(16)マグダレン修道院②
『どうしよう…キーアン?』
その日の下校途中、夕陽が照らすボイン川の畔で、恋人から妊娠を告げられたキーアンは、突然の予期せぬ告白に困惑の色を濃くした。
『ど…どうするって………』
問われても、2人ともまだ16歳の学生だ。アイルランドでは、男女とも18歳にならなければ結婚できない。第一、稼ぎがなければ生活できない。キーアンは言葉を詰まらせた。彼以上に困惑の色を濃く浮かべたコリーンは、不安で溢れそうになる涙を堪えながら、やっとの思いで言った。
『もしも両親に知られたら、私……マグダレン修道院に送られるかもしれない』
『——————!』
コリーンが恐怖で震えながら発したその名前に、キーアンの胸にナイフを突きたてられたような痛みと衝撃が走った。
未婚でありながら妊娠した、不埒な罪人、堕落した女と呼ばれた彼女たちは、家族からも恥と呼ばれ、持て余された。結果、父親が娘を殺すという最悪の事態に至るケースも少なくなかった。そうならないよう、母親が未婚の妊婦たちを収容する施設————マグダレン修道院に娘を送るケースは珍しくなかった。
この修道院は、当時アイルランドの各地にあった。妊婦たちはここで修行という名のもと、洗濯を中心とした強制労働に従事させられた。そのため修道院でありながら、マグダレン洗濯所とも呼ばれた。
修道院へ到着すると、彼女たちはまず、専用の囚人服に着替えさせられる。修道服ではなく、囚人服だ。なぜなら彼女たちは修道女ではなく、犯罪者だからだ。そして“汚れた衣服を洗うことで、同時に堕落した魂を清めるための修行”と称して、日々洗濯という強制労働に従事させられた。しかし冷えを伴う洗濯は、とてもではないが妊婦に適した仕事とは言い難い。洗濯の他、農作業や製材加工などもあったが、いずれも妊婦向けはとうてい言えない重労働ばかりだった。
彼女たちは腹が大きくなろうと、臨月になろうと、この強制労働を容赦なく出産直前まで強いられた。もちろん冷えや重労働のために体調を崩し、流産する者も大勢いたし、そのために命を落とす者も少なくなかった。運よく出産までこぎつけても、そんな過酷な労働を強いられた身体で安産が望める者が、果たしてどれだけいるだろうか。しかしどれほどの難産であろうと、何十時間に及ぶ陣痛であろうと、苦痛で声をあげることは許されない。ようやく出産という段で局部が裂傷しても、縫合さえしてもらえない。“すべては天罰なのです”。流産も、それによる死も、出産の苦痛も、裂傷も、何もかもがこのひと言で一蹴され、放置された。命を落とした者は集団墓地に埋葬されたが、死亡届すら提出されないまま葬られたケースが多数あった。しかし、届け出がないのは違法である。1990年代にこの事実が発覚して社会的大問題になり、結果としてこれが修道院の全面閉鎖に繋がっていく。
妊婦たちは知らなかったが、実はこの洗濯に代表される強制労働は、いや、出産すらも、修道院にとっては金を稼ぐためのビジネスであった。まだ世に洗濯機というものがなかった時代、“洗濯女”と呼ばれた女性の職業が存在した。修道院は収容された妊婦たちを使って、この仕事を請け負っていたのである。罪人である妊婦たちは、修行として洗濯を強いられたから、当然無報酬。修道院側が人件費不要の丸儲けというわけだ。同時に1952年に養子規制法ができるまで、修道院は生まれた子供の親権を母親に放棄させ、養子縁組と称して海外へ“輸出”していた。そう、人身売買をも商売にしていたのである。世間は未婚の妊婦たちを持て余したが、修道院側にとっては多額の利益を生みだす、たいへん美味しい人材だったのだ。
————1996年に、最後の1か所が閉鎖されるまで続いたマグダレン修道院は、そういう場所だった。
