表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/20

(14)アイルランド自由国

 「アイルランド自由国————1922年、イギリスから北アイルランド6県を除く26県が独立を勝ち取り、独立戦争が終結した時、それがアイルランドの国名だった。だが長年にわたる植民地支配で、国民の生活は貧しかった。生産された小麦や家畜などは、昔からすべてイギリスへ輸出。…まあ輸出と言えば聞こえがいいが、要は“本国”の地主様がたにお納めしなければならなかったからだ。そして自分たちは、ジャガイモを食って凌いでいた。ところが……」


 イギリスのアイルランド支配は、約700年に及んだ。もともと土壌に腐植層が極めて少ない、いわゆる瘦せ地であるイギリスは、それゆえに野菜が育ちにくい。特に冬場の野菜不足は、深刻と言えるほどだった。そのため同国は、農作物が豊かに採れるアイルランドを植民地化することで、自国内での農作物の供給をはかってきたのである。ところが1845年アイルランドで、有名な“ジャガイモ飢饉”が起きる。大切な主食のジャガイモに疫病が発生し、これがアイルランドの食卓を直撃した。もともとギリギリの食糧事情で生活していたアイルランドでは、これにより100万人以上の餓死者を出すことになった。飢饉から逃れようと祖国を離れ、アメリカへ移住する人々が急増し、一時は国家の存続にかかわるほど人口が激減した。しかし、そうした中でも、イギリスの地主たちはそれまでと変わらない輸出量をアイルランドに要求し続けた。

このような背景があって、アイルランド国民のイギリスに対する憎悪は募る一方。独立戦争が起きたのは当然の流れといえた。


 「もともとそういう事情を抱えた国だったからな。俺の家も貧しかった。親父は島の南東部にあるレンスター州で、とある農場の小作人をやっていたんだが…自分と妻と子供たち。それから俺が3歳のとき、未亡人になった母方の祖母を引き取ったから、文字通り毎日食っていくのがやっと、ってな生活だった」

「…それじゃ、君もさぞイギリスを憎んでいるだろうね。イギリス人として、本当に申し訳ないと思うよ」

キーアンが明かした生い立ちに、眉根を寄せ、申し訳なさそうにパットが言うと、彼は馬のしっぽのように束ねた髪を揺らして首を横に振った。

「いや。子供の頃は、貧しさからそう感じたこともあったが、国連に参加した今は、そんなふうに思っていない。この地球上には、もっともっと色んなことが…俺なんかには想像もつかないような酷い風習や現実が存在して、誰も彼もが生きることに必死でもがいていると知ったからな」

「酷い?たとえば?」

「そうだな。近衛(ザ・)連隊(ガーズ)に1人、インド人女性がいるんだが…彼女によると、インドでは女性の地位がたいへん低いそうだ。細かい習わしは地域や宗教によって異なるが、たとえば“トリプル・タラーク”とよばれるイスラム社会の慣習。これは“タラーク(離婚)”という単語を3回唱えれば離婚が成立するというものだ。だが、これを唱える権利は夫側にしかない。きわめて一方的なんだそうだ。…それから未亡人。ヒンドゥー社会では、女の幸せは夫であり、女は貞節を守り、夫に献身的に仕えることが正義とされる。だから夫(=幸せ)を失った女性は不吉な存在とされ、家に軟禁される。再婚は貞節を破ると考えられ、許されない。更に言えば、とっくの昔にサティー(※)禁止法が成立しているにもかかわらず、一部地域では今なおその習慣が根強く残っているそうだ。もっともこの法律は、イギリスがインドを植民地支配していく中で、イギリス側が問題視して鉄杭を打ち込んだからこそ、成立した法案だろ。そう考えると、植民地支配も悪いことばかりじゃないというわけだ」

「サティーは俺も知ってるよ。ヒンドゥーでは聖なる儀式とされているけど、傍目には人権無視の非道行為としか映らないよね…」

空になった赤いビール缶をテーブルに戻したパットが、ボソッとつぶやいた。キーアンは相変わらず床を見つめたまま、うなずいた。

「ああ。“聖なる名のもとに”という枕詞ひとつで、何もかもが正当化されてしまう。恐ろしいもんだぜ。だが、それと同類の悲劇が、独立後のアイルランドを襲ったんだ」


 かつてアイルランドを植民地化して以来、イギリスは同国に対してアイルランド語の使用を禁ずるとともに英国国教会プロテスタントの信仰を強要し、カトリック住民を迫害してきた。それが独立によって、両者の立場が逆転した。

