(21)憎悪の正体
「誰だ!?出てこい!」
広い駐車場内に響き渡ったイアンの鋭い声に、あご髭とスキンヘッドの男たちも、背後の柱を振り返った。仕方なくキーアンとローレンスは、柱の影から足を踏み出した。
「キーアン?と、ローレンス…さん」
見知った2つの顔に、イアンは厳しい表情を少しだけ緩め、代わりに訝しげに眉をひそめた。ローレンスはイアンと初顔合わせだが、バンドのアシスタント・マネージャーであるイアンの方は、パットやクリス・コーエンとやりとりするローレンスを、これまでに何度も見かけている。もちろん彼がパットの従兄であることも、コーエンから聞き及んでいる。しかし、同じようにしかめ面になったあご髭の男が、ドスの効いた声で尋ねる。
「さっきの兄ちゃんたちじゃねえか。俺たちの後をつけていやがったのか。おいイアン、こいつらと知り合いなのか?」
「…ああ、デド。水色のジャケットを着ている方が、昨年末バンドの警護に派遣されてきたキーアン・オブライエン。緑色のジャケットがパットの従兄で、ローレンス・ベイリー。どっちも国連所属の能力者だ」
イアンが2人を凝視しながら答えると、デドと呼ばれたあご髭の男は、皺だらけの目じりに更に皺を寄せて眼を細め、ギラリと光らせた。
「能力者?この兄ちゃんたちは、おめえと同じ能力を持ってるってことか?」
この言葉を聞いて驚いたのはキーアンだ。
「能力者!?イアンが!?」
オーロラの瞳を見開いて叫ぶと、コンクリートの駐車場じゅうにその声が反響した。が、一方のローレンスは落ち着いている。先ほどから念視でイアンを探っていた彼は、事もなげに彼の正体を語った。
「うん、キーアン。イアン・マーフィーは、君と同じ物理能力者だ。そして彼は、麻薬の密売人なんかじゃない。IRA暫定派のテロリストだ!――――ブリストル空港の一件は彼の仕業だ。ワイヤーロープカッターを、彼は物理的能力で操って切り込みを入れた。だから指紋が残らなかったし、現場を視ても異常があるように映らなかったんだ…!」
いつもやさしい笑顔を絶やさないローレンスが、真顔でそう言った時だった。不意にエレベーターの方から、若い男の声が響いた。
「へーえ。そういうことだったんだ」
その場にいた男たち5人がいっせいに振り向くと、いつのまに降りてきたのか、小麦色のカーゴパンツのポケットに両手を突っ込んで、パットが立っていた。
「パット!打ち上げじゃなかったのか?」
オーロラの瞳を見開いたキーアンが尋ねると、大人気ヴォーカリストは一瞬だけフッと盟友に笑いかけた。
「他のみんなはね。俺だけ深夜番組の生出演があるんで、記者会見が終わったところで降りてきたの。それよりさ」
それから彼は、厳しい表情でアシスタント・マネージャーの方へ向き直った。
「今の話だよ。イアン。あんたがブリストルの犯人って、どういうこと?本当なのか?」
パットに睨みつけられたイアンは怯むでも驚くでもなく、冷たく暗い瞳で彼を睨み返した。そしてピアスを着けた唇にあざ笑うような笑みを浮かべると、事実を認めた。
「本当さ。俺は祖国アイルランドを、おまえたちイギリス人から完全に解放するために活動してきた」
「なるほどね。で、俺たちのライブにテロ予告を繰り返してきたのも、あんたが影で糸を操っていたってわけか」
「The Gapのライブとなりゃ、集まる観客は数万人。予告にせよ実行するにせよ、街角でのテロよりはるかに影響力がある。そして俺はアシスタント・マネージャーという立場上、バンドのスケジュールも行動もつぶさに入手できる。いろんな意味で、実に効率がよかったのさ。だがバンドを狙ったのは、それだけじゃない」
「どういう意味だ?」
「パット。俺がなぜバンドのアシスタント・マネージャーになったか、その理由を知っているか?」
「……クリスからは、レコード会社からの紹介だったと聞いてるけど?」
「そうだ。The Gapほどの大バンドともなれば、見知らぬ者を雇ったりはしない。うっかり内部事情を売られでもしたらバンドの存亡に関わるから、確かな紹介者がある人間しか雇わない。そしてパット。おまえだって聞き及んでいるだろう。IRAが抱えているのは正規戦闘員だけじゃない。いろんな業界に、いろんな形で潜んでいる。――――だからバンドがアシスタント・マネージャーを探しているという情報が入った時、あんたに復讐する機会をずっと狙っていた俺は、それに飛びついたのさ」
