霊能探偵 悪魔に魂を売った政治家
本書を手に取ってくださった皆様に、まずは感謝を申し上げます。
『霊能探偵』シリーズも新たな境地へと踏み込みました。今回は「悪魔」をテーマに、政治の闇と超自然的な存在が交錯する物語をお届けします。これまでのシリーズでは霊や怨念が絡む事件が中心でしたが、本作ではさらにスケールを広げ、悪魔という異質な存在に焦点を当てました。
「もし、悪魔に魂を売れば、どんな願いも叶うとしたら?」
そんな問いを投げかけながら、政治の世界で野心を燃やす人間の欲望と、それを利用しようとする邪悪な存在の駆け引きを描いています。もちろん、霊能探偵・伊田裕美もそれに立ち向かいます。彼女の冷静な推理と、危険を顧みない行動力が、今回も存分に発揮されることでしょう。
本作を通じて、「人間の欲望」と「信念」、そして「正義とは何か」について考えていただけたら幸いです。それでは、物語の幕を開けましょう。
【登場人物】
伊田裕美:霊能探偵、旅行ルポライター。ショートカットの黒髪に知的な印象を与える黒のスーツを身に纏い、端正な顔立ちと鋭い眼差しが特徴。どこか探偵のような雰囲気を漂わせている。全身には梵字の刺青が刻まれており、顔・胸・秘密の花園を除いてほぼ隙間がない。
伝兵衛:旅行雑誌編集長。
村田蔵六:陰陽師で湯川寺の住職、幽霊探偵の相談相手。
第1章:悪魔との契約
ある夕暮れ、公園のベンチで一人の男が頭を抱えていた。
男の名は蒜田詩音。若いのに、その髪はほとんど白髪になり、黒く染めていた。痩せこけた体躯に似合わぬ、不自然に突き出た腹が、彼の疲弊した生活を物語っている。
彼は過去に三度、衆議院選挙へ挑戦し、そのたびに落選していた。今は無職。生活は厳しく、毎日食べられるものといえば、イオンで販売されているおにぎりが二つ。たまの贅沢は、ビッグAの半額弁当。それが彼にとってのご馳走だった。(奇しくも霊能探偵・伊田裕美も、その格安弁当の常連である。)
幼い頃、田中角栄の姿を目の当たりにし、政治家という夢を抱いた。早稲田大学の政治学部を卒業し、その後は土建会社で汗を流しながら、機会を待ち続けてきた。
「……ああ、もし、悪魔に魂を売れば国会議員になれるのであれば、悪魔に魂を売りたい。悪魔に逢いたい。悪魔よ、俺の前に現れてくれ……!」
その瞬間——。
突如、空が掻き曇り、黒雲が沸き上がった。雷鳴が響き渡り、稲妻が空を切り裂く。
雨が降りそうだ……そう思い、蒜田は慌てて帰ろうとした。
「お前は、国会議員になりたくないのか?」
不意に背後から声がした。
「……誰だ?」
「今、お前はわしに逢いたいと言ったではないか。うまくいけば、お前の魂は貰うぞ。それでもいいのか?」
「……ああ、くれてやる。だから、頼む……!」
その瞬間、雷が鳴り響いた。しかし、それと同時に黒雲は消え去り、空は元の静寂を取り戻していた。
***
一方、政界では少数与党の○○首相が新人議員に50万円のお土産を配り、窮地に立たされていた。
与党の支持率は低迷し、野党は不信任案を提出。状況は刻一刻と悪化していた。首相は窮余の策として、不信任案が可決される前に、衆議院の解散を決断する。
【対立候補の死】
選挙戦も終盤に差し掛かり、各候補者の演説が活発になっていた。その日もまた、ある候補者が選挙カーの上で力強く訴えかけていた。彼は労働組合の支持を得ており、その組織票だけでも十分に当選可能とされていた。
しかし、突如として異変が起こる。
空が黒雲に覆われ、雷鳴が響き渡った。瞬く間に大粒の雨が降り始め、聴衆は雨を避けるために蜘蛛の子を散らすように逃げていった。選挙運動員たちは慌てて傘を開き、候補者を雨から守ろうとした。
だが、次の瞬間——。
候補者の身体が突如発光し、まるで内部から炎が噴き出したように燃え上がった。雨が降り続いているにもかかわらず、その炎は決して消えることはなかった。
「ぎゃあああああ!」
耳をつんざくような悲鳴が響く。候補者は全身を焼かれながら地面に倒れ込み、苦しみもがいた。その場にいた者たちは恐怖のあまり、誰一人として助けようとはしなかった。ただ、燃え尽きるのを見ているしかなかった。
まもなく、候補者は動かなくなった。