とはいえコリーンの妊娠が発覚した1972年は、米国のウーマンリブ運動の影響を受けて、アイルランドでも女性解放が盛んに叫ばれるようになっていた。最終的に棄却されたが、71年に初の避妊合法化案が国会に提出されたのは、その大きな流れのひとつだったと言えるだろう。しかも60年代以降、家庭に洗濯機が普及したことで、人々が洗濯女を必要としなくなっていた。そのため洗濯業を収益の柱にしていた修道院側の“経営”が行き詰まり、妊婦の収容に制限をかけ始めていた。これは遠からず70年代のうちに、完全停止されることになる。
「…悪名高い修道院の名は、俺の耳にも届いていた。重労働や非道な扱いについても、何となくだが聞き及んでいた。だがパット。俺は最低の人間だった!」
そこまで話したキーアンは顔を上げると、耐えられないといわんばかりに、血が滲みそうなほど唇を噛んでパットを見やった。
「最低?」
パットが首をかしげると、キーアンは顔を歪めて、吐き捨てるように言った。
「そうだ!マグダレン修道院の名を聞いた瞬間、俺は…俺は…身籠った不安で崩れそうなコリーンを案じるより先に、自分が男でよかった。そう思ってしまった。……妊娠せずにすむ、修道院へ送られずにすむ、出産の苦痛を味わわなくてすむ、男という性でよかった。真っ先にそう思ってしまったんだ!!」
眉根を寄せ、今でも自分を許せないといわんばかりの苦い口調、苦い表情のキーアンは、そう言ってテーブル向こうのパットを、自己嫌悪いっぱいの瞳で見やった。
「最低だろ!?彼女がもっとも俺の手を必要としている時に!事が発覚すれば、彼女と引き裂かれるかもしれないって時に!事の片棒をかついだくせに…いや、事を主導したくせに、妊娠が他人事でよかったと俺は安堵したんだ!!エゴイストと罵られても、俺は何も言えない!!だいたい妊娠ってのは、相手があって成立するもんだろ!?なのに、片棒担いだはずの男にはなんのお咎めもなしってのは、一体どういうわけだ?おかしいじゃないか!」
「……潔癖なんだね。キーアン」
キーアンの黒い告白を聞いたパットは、ラベンダー色に染めた長い前髪の向こうで、そっと目を伏せて微笑んだ。予想していなかったそのリアクションに、自己嫌悪で沸騰していたキーアンの心が、少しだけ鎮まった。
「潔癖…?俺が?」
「うん。だって俺が君の立場でも、きっとそう思うもん。————キーアン。誰の命も、ひとつしかない。わが身の安全に真っ先に気持ちが向くのは、誰にとっても自然、かつ当然のことだと思うよ?」
「当…然?」
「君は今、妊娠せずにすむ男という性でよかったと、そう言ったよね。確かに妊娠や出産は、女性の負担が一方的に大きい。でもさ。例えばだけど、徴兵制ってやつを考えてごらんよ。あれが課されるのは男だけ。まあ妊娠出産と違い、これは社会が人為的に課したものだから、将来的には制度が変わることもありうるけどさ。それでも現状、届いた召集令状をみて“私は女で、戦場へ行かずに済んでよかった”と思う女性がいたら、それは罪悪なのかな?そんなことないだろ?言葉にすべきかどうかはともかく、誰だって自分の命を危険にさらしたくなんかない。苦痛なんか味わいたくない。安全を欲するがゆえに、ついそう思ってしまうのは、あたりまえのことだよ」
「………………!」
あいかわらずやわらかい笑みのまま、パットは事もなげにさらりと指摘した。が、キーアンはその言葉に、ハッとして顔を上げた。パットは穏やかに続けた。
