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(2)THE GAP

 バンドの警護に当たることになったキーアンは、夕刻にいったん自分のアパートメントへ戻った。ミッドタウンの一角に建つ、60階建てアパートの一室で荷造りを終えた彼は、寝室の窓辺に置かれたチェストのいちばん上の引き出しから、パスポートを取り出した。その時ふと、チェスト上に乗せられた写真立てが目に留まった。写真は、妹なのだろうか。菜の花を思わせる、黄色がかった金髪をポニーテールに結った、15~6歳の愛らしい少女が映っている。キーアンは10秒ほどその写真を見つめたあと、小さなためいきをついた。それから隣室のリビングへ移った彼は、白木の小さなダイニングテーブルの上や、生成りのソファー脇に置かれた、大小の観葉植物に水をやってまわった。

「悪いな。しばらく留守にするが、おまえたち、枯れてくれるなよ」

身長182センチと、なかなかの長身である彼の胸元付近まで成長したドラセナに、植物好きらしい彼は、笑いながら懇願するように話しかけた。彼が目を細めた時、不思議なオーロラがまた瞳の中で揺れた。

火の元を確認し、戸締りを終えたキーアンは、最後に大きな窓にかけられた緑のカーテンをきっちり閉じると、スーツケースを下げて部屋をあとにした。



 The Gapのメンバーと、そのマネージャーであるクリス・コーエンが宿泊しているホテル、パーカー・メリディアンは、キーアンが住むアパートメントから徒歩でも行ける距離だった。が、すでに23時をまわった時刻と、スーツケースという荷物のため、この日彼はタクシーで向かった。

劇場街であるブロードウェイが程近いそのホテルに入ると、大理石を使った広いロビーは、観劇帰りとおぼしき盛装した人々で賑わっていた。シャンデリアがきらめくフロントでキーアンが名前を告げると、彼はThe Gapが宿泊しているフロアへ案内された。

内部のドア上にテレビがついている、珍しい造りのエレベーターで24階へ昇ったキーアンは、赤いカーペットが敷き詰められた廊下を奥まで歩いた。両開きのドアの前で立ち止まった彼は、スイートルームのドアフォンを押した。するとフロントから連絡を受けたらしいコーエンが、すぐに顔を出した。

「やあ、お待ちしていました。メンバーも今しがた、撮影から戻ってきたところなんです。まずはご紹介させてください」

キーアンの姿をみるや、コーエンは笑顔になって室内へいざなった。


 壁一面がフルレングスの窓になっている広いリビングに入ると、マンハッタンのきらびやかな夜景を見晴らす部屋で、華やかな色とりどりの毛髪に派手な服装をした若者5人がソファーに寝転んだり、ワインを飲んだりしながらワイワイやっていた。そこへコーエンが、赤茶の長い髪を後ろでキュッと束ねた、見知らぬ青年を連れて戻ってくると、全員が振り向いた。どの顔も、テレビや雑誌でおなじみの顔ばかりだ。雑誌の写真撮影から戻ってきたばかりという彼らは、まだヘアメイクも衣装もそのまま。5人とも、金色の幅広バンダナやスパンコール入りのパンツなど、いかにもグラビアから抜け出してきましたといわんばかりの、華やかないでたちだ。

「やあ、キーアン。来てくれて、ありがとう」

まっさきに笑顔で歩みよってきたのは、腰まである七色の長髪をひるがえしたパットだった。その人なつこい笑顔を見たキーアンは、相手を二度見してから言った。

「あんた…パットか?なんだ、その虹色の髪!それに、さっきはせいぜい肩下の長さだったじゃないか。なんでそんな急に伸びるんだ?」

「これはカツラだよ。撮影用!たったの数時間で、こんなに伸びるわけないだろ」

ラメがふんだんに使われた、派手な革ジャンを着たパットはケラケラ笑いながら、カツラをスポッと取ってみせた。すると昼間会ったときに見た、前髪の一部が紫色の、獅子を思わせる豪華な金髪が現れた。

「パットはね。ライブ中の、スポットライトが当たっているイメージで撮りたいからって、こんなカツラ着けられたんだよ。ああ、俺、ギターのアシュリー。一応、このバンドのリーダーをやらせてもらってる。君のおかげでロンドン公演が決行できることになったって、さっきパットから聞いたよ。ありがとう、キーアン!…でいいんだよね?」