異様な静寂が辺りを包む。雨が地面を叩く音だけが響いていた。だが、候補者の遺体には普通の焼死体とは異なる、奇妙な痕跡が残されていた。
黒い影のようなものがうっすらと遺体の表面に浮かび上がっている。さらに、皮膚には未知の印が刻まれており、何よりも異様だったのは——体内からすべての血液が抜け落ちていたことだ。
***
一方、蒜田詩音は、自身の演説会を終えたばかりだった。
彼は無名の候補者であり、これまでの選挙では惨敗続きだった。加えて、演説が下手で、聴衆を引き込むような話し方もできない。そんな彼が支持を集めるのは到底不可能だと思われていた。
しかし、今回は違った。
「……妙だ。蒜田の話には、何か……奇妙な力がある……」
演説を聞いた者たちは、口々にそう呟いていた。
蒜田の声は決して大きくもなければ、流暢でもなかった。それにもかかわらず、彼の言葉は人々の心を掴み、まるで催眠術にかかったかのように彼の言葉に従いたくなるのだ。
まるで、彼の声が聴衆の思考を操っているかのようだった。
そして、選挙結果——。
すべての予想を覆し、蒜田詩音は当選した。
誰もが驚愕した。しかし、彼の当選は偶然ではない。
それは、悪魔との契約がもたらした結果だった。
第2章:代議士蒜田詩音
蒜田詩音は、悪魔との契約を交わし、ついに国会議員の座を手に入れた。
政治の世界は、想像以上に複雑で熾烈だった。だが、蒜田には不思議な力が備わっていた。彼の言葉は妙に人々の心を捉え、対話の相手は次第に彼に従うようになっていく。初当選にもかかわらず、彼の影響力は急速に拡大していった。
しかし、それだけでは終わらなかった。
蒜田の党内には、彼よりも実力があり、経験豊富な議員が数多くいた。当然ながら、新人議員がすぐに上の立場へと這い上がることなど、本来ならばあり得ない。
ところが——。
蒜田の周囲では、不可解な死が相次いでいた。
彼の最大のライバルであった古参議員は、自宅の風呂場で心臓発作を起こし急死した。次いで、若手ながら党内での発言力が高かった議員が、演説中に突然意識を失い、そのまま息を引き取った。
さらに、ある議員は車のブレーキが利かなくなり、崖から転落した。彼らはすべて蒜田の前途を阻む存在だった。
まるで、目に見えぬ何かが蒜田の道を切り開いているかのように——。
***
霊能探偵・伊田裕美は、スマホのニュースサイトを眺めていた。
「またか……」
国会議員の突然死が続くという異様な事態に、世間はざわついていた。報道では「不運が続いた」と片付けられていたが、裕美の直感は違っていた。
「偶然にしては、できすぎてる……。何か裏があるはず」
裕美はスマホを置き、すぐに調査を開始した。新聞記事、関係者の動向、過去の発言——。
そして、ある名前が浮かび上がる。
「蒜田詩音……」
新人議員。無名の候補だったはずが、突如として国会に躍り出た男。
「こいつが……鍵を握ってる?」
裕美の鋭い目が光った。
第3章:悪魔の標的
深夜のビッグA。店内は閑散としており、冷えた照明が商品棚をぼんやりと照らしていた。
伊田裕美は、いつものように半額シールが貼られた弁当を手に取った。
「今日はチキンカツか……悪くない」
弁当を片手にレジへ向かい、支払いを済ませる。店を出た途端、ひんやりとした夜風が肌を撫でた。
そのとき——。
背後に、何かの気配を感じた。
足音がついてくる。
裕美は何気なく振り返った。しかし、そこには誰もいない。ビルの明かりもまばらで、街灯の薄明かりがアスファルトにぼんやりと影を落としているだけだった。
「気のせい……?」
警戒しつつも、歩を進める。だが、確かに誰かが後をつけてくる気配がする。
やがて橋へと差し掛かった。
そのとき——。
「お前が生きていると、俺は困るんだよ」
男の声が響いた。
次の瞬間、背後から何者かが猛然と走り寄ってくる音がした。
裕美が振り向く間もなく、突風のような力が彼女の腹部を打ち抜いた。
「ぐっ……!」
その衝撃で、裕美の体は宙を舞った。
橋の欄干を超え、冷たい夜風の中を落下していく。
その刹那、暗闇の中で彼女ははっきりと見た。
——角が2本、額の中央に第三の目、裂けた口を歪めて笑う悪魔。
漆黒のマントが夜風に揺れ、異形の怪物は橋の上から裕美を見下ろしていた。
「——ッ!」
水面が迫る。次の瞬間——。
ドボンッ!!