「それと、男が罰せられないという君の疑問だけどさ。牧師の息子として言うけど、カトリックが禁じているのはあくまで女性の婚前交渉だ。だから、法的にもそうなっちゃうんだよ。俺も完全に片手落ちだと思うけど、そこはカトリックの教義が大きく絡んでいるんだよ。それよりもさ。妊娠を知った瞬間どう思ったかより、その後どう対処したかの方がずっと問題だし、重要なんじゃない?俺は、そっちの方がずっと気になるよ。君は、どうしたの?コリーンを捨てた?」
「………いや」
キーアンは束ねた長い髪が宙に跳ねるほど、強く首を横に振った。
「そんなこと、できるはずないだろう。不都合が生じたから捨てるなんて、それこそ人間の風上にも置けない。それじゃ家族を捨てて逃げた、俺の親父と同じだ!————俺は親父のような男にだけは絶対になるまいと、ずっとそう思っていた。何より俺は、コリーンに惚れていた。本当に大切に思っていた。…パット。おまえがローレンスを思うのと同じくらいにな。妊娠を告げられて戸惑いはしたが、捨てるなんて微塵も考えなかった!俺たちが18になっていさえすれば、俺は迷いなく彼女に結婚を申し込んでいただろう」
キーアンの答えに、パットはにっこりと、ラベンダー色の花がほころぶような笑みを浮かべてみせた。
「だよね。君はそういう人間だ。責任感が強くて、心根があったかくて、愛情深い。…でも年齢に阻まれて、結婚は叶わなかったんだね。それで?」
改めてパットが問いかけると、キーアンはオーロラが揺れているような両眼を、再び過去へ向けた。
7月の陽が落ちようとしている、夕闇のボイン川。その畔に立ち尽くしたキーアンは、しばらく動けずにいた。何とかしなくては。そんな思いだけが頭の中に渦巻くが、中絶は無論できない。結婚の道も塞がれている。名案は浮かばない。
『………コリーン。どうすればいいか、今は俺にもわからない。だけど、これだけは信じてくれ。どんなことがあっても、俺はおまえと一緒だ。誓いを立てただろ?あれは断じて嘘じゃない』
『うん……』
暗い畔でうなずいたコリーンの声には、少しだけ安堵の響きがあった。
結局その日は、そのまま互いに帰宅した。そして寝もやらず2晩考え抜いた末、キーアンが出した結論は国外逃亡だった。
『北アイルランドへ!?』
その週末、コリーンを訪ねたキーアンが逃亡計画を打ち明けると、コリーンは思わず声を上げた。キーアンはしーっ、と人さし指を口にあてると、彼女を農場の隅に建っている納屋の影に連れて行った。
『ここに居たんじゃ、どうしようもない。おまえが修道院送りになったら、俺たちは離れ離れ。子供だって、どんな扱いを受けるかわからない。だから北アイルランドへ逃げよう。あそこでなら16歳でも結婚できる。産む、産まないの選択肢もある。首都ベルファストはIRAが騒がしいが、あの街なら病院も多いだろうし、俺も仕事にありつきやすいと思うんだ』
北アイルランドは、前世紀のままイギリス領である。従って宗教も英国国教会のまま。離婚も認められていれば、24週までの人工中絶も認められている。親の承諾さえあれば、男女とも16歳から結婚もできる。しかしキーアンが渡航先をイギリス本土でなく、北アイルランドと決めた理由は他にもあった。
中絶が禁止されているアイルランドでは、妊婦が海外渡航しようとすると中絶目的を疑われ、裁判所がパスポートの発行を差し止めることがあった。しかし北アイルランドならば、国境をまたぐ際に入国審査がない。厳密に言えば制度上はあったのだが、実際は無いに等しかった。つまりイギリス本土へ渡ろうとするとパスポートが不可欠になるが、北アイルランドならばフリーパスで入国することが可能で、都合がよかったのだ。
『苦労させちまうが、一緒に逃げてくれるか?コリーン』
声を潜めて尋ねたキーアンに、コリーンは菜の花色のポニーテールを揺らしてコクンとうなずいた。選択の余地はなかった。
