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(5)従兄ローレンス

 翌日、12月24日。バンド一行は早朝に、次の公演地であるレディングへ2台の大型貸切バスで向かうことになっていた。メンバーが乗っている方のバスの荷物室にスーツケースを入れ、キーアンが乗りこんでくると、奥の方から、もうすっかり聞きなれた声が響いた。

「キーアーン!ほら、ここ、ここ。俺の隣、空いてるよ!」

声がする方を見ると、パットが中ほどの座席から手を振っていた。運転席ま後ろの座席を陣取っていたジェイクがそれを見て、通路を挟んで隣に座っているアシュリーに尋ねた。今朝は起き抜けのままであるため、いつもは逆立っているジェイクの真っ赤な髪は、肩にしんなりとかかっている。

「おい、アシュリー。何よ、あの2人?昨日はあんなに険悪な雰囲気だったのに、今朝はえらく仲いいじゃん」

「あー、あれな。なんでもバイだとカミングアウトしたら、キーアンが歯牙にもかけなかったんだとよ。その程度のことって、一笑に伏されたらしい」

するとアシュリーの隣の座席で会話を聞いていた、ロジャーが口を挟んだ。彼もまた寝起きのため、キラキラの金髪に寝ぐせがついて、あっちこっち髪がハネている。

「はー、なるほどね。弱点をスンナリ受け容れられて、パットが懐いたってわけか。ま、無理もない。アイツの性的指向を打ち明けられた時は、俺らでさえチョイ戸惑ったからなあ」

「ありゃー。あのヤロー、のど飴を“あーん”して食べさせてもらってやがる。……キーアンって結構イイ男だし、パット好みだよな?あいつ、連続失恋なんてことにならなきゃいいけどな」

呆れたようにボソッとつぶやいたのは、ジェイクのななめ後ろに座っていた、カイルだ。他の3人も彼とまったく同じ気持ちで、はしゃぐ“(キング)”を眺めていた。



レディングは、人口約20万人。これといった観光名所はないが、8月に開かれる“レディング・フェスティバル”というロック音楽の祭典が有名な街だ。

 1時間半ほどでレディングに到着した一行は、直接会場へ向かった。バスを降りると、スタッフ陣はすぐに機材等のセッティングにとりかかり、メンバーは楽屋で取材が待っていた。そののち簡単な昼食をとると、バンドはリハーサルに入った。キーアンの仕事は、もちろん会場の安全確認チェックである。しかし結局この日も何事もなく、ライブは無事に開催され、幕を閉じた。



 ライブが終わると、翌日はクリスマスのため、バンド一行はいったん解散になった。おのおの自宅へ帰り、クリスマスを家族と過ごし、26日に次のライブ開催地ブリストルで再集合————というスケジュールだった。当時のイギリスでは聖誕祭の25日と、ボクシングデーとよばれる26日の祝日は、空路と長距離列車を除いてすべての交通網が運休したため、マネージャーのクリスを含むスタッフらもバンドメンバーも、この日のうちにそれぞれ帰郷の途についた。結局その夜、レディング市内の4つ星チェーンホテルにチェックインしたのは、パットとキーアンの2人だけだった。



 シングルルームを取ったキーアンが、ベッドの他は小さな合板テーブル、それにひじ掛け椅子がひとつ置かれただけの部屋で荷物を片付けていると、ベッドサイドで電話が鳴った。受話器を取り上げると、パットだった。

「キーアン?荷物が片付いたら、こっち来て飲まない?今夜は飲んでもいいって言ったじゃん。来てくれないと俺、また底なしに飲んじゃうよ」

「脅迫するなよ。…わかった。もう片付いたから、今そっちへ行く。俺が行くまで、一滴たりとも飲むんじゃないぞ?」


 「やーれやれ。みんな帰っちゃって、静かなもんだねー」

白木を多く配し、ナチュラルな雰囲気が漂うスイートルーム。そのエントランスドアを開け、キーアンを出迎えたパットは、舞台メイクをすっかり落とした素顔だった。着ている服も白いダボTシャツにスリムジーンズと、ごくごくありふれた服装だ。が、そんな日常着のいでたちでも、彼にはどこか華やかな、人を振り向かせるような雰囲気が漂う。それは、けして紫色に染めた前髪のせいだけではないだろう。