激しい水音が響いた。
冷たい川の水が一気に裕美を包み込む。息ができない。闇の中で何が上か下かもわからない。全身が水に押し流され、もがくほどに沈んでいく。
——まずい。
肺が悲鳴を上げる。
必死に手を伸ばし、水面を目指す。ようやく顔が水上に出た瞬間、激しく咳き込みながら空気を吸い込んだ。
寒さと疲労が裕美の身体を襲う。
「……っ、はぁ……はぁ……」
やっとのことで川辺にたどり着くと、そのまま砂利の上に倒れ込んだ。
意識が遠のく——。
夜の静寂が、彼女を包み込んでいった。
第4章:悪魔の正体
「目が3つなら、『いんもらき』という妖怪がいるぞ。」
湯川寺の住職、村田蔵六は、古びた経典をめくりながら言った。
「嘴があって、鳥のような姿をしている。昔、軽井沢に巣を作っていたが、人間に荒らされて暴れたことがある。結局、何かの術で石に封じ込められ、井戸に捨てられたそうだ。」
「角はありますか? それに、マントをつけていますか?」
裕美の問いに、蔵六は首を振った。
「いや、それだと悪魔だな。いんもらきとは別の存在じゃ。」
霊的な存在に詳しい蔵六ですら、今回の件に関しては見当がつかない様子だった。
***
裕美は、日本各地のカトリック教会やプロテスタント教会を訪ね歩いた。しかし、どこも悪魔についての具体的な情報を持っておらず、手がかりは得られなかった。
そんな中、ギリシャ正教(東方教会)を訪れたとき、ついに答えを見つける。
「それは『チャプクル』という悪魔です。」
答えたのは、ウクライナ出身の聖書研究家、ナタリヤ・シメノヴァだった。
「以前、『クズヒル』という悪魔を退治したことがあるけど、それに比べてどう?」
裕美が尋ねると、ナタリヤは静かに首を横に振った。
「チャプクルに比べたら、クズヒルは小物です。比べものになりません。」
彼女の言葉に、裕美の表情が険しくなる。
「蒜田に取り憑いている悪魔を退治するには、ビザンティン帝国時代のキリスト教の儀式が必要です。」
「……儀式?」
「そうです。儀式の一環として、あなたの首と胸の間に小さな十字架の印を刻む必要があります。それが、チャプクルに対抗する力になるでしょう。」
裕美は静かに息を吐いた。体に刻印を施すということは、それだけの危険が伴うことを意味する。
「チャプクルはどうして、この時期に日本に現れたの?」
「悪魔チャプクルは、人の弱さに漬け込んで入り込むのです。まるで蛆のように、どこからともなく湧いてくる……。」
ナタリヤの言葉は、ぞっとするような響きを持っていた。
「つまり、蒜田が悪魔に魂を売っただけではなく、そもそも日本にこの悪魔を呼び寄せてしまった可能性がある、ということか。」
裕美は拳を握りしめた。
「……なら、やるしかないな。」
覚悟を決めた裕美の目には、迷いはなかった。
第5章:霊能探偵 vs. 悪魔チャプクル
深夜、伊田裕美は静かに議員宿舎へと向かっていた。標的は蒜田詩音——いや、彼に取り憑いた悪魔チャプクルだった。だが、悪魔はすでに先回りをしていた。
赤坂公園。夜闇に包まれた静寂の中に、異様な気配が漂っていた。
「……まだ、生きていたか」
闇の奥から、低く響く声が聞こえた。
裕美は足を止め、目を細める。そこには、角が二本、額に第三の目を持つ漆黒の異形が立っていた。マントを翻し、裂けた口を不気味に歪めている。
「あなたの望みは何?」
裕美は冷静に尋ねた。
「わしは蒜田を操り、この国を我が物にする。そして、悪魔が安心して暮らせる楽園——悪魔ランドを築くのだ。邪魔者は容赦しない」
「望むところよ。あたしも容赦しない」
裕美は静かに腰の剣を抜いた。たむならの剣——仙人から授かった、邪悪を断ち切る神器。そして、この剣には今まで討ち倒した霊の記憶が刻まれている。
「面白い……ならば、その剣の力、試させてもらおう」
悪魔は左腕を自ら引きちぎると、それが黒い刃へと変化した。そのまま、一気に裕美へと襲いかかる。
鋼と鋼がぶつかり合い、火花を散らす。
一撃、二撃——激しい剣戟が闇夜に響いた。
次の瞬間、景色が一変した。
公園は消え去り、周囲は広大な砂漠へと変貌していた。熱風が吹き荒び、砂が渦を巻く。
その時——。
「裕美……裕美……」
どこか懐かしい声が響く。
「お父さん……?」
そこに立っていたのは、亡き父の姿だった。優しい瞳で裕美を見つめ、手を差し伸べている。