英国国教会による、カトリックに対する過去の仕打ち。それに対する反動で、独立後は民族団結のために、アイルランド語の使用と並んでカトリック信仰の強化が大々的に叫ばれた。独立した翌1923年、その流れで映画検閲法が成立した。カトリックに対して有害と思われる映画の上映を禁止することが目的だった。1925年には、神が娶わせた夫婦の離別を良しとしないカトリックの教義を受けて、離婚禁止法が成立。更に、女性は家庭を守るべきという教義から、既婚女性の公務員採用を禁止。1927年になると、婚前交渉は罪であるという教義に基づき、“男性を誘惑しやすい”という理由で、女性の華美な服装を禁止。肌の露出が多い服装も、もちろん禁止だ。そして1935年になると、子供は天からの授かりものであるという教えに従い、避妊と中絶の禁止。この法案により、避妊具の輸入や販売も禁止。卑猥な知識であるとして、子供への性教育も禁止された。こうして国全体がどんどんカトリックに傾倒していき、ついに1937年、アイルランド自由国は新しい憲法を制定する。が、この憲法はカトリックを全面的に擁護する立場で、その教義がベースになっていた。たとえば言論の自由や、宗教の自由を認める一方で、神への冒涜と受け取れる発言や、破廉恥な発言などは犯罪と定められた。また、女性が家庭を担うことも法で定められていたし、たとえ経済的必要性があっても、女性が外に出て働くことは家庭内での義務怠慢につながるとして、これを禁じていた。

このようにアイルランド初の憲法は、カトリックの特別な地位を認める旨の文言が1972年に削除されるまで、至るところにその影響が色濃かった。


 しかし一方、アルスターとよばれる北アイルランドの地方には、プロテスタントの信者が多く住んでいた。彼らはカトリックによる支配を嫌い、イギリス領として留まることを強く望んだ。独立にあたって北アイルランド6州が切り離されたのは、アルスター地方ではベルファストを中心に工業化が進んでいたこと、そしてそれら資本家層がイギリス経済からの分離を望まず、イギリス領として留まることを強く希望したことの他に、プロテスタント信者が多く住んでいたという宗教事情もまた、強く絡んでいた。とはいえ、アルスター地方にも少数であるがカトリック信者ももちろん住んでおり、彼らは独立後もアイルランド自由国との併合を求めて活動を続けた。この活動を嫌った北アイルランド自治領政府は、しだいに彼らを敵視するようになり、更には迫害するようになる。これが引き金となって、自治領内にプロテスタントとカトリックの激しい対立が生まれ、双方譲らないまま激化。北アイルランドは、抜き差しならぬ状態に陥っていく。そうしてこれが1970~80年代の、IRAによる激しい反英テロ攻勢へと繋がっていくのである。


 「ひとつの宗教の教義が、法という形で国民全員を縛ったんだ。その意味では、植民地時代の方がよほど自由があったと思うぜ?いま世はまさに冷戦時代で、社会主義国の人権無視が言われているが、そういう事態は西側にもあったのさ。……なにしろそうした流れで、カトリックが社会全体を牛耳るようになった。だが、しょせん農業しか産業がなかったアイルランドは、当時ヨーロッパ最貧国だった。なのに共働きが許されず、外に出て働くことができるのは男だけ。おまけに避妊と中絶が違法ときたら……どうなるか解るだろ?」

「好むと好まざるとにかかわらず子供が増えて、貧困に拍車がかかるね」

「そうだ。各家庭とも、ただでさえジャガイモに頼ってギリギリ食いつないでいたってのに、家族計画を禁じられたら、稼ぎが増えないまま子供の数だけが増えていく。言ってみりゃ、国家による多産DVさ。やがて養いきれなくなり、追い詰められて夜逃げする父親が続出した。だけどカトリックでは、配偶者が死亡しない限り、再婚が許されないだろ。それが夜逃げなんかされてみろ。いつまでたっても死亡確認が取れず、再婚すらできない。と言って、女は働くことも許されないから、大勢の子供を抱えた貧困シングルマザーが激増した。俺の親父も————」