「そこのソファーに座ってよ、キーアン」

白木のセンターテーブルにワイングラスを2つ置いて、“(キング)”が言った。キーアンは言われるまま、茶革のソファーに腰かけた。

「おまえは?クリスマスだってのに、家に帰らないのか?」

思い出したようにキーアンが尋ねると、冷えたシャブリをグラスに注ぎながらパットはコバルトブルーの瞳を伏せ、ボソッと答えた。

「……帰るところなんて、ないからね。はい、ワイン」

「いや、いい。前に言っただろ?俺は任務中だ。ミネラル・ウォーターをもらうよ」

「ひえー…イブの夜だよぉ?そこまで任務にこだわる!?」

「当然」

「…キーアンの石頭!」

ダイニングの隅に置かれたミニバーへ行き、ミネラル・ウォーターのボトルを取り出したパットは、ふくれっ面半分でそれをキーアンに向かって放り投げた。

「石頭、上等だ。中途半端な仕事はしたくない」

飛んできたボトルをキーアンは笑って受け止め、キャップをひねった。

「責任感旺盛だね。…キーアンの方こそ、帰らないの?アイルランドだろ?飛行機なら、1時間そこそこじゃないか」

ワイングラスを取り上げ、立ったまま1杯目を一気飲みしたパットが尋ねると、キーアンはキャップを回しかけた手を止めた。

「………ああ。いいんだよ」

「どうして?恋人(ガールフレンド)が待ってるんじゃないの?あ、それともカノジョはマンハッタン?俺たちの任務のせいで、2人のクリスマスを引き裂いちゃった?」

2杯目をなみなみと注いだパットは、グラスを手にキーアンの隣に座ると、いかにも申し訳なさそうに眉根をよせ、心配そうに赤茶の髪を束ねた青年の顔を覗きこんだ。すると彼は、表情を隠すようにプイとそっぽを向いた。

「……そうじゃない。バンドのせいなんかじゃないから、気にするな」

そっけない口調で言うと、パットは察したように言った。

「そっか。君が訊かれたくないことを、訊いちゃったみたいだね。…ごめん」

世界を股にかける、豪華な“(キング)”がシュ~ンと肩をおとすと、彼を横目でチラッと見やったキーアンは、硬かった表情を崩してフッと笑った。

「まったくおまえは………子供みたいで妙に憎めないところだけじゃなく、そういう細かい気遣いをするあたりも、ローレンスにそっくりなんだな」

「んー?そうかもねえ。俺は、半分ローレンスん()で育ったようなものだしね」

またしてもワインを一気飲みして、パットは答えた。

「ローレンスの?」

キーアンが不思議そうな顔をすると、パットは紫に染めた長い前髪を煩わしそうにかきあげ、3杯めのワインを注いだ。

「うん。俺の親父と、ローレンスのパパが兄弟でね。2人ともロンドンから車で1時間ほどの、ミルトン・キーンズという所で生まれた。そしてその街で、長男だったローレンスのパパは家業の牧場を継ぎ、俺の親父は牧師になった。お互いの家が、ほんとに近所でね。俺ん()は教会で、街の中心部近く。牧場を営むローレンスん()は街はずれだったけど、当時はまだそれほど大きい街じゃなかった(※1)から、子供の足でも20分かからない距離だった。それで俺は、小さい頃からローレンスを訪ねちゃ、羊やヤギと一緒に遊んでもらってた。……ところが俺が15の時、バイ・セクシャルだって親父にバレてさ。勘当されたんだよ。ほら、キリスト教では同性愛を禁じてるだろ。牧師の息子みずから禁忌を犯すのかって、激怒されちゃってさ。行くあては無いし、イングランドでは18にならないと職にも就けない(※2)。仕方なく18になるまで、ローレンスん()にお世話になっていたんだよ」

「なんでバレたんだ?」

「14の時にデヴィッド・ボウイに憧れて、俺はギターと歌を始めた。————その流れで、友だちとバンドを組んだんだ。じきに応援してくれる女の子たちが現れて、その中の1人とつきあい始めた。そのころは自分に男色の気があるなんて、思いもしなかったよ。ところが、メンバーの中にそっちの気があるやつがいてさ。俺に対して、なんやかやと思わせぶりな言動を、チラチラさせんの。それで俺の方も、だんだんガールフレンドよりそいつのことが気になり始めて……ある日俺の部屋で曲つくってる時、初めてそいつとキスしたんだよ。そこを親父に見つかっちゃったの!」

そう言うとパットは、3杯めのワインをグーッと一気飲みしたあと、4たびボトルを取り上げようとした。が、キーアンのすらりとした腕が横から伸びてきて、先にボトルをサッと取った

「そこまでだ」

「なんだよぉ…まだ、たいして……」

「その飲み方だ。急性アル中で、ぶっ倒れる」

「ちぇーっ。君、まるで俺の保護者だな。なんだかローレンスといるみたいだ」

パットはぷうっと頬を膨らませたが、どこか楽しそうだ。

「ローレンス?」

「そ!彼はああいう穏やかな性格で、しかも世話好きだろ。今だって愛犬に夢中で、今年36なのにまだ独身…って、あーこれはどうでもいいか。まあとにかく、俺より11歳年上なんだよ、彼は。そういう年の差もあって、牧場の羊やヤギ同様、俺のこともそりゃあよく面倒みてくれた。俺も、彼のことがだあい好きでさ。俺には妹が2人いるだけだから、彼のことをちょっと歳の離れた兄貴みたいに思っていたんだ。だから、彼が国連に参加すると決めて渡米した時は、すごい泣いたよ。…あれは、俺が17の時だったな………」