2人が逃亡を決行したのは、それから1週間後。7月20日夜半のことだった。
『すまない、兄さん。兄さんが働いてくれるおかげで、俺は高校へ行かせてもらえたというのに、こんなことになって…』
家族に仔細を打ち明け、黒い、小さな旅行鞄を下げたキーアンは、戸口で兄に頭を下げた。だが兄は気にするな、人生なんてそんなもんだと、鷹揚に笑ってそう言ってくれた。予知能力に長けた祖母や母も、おそらく判っていたのだろう。何も言わなかった。ただ気丈な祖母が少し顔を曇らせて、こう念を押した。
『あたしらのことは、気にしなくていい。今までだって何とかなったんだ。これからだって何とかなるさ。だが、くれぐれも気をつけてお行き。何やら胸騒ぎがするからね』
『…ありがとう、ばーちゃん。向こうでうんと働くよ。稼げるようになったら、少しでも仕送りをするから』
『馬鹿だね。そんなことより、コリーンをいたわっておやり。じき3か月だろ。男のおまえには解らないだろうが、妊娠も出産も、女の生命をごっそり削り取るんだよ。たった16で、親も知り合いもいない場所で出産だなんて、心の負担だってどれほど大きいことか。そのあたりも含めて、よぉ~く見てやるんだよ』
『ああ。肝に命じるよ。……ばーちゃん、お袋。みんな元気でな』
そう言い残すとキーアンは戸口を閉め、コリーンを迎えに農場への道を急いだ。幼い頃から通い慣れた家に到着すると、ただひとり事情を知っている彼女の母親が、裏口に薄明りを灯して合図を送ってくれた。
『本当にすみません、おばさん。俺、コリーンのこと大切にします。それだけは約束します』
キーアンが頭を下げると、母親はためいきをついた。
『まったく…あなたたちがこんな事になるなんてね。と言ったところで、もう仕方ないわ。キーアン、コリーンを頼んだわよ。もう悪阻が出ているから、気を配ってやってね。…さ、コリーン。パパに気づかれないうちに早く!少しだけど、このお金を持って行きなさい。身体を大事にするのよ。向こうについたら、婚姻届をダブリンの伯母さん宛に送りなさい。そうすれば伯母さんが私に転送してくれることになっているから、親権者の承諾欄に署名して送り返すわ。キーアンと幸せにね』
『ママ、ごめんなさい。ありがとう……』
涙声で母親にハグを返したコリーンは、旅行鞄を取り上げた。そうして振り返り振り返り裏口を出た彼女は、白いサマーカーディガンの裾を翻しながら、キーアンとともに夜更けの闇へ消えていった。
1時間以上かけて最寄りの小さな駅まで歩いた2人は、その夜を待合い用の木のベンチで過ごした。真夏とはいえ妊婦であるコリーンのことを思えば、B&Bにでも泊まりたいところだった。が、手持ちの資金は乏しい。古びた木造でも、屋根がある駅ならば夜露を凌ぐことができ、野宿よりましだった。
硬いベンチで夜明かしした2人は、翌朝の始発でまずダブリンへ向かった。そこでベルファスト行きの国際バスに乗るつもりだった。国際列車エンタープライズ号も同区間を繋いでいるが、列車に比べバスの方が圧倒的に便数が多く、所要時間も2時間半。列車より20分ほど長く要するが便利で、何より運賃が列車の半額以下と安かった。
ダブリンへ着いた2人は、まず駅近くのカフェテリアで遅い朝食、兼昼食を、2時間ほどかけてゆっくり摂った。妊婦で悪阻があるコリーンは、現在いつも通りに食べることができない。料理の匂いで胸にむかつきをおぼえる彼女はなかなか箸が進まず、時にトイレに駆け込む必要さえあった。
食事を終えた2人は、コリーンの体調をみながらオコンネル通りのバス停までゆっくり歩き、昼近くのバスに乗りこんだ。そうして2人がベルファストに到着したのは、7月21日14時20分すぎのことだった。