床を見つめて話していたキーアンは、そこでいったん言葉を止めた。おそらく、思い出したくないのだろう。みるみるうちに彼の表情が、苦渋にみちたものに変わった。そんな彼の様子を、パットは見てはならないとでも思ったのだろうか。コバルトブルーの瞳を伏せた。

「俺の親父も、末の妹が生まれて1年が過ぎた頃、家族を捨てて出て行った。俺が9歳の時だった。ある朝、いつものように農場へ仕事に行くふりをして家を出て……そのまま戻って来なかったんだ」

「…お母さんは、さぞ泣いただろうね」

瞳を伏せたままパットが言うと、キーアンは首を横に振った。

「いや。後になってお袋が話してくれたんだが…親父が出ていく数日ほど前に、親父から“あばよ”と言われる夢を見たんだそうだ。前にも話したとおり、お袋は昔から予知夢を見る人だったから、彼女にとっては予想内の出来事だったらしい。覚悟ができていたようで、いっさい泣かなかった。だが、子供心にもそれがかえって痛々しくて……俺は、親父のような男にだけは絶対になるまい。そう思ったよ」

「……気丈なお母さんだね。だけど、それから君の家族は?働き手がいないんじゃ、苦労しただろ?」

「ああ。言葉じゃ表現しきれないほどな。兄貴、俺、4人の妹たち……育ち盛り、食べ盛りの子供6人を、お袋と祖母(ばあ)ちゃんが必死で育ててくれたよ」

「でも…失礼だけど、収入は?働き手がいなくなったんだから————」

控えめに、そして言葉を選んでパットは尋ねた。キーアンは、手にしていた缶ビールを飲み干してから答えた。

祖母(ばあ)ちゃんに予知能力があったことも、前に話したよな?彼女は、若い頃からタロット占いに通じていてな。これがかなりの的中率で、彼女は近隣じゃ、ちょいと知られた存在だった。困り事や揉め事が起きると、よくみんなから相談を持ちかけられていたよ」

「それ、ドルイドじゃないか!“ケルト社会において知識層とされたドルイドは、魔法を操り、占いや予言を行い、争いごとを調停した”————まさにドルイドだ!」

パットが驚いたように顔を上げると、キーアンは険しかった表情を少しだけ和らげた。

「はは…そうだな。親父が出て行ったあと、その祖母(ばあ)ちゃんが家の裏にあったボロの物置小屋に、小さな机と椅子を運びこんで……本格的に仕事として相談を受けるようになった。それまでと違い、少しばかり相談料を貰うようにしてな。だが、それでもあっと言う間に評判が広まった。ほどなく地主だの、経営者だのといった富裕層もこっそり訪れるようになり、時にはけっこうな金額のチップを置いていった。相談事の方も雇用に経営、商談、縁談の吉凶から子供の名付けまで多岐にわたっていて、予約が途絶えることがなかった。おかげで、兄貴が16歳で義務教育を終えて就職するまで、俺たち一家は何とか食いつなぐことができたんだ」

「本当にすごい的中率だったんだね。…だけど、誰かが密告(チク)ったりしなかったの?女が働いてるって」

「俺も近衛(ザ・)連隊(ガーズ)に所属して、特殊能力をちゃんと学んだ今だから解るが、祖母(ばあ)ちゃんは完全に予知能力者だった。それこそ近衛(ザ・)連隊(ガーズ)予知班に所属できるくらいの、確かな能力を持っていたと思うぜ?そういう祖母(ばあ)ちゃんだったから、彼女がいなくなって困るのは、むしろ相談者側だろ?だから、密告(チク)ろうなんてヤツはいなかった」

自分ならではの能力を活かして困難な時代に立ち向かい、子供たちを育ててくれた祖母を語るキーアンは、神秘的にきらめくオーロラの瞳を細め、どこか誇らしげな笑みを浮かべた。が、次の瞬間、彼は表情を一転して曇らせた。

「俺と彼女————コリーンは、そういう環境下で結ばれた仲だったんだ」





(※)死亡した夫とともに、妻が殉死するヒンドゥー教の慣習。生きたまま自らを火に投じるが、義実家や親戚から強制されたり、薬物で意識を奪って投じられるケースも少なくなかった

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