カーリーヘアの右半分をピンク色。左半分をグリーンに染めたアシュリーは、気さくに笑って手を差し出した。その手を握りながら、キーアンは苦笑した。

「ああ、キーアン・オブライエンだ。よろしく。だが、俺じゃない。近衛(ザ・)連隊(ガーズ)全員のおかげだ。人間、独りでできることなんて知れている」

「だよな!俺たちだって、5人でひとつのステージを作るんだし。…俺、ベースのジェイク。クリスマスを返上させてすまないな。よろしく。キーアン」

真っ赤に染めた髪を逆立てたジェイクは、大きなセピアの瞳が印象的な青年だ。両耳にピアスを3つも着けている。

「クリスマス返上は、あんたたちも同じだろ。気にしないでくれ」

笑いながらキーアンがジェイクの手を握ると、横から更に一本、筋肉質の太めの手が差し出された。

「クリスマスを気にしないなんて、君もけっこうなワークホリックだな。気に入ったぜ!俺、ドラムスのカイル。よろしく。…君の()、なんだか不思議だな。時々オーロラみたいなのが、ちらちら揺れる」

がっしりとした体格のカイルは、バンド内で唯一、髪を染めていない。黒い地毛を無造作にカットし、右の腕いっぱいにタトゥーを入れた彼は、どこか狼に似た野性味を感じさせる。彼はちょっと不思議そうな表情で、キーアンの顔を覗きこんだ。

「ああ、これか。昔、事故で…な。以来、瞳孔の開閉が不正常なんだ。だが視力に問題はないから、心配しないでくれ」

キーアンが答えると、カイルの隣で話を聞いていた、ひと目で染めたとわかるキラキラの金髪男性が、最後に手を差し出した。彼の髪は見るからにさらさらで、それが細身の身体とあいまって、洗練された雰囲気が漂う。紳士然とした顔立ちによく似合う、白いレース風シャツを難なく着こなしている彼は、ミュージシャンというよりモデルのよう。そのルックスから、バンド内ではパットに次いで女性ファンが多い青年だ。が、中身はパット同様、気さくなようだった。

「おう、それは災難だったな。俺は、シンセサイザー担当のロジャー。俺たちはもともとストリートミュージシャンから始まったバンドだし、みんな堅苦しいことは苦手だから、気軽に接してくれよな!」

マネージャーの紹介を待たず、それぞれ勝手に自己紹介を終えたバンドメンバーは、その外見を除けば、どこにでもいるような気さくな青年たちだった。そんな彼らを見まわして、コーエンは言った。

「……まったく、おまえたちは…こういう場合、俺から紹介するものだろうに。まあいい。既にパットから事情を聞いているようだし、そういうわけだ。年内のすべての仕事は、キーアンさんに同行してもらう。明日は朝6時に、セントラルパークでMTVの録画撮り。そのあとABCに生出演して、昼からCBSで音楽番組の録画撮り。夕方の便でイギリスへ戻るが、その前にケネディ空港で“ヴォーグ”誌のインタビュー。ヒースロー到着後も、空港の待合室で大衆紙のインタビューがあるからな。ああ、パット。その前に、おまえだけ明日…いや、もう今日だな。午前3時に電話インタビューがある。日本の音楽雑誌だ。おまえの寝室の電話に繋がるよう手配してあるから、ちゃんと出るんだぞ?」

さすがは世界のヒットチャートを賑わせるバンドだ。労働時間無視どころか、睡眠時間すらろくに取れない、なんともブラックなスケジュールだ。人権を尊重する国連に勤務しているキーアンが、内心で呆れながらそう思っていると、コーエンが振り向いて言った。

「キーアンさん。そういうわけですから、明朝4時に迎えにきます。5時にはセントラルパークでスタンバイしないと、まずいので。ああ、今夜はこのスイートルームを使ってください。今日は満室とかで、どうしても部屋が取れず、申し訳ない。この部屋は2ベッドで、ひとつはパットが使っていますが、あちらの寝室が空いています」

「わかった」

キーアンがうなずくと、コーエンはもういちどバンドメンバーの方をみて念をおした。

「それじゃ、みんな。俺はロンドンの事務所に連絡があるから、部屋へ戻る。夜更かししないで、さっさと寝るんだぞ?」

「わかってるよぉ~」

「へーい」

「クリス、おやすみー」

わかっているのかいないのか、よくわからないような返事を聞きながらコーエンが部屋を出ると、大きな革ソファーの上からアシュリーがキーアンに声をかけた。

「こっち来て座りなよ、キーアン。歓迎会がてら、飲もうぜ。このワイン、美味いんだ」

高級ワイン、ラトゥールのボトルを手にしたアシュリーがグラスを差し出すと、彼の隣に腰をおろしながら、キーアンは首を横に振った。

「いや。せっかくだが、酒は遠慮する」

「あら。もしかして君、下戸?」

「そんなことないさ。普段は、よくレッドエール(※)を飲む。だが俺は今、あんたたちの護衛役だ。酔ったりしたら、万一の時に物理的(サイコキ)能力(ネシス)を使えなくなる」