酔いがまわってきた頭の中で、パットは当時を振り返った。



 …——————『ローレンス!本当に行っちゃうの?』

明日マンハッタンへ発つローレンスが、スーツケースに衣類を詰め込んでいる傍らで、17歳のパットは掌で涙をふきふき、尋ねた。

『うん。君が18になって、独り立ちするまではと思っていたけど……特殊能力開発室による透視能力の訓練プログラムが、もう始まるんだ。中途からの参加より、最初からきちんと受講した方が、しっかり学べるだろ?どうせやるなら、ちゃんと取り組もうと思うんだ。…ごめんよ、パット』

荷造りの手を休め、イトコの涙をぬぐってやりながら微笑んだローレンスも、ちょっと寂しげだ。幼い頃からパットは、いつもいつも彼のあとをついてきた。小学校に通い始めてからも、ほぼ毎日、その日の出来事を話しに彼を訪ねてきた。勘当された夜も、パットがまっさきに頼ったのは彼だった。誰より彼を信じ、慕ってくれるパットは、ローレンスにとっても実の弟同然だった。根が寂しがり屋で、しかもまだ成人前の従兄を残して去ることに、彼は心残りを隠せない。

『ローレンスが行っちゃったら……お、俺…ひとりぼっちだよ……』

すっかり背が伸びて、今や従兄より長身のパットは、そう言って従兄に抱きついて泣いた。するとローレンスは人好きのするやさしい茶色の瞳を細め、少年のゆたかな、やわらかい金髪を撫でながら言った。

『そんなことないよ。君はけして独りなんかじゃない。僕の両親だって君のことが大好きだし、何よりパット。君はバンドをやってるよね。仲間がいるじゃないか。————そうだ!ねえ、パット。約束しようよ?君のバンドがうんと大きくなって、いつかマンハッタンでライブをやる。そうしたら僕は、君のそのステージを観に行く。どんな事があっても、必ず観に行くよ!僕は君の歌、大、大、大好きだもん。…ね、パット、約束だよ。マンハッタンで会おう。僕、待ってるよ!』


 “マンハッタンでライブをできるくらいのバンド”。それはもしかしたら泣きじゃくるパットへの、ローレンスのせいいっぱいの慰めを込めた励ましだったのかもしれない。しかしその言葉は、それ以後パットの支えになった。ローレンスとの約束を果たそうと、その後彼はバンドをいったん解散する。そしてプロをめざすために、本気で音楽に取り組む意思のある仲間を求めて、新たに活動を開始した。そうしてアシュリーやジェイクと出逢うのは、18歳になった彼が、本格的なバンド活動のためにロンドンへ出たあとのことだった。

 ロンドン中心部の、とあるサンドイッチバーで働くようになったパットは、2軒先のパブでバーテンダーをしていたアシュリーと知り合う。やがてアシュリーの紹介でジェイクが加わり、3人は休みの日に街頭で演奏するようになった。

 3人組だった当時、バンドのサウンドはダンスフロアを意識した曲が多かった。が、そこへシンセサイザーのロジャーが加わり、これによってバンドのサウンドに親しみやすいポップス感が生まれた。ほどなくロジャーの紹介でドラムスのカイルを得たのを機に、彼らはバンド名を“The Gap”と決め、本格的に活動を始めた。2年が過ぎるころには結婚式やパーティーなどでの演奏の他、ロンドンのソーホー地区にある複数のライブハウスにレギュラー出演。一定の固定ファンもついて、ちょっとした話題のバンドになっていた。そんな彼らに目を留めたのが、当時あるレコード会社傘下のレーベルにいた、クリス・コーエンだった——————…



 「パット?おい!こんな所で寝るな。風邪ひくぞ」

ソファーの背もたれに頭ごと身体をあずけ、豪華な金髪を乱していつのまにか寝息をたてている“(キング)”に、キーアンが呼びかけた。しかし彼は、酔いと日ごろの寝不足で、すっかり夢の中だった。仕方なくキーアンは、寝室から予備のブランケットを持ってくると、ソファーの上で眠りこけているパットに掛けてやった。



(※1)ミルトン・キーンズはニュータウンとして、1967年に開発が進められた。当時は人口4万人だったが、2021年には28万人に膨れ上がり、翌2022年にシティ(都市)に格上げされた


(※2)スコットランド、ウェールズ、北アイルランドは、16歳までが義務教育。イングランドのみ18歳までが義務教育で、いずれも義務教育が終わるまでは就労不可


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