「……復讐?俺に?俺、あんたに復讐されるような何かをした覚えはないけど?」
「――――ある!!」
暗い色の瞳に激しい憎しみを浮かべたイアンの声が、駐車場じゅうに反響した。
「ジェニー・マーフィー!パット、この名に覚えがあるだろう。あるはずだ!それとも大スターになって、妹の名を忘れたか?」
「ジェニー…マーフィー………?」
イアンが口にした名前に、パットは考えこんだ。どこか聞き覚えのある名前だったからだ。
――――知らない名前じゃない…確か、どこかで……誰だったか…
考えこんだパットの頭に、1人の少女の顔が蘇った。まだローティーンだった頃の、遠い記憶だ。
あれは中学のイベントで、まだまだ拙い演奏と歌を披露した後のことだっただろうか。夕暮れの校門をくぐろうとした時、ふわりとしたチョコレート色のロングヘアがよく似合う、綺麗な娘が声をかけてきた。
『パット。あたし、ジェニー。ジェニー・マーフィーっていうの。あなたの歌、とっても良かったわ!あなたの声、大好き!』
『ほんと!?ありがとう、ジェニー。嬉しいよ!君、何年生?会ったこと…ないよね?』
『ええ。あなたと同じ9年生(※)だけど、話すのは今日が初めてね。でも、あたしはあなたも、あなたのバンドも知ってるわ。ときどき路上ライブをやってるでしょ?前にモールの近くでやっていたのを見かけて以来、けっこうファンなのよ』
『へえ~、そうだったんだ!嬉しいな。俺らみたいなヒヨッコバンドにファンがいたなんて』
それ以来、パットはジェニーと顔を合わせるたび親しく話をするようになり、やがて2人はつきあい始めた。
――――ジェニー・マーフィー…彼女か!長い期間じゃなかったけど、俺が初めてつきあった女…!
パットがコバルトの瞳を見開くのを見て、イアンは冷たく目を光らせた。
「思い出したか。俺はジェニーの兄貴だ!…パット。妹を捨て、あっけなく男に乗り換えたおまえは知らないだろうがな。妹は心底おまえに惚れていた。それがある日、ゴミのように捨てられて……妹は……」
おそらく妹をとても可愛いがっていたのだろう。氷のようだったイアンの目が、激しい怒りで燃え上がった。それはアシスタント・マネージャーである彼と常に行動を共にしてきたパットでさえ初めて見る、あからさまな憎悪と怒りの形相だった。
「泣き暮らすようになった妹は、やがてクスリに手を出した!クスリに溺れ、クスリ代を稼ぐために体を売り、またクスリをやって――――家に帰らない日がどんどん増えていった。そうして家出同然の日々が続いたある日、警察から電話が入ったんだ。“ジェニーさんが遺体で発見された。オーバードーズだった”とな!おまえと別れてから、3年後のことだ!」
マシンガンのようにそこまで語ったイアンは、パットに駆けよると、がっしりとした左腕で彼の胸倉を掴んだ。
「おまえのせいだ!おまえが妹を捨てたりしなかったら……」
言いながら振り上げた右の拳を、背後から誰かの腕が伸びてきて止めた。キーアンだった。
「やめろ!逆恨みだ。恋愛は互いの気持ちがあってこそ成立するもの。一方がその気持ちを失えば、成立しなくなる。そんなこと当たり前だろ。そこを理解していないなら、恋愛なんてする資格はないぜ」
「妹が悪かったと言いたいのか!」
「いや。妹は悪くないさ。彼女はパットからの別れをちゃんと受け入れた。だからこそその後、ストーキング行為や嫌がらせがなかった。そこはきっちり理解していたと思うぜ。ただ、彼女はその悲しみに吞まれてしまったんだ。――――俺が言いたいのはな………」
そこまで言うと、キーアンは掴んでいたイアンの拳を放し、自分の右腕を大きく振り上げた。
「非はおまえにあるってことだよ!パットの生命まで狙いやがって!」
「――――キーアン!!」
イアンの顔面にキーアンの拳が当たる寸前、2人の間に割って飛び込んできたのはパットだった。
「パット…!」
オーロラの瞳を見開いたキーアンがすんでのところで拳を止めると、パットは険しい表情のままくるりとイアンの方へ向き直った。
「あんた…ジェニーの兄貴だったのか」
