットで個性的に盛装したパットが、満面の人なつこい笑みを浮かべて立っていた。

「やあパット!いやね、僕の弟もよく泣くんだよ。とってもいい子なんだけどね。…あははっ、ワールドツアー無事終了だね。1年間、おつかれさま!」

「へ~え、君に弟なんていた?お姉ちゃんが1人、いるだけじゃなかったっけ?————ありがとう!君が近衛(ザ・)連隊(ガーズ)を紹介してくれたおかげで、なんとか最後まで乗り切れたよ。キーアンもアンリもルークも、クリスマス休暇返上で助けてくれて、ほんとにありがとう!感謝の言葉しか出てこないよ!」

そう言ってパットは、1人1人に手を差し出した。憧れの“(キング)”から名を呼ばれ、手を握られたルークはもうだめだというように、とうとうその場にへなへなとへたりこんだ。

「ありゃ、ルーク。大丈夫かい?」

ローレンスが手を貸して立ち上がらせようとするが、彼は完全に腰をぬかしている。大理石の床に座りこんだきり、立ち上がることができない。

「こりゃ駄目だな。ちょっと外の空気でも吸わせた方がよさそうだ」

アンリが呆れたようにつぶやくと、キーアンがルークを肩に担いだ。

「俺が連れて行こう。せっかくの打ち上げだし、アンリは明日フランスへ発つんだろ?ゆっくり楽しんでいてくれ。ローレンスもだ。従兄コンプレックスの“泣き虫”を、少し構ってやれ」

「あ、ひどいなキーアン!誰が従兄コンプレックスだよぉ」

盛装で豪華に拍車がかかっているパットがぷうっと頬をふくらませると、クールな外見にまったく似つかわしくないその表情に、キーアンのみならず、ローレンスもアンリも爆笑した。

「おまえ、親離れしていない子供みたいに、何かというとすぐローレンス、ローレンスって言うじゃないか。めったに会えないんだから、たっぷり甘えとけ。……ほら、ルーク。しっかりしろ」

笑いながら混雑と熱気でむんむんする会場をぬけ、赤い肉厚のカーペットが敷かれた廊下へ出たキーアンは、ルークを連れて地上階へ上がった。巨大なクリスマスツリーが飾られた広いロビーに出た彼は、コンシェルジュ・デスクへ行った。

「ああ、すまない。どこか涼める場所はないかな?同僚が、パーティーの熱気に当てられてしまったので、外の空気を吸わせてやりたいんだが」

「大丈夫でございますか。…中庭はいかがでございましょう。あちらのフロント脇の廊下を、まっすぐお進みください。突き当たりに回転ドアがございますので、そこから庭へお出になれます」

栗色の髪をオールバックに整えたコンシェルジュの男性は、人気(ひとけ)が少ないロビーの奥へ続く廊下を指さして丁寧に教えてくれた。

「ありがとう」

 教えられた通りに廊下を進み、手入れが行き届いた芝生の中庭へ出てみると、冬の夜風が吹きすさんでいた。雪でもちらつきそうな底冷えがする闇の中で、木々に巻きつけられたイルミネーションの灯かりが華やかに庭を彩っている。が、さすがに人影はない。木陰に隠すように置かれたベンチのひとつにルークを座らせたキーアンは、自分もその隣に腰かけた。

「寒いか?」

「ああ。だが、落ち着いたぜ。すまん、キーアン。俺、舞い上がっちまって…」

「いいさ。気にするな」

真っ白な息を吐きながら2人が話していると、不意に回転ドアがまわる音がした。とっさに2人は、口をつぐんだ。人が来たからといって話を続けてはいけない法はないのに、特殊能力者である2人の勘が、この時なぜかそうさせた。

「……イアン?いるか?」

低く、ちょっとドスのある中年男性の声だった。呼びかけに返事はなく、声の主はあたりを見回した。

「チッ…21時きっかりと言ったのに、あの野郎……」

男が舌打ちして、2~3分ほどだろうか。回転ドアがまた回る音がして、大柄な人影が現れた。

「おう、イアン。遅いじゃねえか」

「すまん。会場をなかなか抜けだせなかった。…これが今回の分だ。確かに渡したぞ」

「ああ。カネは、この封筒に。要求通りの額が入ってる」

声の主とイアンは互いに何かを差し出しあい、中身を確認しあった。そして頷き合うと、すぐに建物の中へ戻って行った。


 「な…なんだよ、今の——————?」

静寂が戻った暗い中庭で、見てはならないものを見てしまったというようにルークが呟いた。キーアンは厳しい表情で、何かを交換した2人がくぐって行った回転ドアを黙って見つめた。


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