物理的(サイコキ)能力(ネシス)…って?」

アシュリーの向かいに座っている、逆立てた真っ赤な髪のジェイクが、興味深そうに大きな瞳でキーアンを見やった。すると立ったままお替りのワインをなみなみと注いだパットが、その答えを代弁した。

「特殊能力のひとつだよ。予知とか、テレパシーとか、それから俺の従兄ローレンスが使う、透視能力とか……特殊能力にはいくつか種類があるんだけど、物理的(サイコキ)能力(ネシス)は、手を触れずに物を動かせる能力(ちから)。よくあるスプーン曲げなんかと同じ類だね。で、物理的(サイコキ)能力(ネシス)に限らず、特殊能力は人間の潜在意識を集中力で引っぱり出すものだから、集中を邪魔されたり、酔っぱらうと使えない。……全部ローレンスの受け売りだけど、そうだろ?キーアン」

「ああ。そうとう詳しいな、パット」

「俺、ローレンスとは昔から仲良しだからね。彼はね、俺にとっちゃ兄貴みたいなものなんだ。…はい、じゃあキーアンには、オレンジジュース。乾杯!」

キーアンが受け取ったグラスに、パットは自分のワイングラスを当てて、カチンと鳴らした。するとドラムスのカイルが、もう一本新しいワインの栓に手をかけながら尋ねた。

「へ~。人間の潜在能力なんだ。じゃ、何かい。俺にも、そういう能力が潜在しているってこと?……くそっ。なんだ、このコルク?やけに(かて)え…!」

腕の筋肉が盛り上がっているカイルが、ボトルオープナーをいくら引っ張っても、コルクはびくともしない。それを見たパットは、彼からワインボトルを取り上げた。

「ちょうどいいや。…キーアン、君の能力(ちから)が見世物じゃないってことはわかってるけど、物理的能力(サイコキネシス)が具体的にどんな能力なのか、このコルクを抜いて、みんなに見せてやってくれないか?みんなも君の能力(ちから)をちゃんと知っておいた方が、これから何かと話がスムーズになると思うんだ」

ニコッと笑いかけたパットの子供のように無邪気な笑顔は、従兄ローレンスのそれにそっくりだ。どんな悪人でも断れないような笑顔を向けられたキーアンは、フッと苦笑半分のやわらかい笑みをこぼして、うなずいた。

「いいぜ。貸せよ」

ボトルを取り上げた彼は、それをガラスのセンターテーブルに置くと、コルクに向かって“気”を集めた。パット以外の4人のメンバーが凝視する中、キーアンが更に集中を高めると、さっきはびくともしなかったコルクがギ…ギギッ…と、軋みながら上へあがりはじめ、最後にポン!と軽い音をたてて、コルクはテーブルの上にころがった。

「うひょー!」

「ボトルに触れてもいないのに…これが物理的能力(サイコキネシス)!?」

「まるで魔法だな!」

メンバーが目をこすりながら驚きの声をあげると、パットがドヤ顔で言った。

「そ!わかっただろ?どうして俺が、今回の件で近衛連隊(ザ・ガーズ)に打診を進言したか。近衛(ザ・)連隊(ガーズ)は、こういう能力を持った人たちが集う部隊なんだよ」

「なーるほどなあ。でもよ、キーアン。さっきの質問だけど、これって人間の潜在能力なんだろ?ということは、俺にもそういう能力があるってことか?」

黒い瞳を好奇心で爛々と輝かせて、カイルはテーブル向こうのキーアンを見やった。

「ああ。人間なら誰しも、潜在的に持っている。それを現在意識に引き出して、実用化するのが集中力だ。訓練しだいじゃ、あんただって使えるようになるぜ?けっこう大変な訓練だがな」

「うへっ。音楽(バンド)の仕事だけでも大変だってのに…そりゃ遠慮しとくよ」

カイルはそう言って肩をすくめてみせたあと、腕時計を覗きこんで叫んだ。

「げ!もう1時じゃん。おい、みんな。部屋戻って、寝ようぜ。貴重な睡眠時間がなくなる!」

「あちゃー。明日、4時起きだっけ。また3時間しか寝れねぇぇ!」

ピンクとグリーンのカーリーヘアをバサッとはねて、ソファーからアシュリーが飛び起きると、ジェイクも女性口調でジョークを飛ばしながら、それに続いた。

「若いっつってもアタシ、もう25なのよ!少しは労わってほしいわねー。美容に悪すぎるわ!」

「まったくだぜ。俺なんか、先月27になっちゃったよ。…じゃーな、パット。キーアンも、おやすみー」

最後にキラキラ金髪のロジャーが、いかにも気だるそうに椅子から身を起こすと、4人はぞろぞろと部屋をあとにした。





(※)色が赤みを帯びており、華やかな香りが特徴のビール。常温で飲む。アイリッシュ・エールとも呼ばれる


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