「そうだ!妹が死んで以来、俺はずっとおまえに復讐する機会を探していた。だがおまえはじきにメジャーデビューし、どんどん有名になっていき…常に警備員に守られ、近づくことすら容易でなくなった。バンドがアシスタント・マネージャーを探しているという話が飛び込んできたのは、そういう時だった。あの仕事は、俺にとっても組織にとっても、実に都合がよかったのさ!今こそ恨みを晴らしてやる。よくも妹を弄んでくれたな!」
イアンがパットの胸倉を掴みなおすと、彼はそれには構わず反論した。
「弄んでなんかいない!!」
「なんだと?今になって、よくもぬけぬけと……」
「心変わりしたことは言い訳しない。でも、弄んでなんかいない!俺も彼女のことが好きだった。ただ…他へ向いてしまった自分の心はどうしようもなかった。だけど、まさか亡くなったなんて……」
「ああ、そうだよ、死んだんだ!そして妹の死をきっかけに酒に溺れるようになった親父は、お袋を責めて責めて責め続けて…うつ病を発症したお袋は、入院先で自殺!おまえのせいで、俺の一家はめちゃめちゃになったんだ!!」
「よせ!逆恨みだと言ってるだろ!!」
再び殴りかかろうとしたイアンを、再びキーアンが止めに入る。が、それを振り払おうとするイアン。そこに先ほどのあご髭男たちが、助っ人とばかりに割り込んでくる。スキンヘッドの男がキーアンを背後から羽交い絞めにすると、今だとばかりに彼のみぞおちにあご髭男の拳が唸る。しかし、かつて浮浪者同然の生活の中で縄張り争いを経験し、喧嘩なれしているキーアンには通じない。羽交い絞めで身体が固定されていることを逆手に取った彼は、まず右足で髭面の顎を蹴り上げた。そして男の身体が前のめりに傾いたところで、今度は左ひざで顔面を突いた。あご髭男は、すぐ脇に駐車していた青いバンに頭をぶつけると、そのまま気を失った。
「野郎っ…」
仲間がコンクリートの床に崩れ落ちたのを見たスキンヘッドの男は、抱えこんでいたキーアンの両腕を放し、彼に殴りかかった。紙一重でこれをかわしたキーアンは、男がよろけた隙に集中力を高めた。物理的能力で男を床に叩き伏せた彼は、傍にしゃがみこむと、すかさず右肘で男のみぞおちに強烈な一発を食らわせた。男は呻き声とともに白目をむいた。
キーアンが男2人を相手にしている間、一方のイアンはターゲットであるパットに襲いかかった。
「危ない、パット!」
瞬間、それまで控えていたローレンスがとっさに飛び込んできた。身代わりになった彼は、イアンの大きな拳によって容赦なくコンクリートの柱にたたきつけられた。脳震盪を起こした彼は、そのまま柱にもたれかかる形で崩れ落ちた。
「ローレンス!!」
駆け寄ろうとしたパットを、イアンの物理的能力が阻んだ。見えない力に脚と身体を締めあげられ、パットは自由を奪われた状態でコンクリートの上に転がった。そのパットの身体を、今度は空中浮揚で駐車場の天井付近で宙づりにしたイアンは、勝ち誇ったように言った。
「さあ、パット。どうしてやろうか?このまま捻り殺すのは簡単だが、それじゃつまらねえ。おまえにはうんと苦しんで……――――!?」
せせら笑うイアンだったが、その笑いは途中で途切れた。別の物理的能力によって彼の足元がふわりと浮きあがり、パットと同じような位置で宙づりにされたからだ。予期せぬ展開にイアンの集中が途切れ、パットの身体がコンクリートの床めがけて落下した。が、先に彼の真下にまわりこんでいたキーアンが、それをがっしりと抱きとめた。
「キ…キーアン……」
冷や汗でいっぱいのパットがつぶやくと、キーアンは彼の背中を押して促した。
「行け!生出演なんだろ。ここは俺に任せろ!」
「だ、だけど君が…」
「いいから行け!相手は物理的能力の使い手なんだ。腕力でどうにかできるもんじゃない。――――行くんだパット!!プロのくせに、仕事に穴を空ける気か?早く!!」
突き飛ばすようにパットの背中を押すと、彼は一瞬心配そうに振り返ったのち、自分のジャガーに向かって駆けだした。
「キーアン、ごめん!!」
駐車場いっぱいにパットの声が反響し、それとともに赤いジャガーが出口へ続くスロープに向かって発車した。
「くそっ…行かせるか!」
天井に吊り上げられたまま、イアンは集中を試みた。しかし、キーアンがそれを許すはずがない。空中浮揚が解かれ、次の瞬間イアンの大きな筋肉質の身体は、堅いコンクリートめがけて落下し、叩きつけられた。一瞬、これで勝負あったかに見えた。が、運命の歯車はまさにここから音をたてて回り始めた。
(※)日本の中学3年にあたる