「そうだよ、裕美。こちらへおいで。昔のように私の腕に抱かれて……」
裕美は一瞬、足を止めた。しかし——。
ナタリヤの言葉が脳裏をよぎる。
『悪魔は人の親しい者になりすまし、本当と嘘を巧みに混ぜる……』
——これは幻だ。
「……あなたは父じゃない!」
裕美はきっぱりと断じ、たむならの剣を構えた。
すると、幻影は霧散し、代わりに仙人の姿が現れた。
「裕美、その剣を返してくれ。わしの剣、たむならの剣じゃ」
「嘘をつくな……」
その瞬間、悪魔は猛然と裕美へ飛びかかった。
「ククク……ならば、お前の体に入り込んでやろう!」
裂けた口が歪み、影のようなものが裕美の耳へと滑り込もうとする。しかし——。
裕美の胸に刻まれた十字架が淡く光を放った。
「ぐあああああ!」
悪魔は苦悶の声を上げ、飛び退いた。
その頃、ナタリヤは遠く離れた聖堂でギリシャ正教の儀式を執り行っていた。光の加護が、確かに裕美を守っていた。
「……終わらせる!」
裕美は目を閉じ、呪文を唱える。全身に刻まれた梵字の刺青が疼き、霊力がたむならの剣へと流れ込む。
「——後ろだ!」
直感が告げる。
振り向きざまに剣を振るうと、たむならの刃が悪魔チャプクルの頭を真っ2つに裂いた。
「ぐおおおおおお!」
悪魔は大きなうめき声を上げ、そのまま砂塵とともに消滅した。
***
ナタリヤは遠く離れた場所にいたが、悪魔の消滅をはっきりと感じ取った。
「終わったわね……」
彼女は静かに十字を切った。
離れた場所にいながらも、裕美とナタリヤの心は確かに通じ合っていた。
第6章:魂の解放
後に判明したことだが、悪魔チャプクルの消滅と同時に、蒜田詩音も息絶えていた。
すでに悪魔に魂を奪われていたのだ。実際には、とっくに死んでいた存在だった。悪魔の操り人形として動いていただけであり、その支配が解かれた瞬間、彼の肉体も崩れ去ったのだった。
***
湯川寺の湯煙が立ち込める風呂場。
裕美は静かに湯船に浸かっていた。戦いの疲れを癒すように、ゆっくりと目を閉じる。首と胸の間に刻まれた十字架の印を指でなぞると、淡く光が揺らめき、それが湯の中へと溶けていった。
「終わったんだな……」
湯の表面に波紋が広がる。裕美は静かに息を吐き、緊張を解いた。
やがて風呂から上がると、寺の奥で待っていた村田蔵六が、湯気の立つカップを手にしていた。
「お疲れさん、裕美。ミルクにココアを入れてみたぞ。特製ココア・オーレだ」
裕美は微笑みながらカップを受け取った。一口飲むと、甘くほろ苦い味が喉を通る。
「霊だけでなく、悪魔に妖獣……裕美の苦労は絶えないねえ」
蔵六が苦笑しながら言う。
裕美はカップを両手で包み込み、ふっと笑った。
「いいんです。千万人に一人の霊能探偵……私の仕事はまだ終わらないわね。後悔はありません」
そう言うと、彼女は静かに空を仰いだ。
夜の風が吹き抜け、どこか遠くで梵鐘が鳴る。
——闇は消えた。しかし、新たな闇はきっとまた訪れる。
それでも、伊田裕美は戦い続ける。
彼女は、霊能探偵なのだから。
(完)
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。
本作では、政治という現実世界の舞台と、悪魔という超常的な存在を組み合わせることで、読者の皆様に「もしこんなことが起きたら……?」というスリルと興奮を味わっていただけたのではないかと思います。
霊能探偵・伊田裕美は、これまでも数々の怪奇事件を解決してきましたが、今回は敵が「人間ではないもの」であり、より一層過酷な戦いとなりました。悪魔チャプクルとの決戦は、彼女にとっても今までにない試練だったことでしょう。しかし、それでも彼女は戦い続けます——それが、霊能探偵としての宿命なのです。
本作を執筆しながら、政治の世界がいかに「人の欲望」が渦巻く場であるかを改めて考えさせられました。時代を問わず、権力を求める者たちは後を絶たず、その裏では見えない力が働いていることもあるかもしれません……。そんな現実の政治に対する皮肉も、本作のテーマの一つでした。
さて、伊田裕美の物語はまだまだ続きます。次はどんな怪奇事件が待ち受けているのか、私自身も楽しみです。またお会いできる日を心待ちにしております。
それでは、また次の物語でお会いしましょう。
ありがとうございました。




