霊能探偵・伊田裕美 赤城山の山姥
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霊能探偵、そして霊能戦士として邪悪な存在に立ち向かう女性、伊田裕美の新たな冒険をお届けします。今回の舞台は赤城山。歴史深いこの土地に潜む謎と恐怖を、裕美がどのように解き明かしていくのか、ぜひ最後までお楽しみください。
【登場人物】
伊田裕美:霊能探偵、旅行ルポライター、ショートカットの黒髪を持ち、知的な印象を与える黒のスーツに身を包んでいた。端正な顔立ちと鋭い眼差しが特徴で、どこか探偵のような雰囲気を漂わせていた。
伝兵衛:旅行雑誌編集長。
村田蔵六:陰陽師で湯川寺の住職、幽霊探偵の相談相手。
松原恵子:温泉女将。
第1章:赤城山に現れた謎の宿
霊能探偵・伊田裕美は険しい表情で赤城山の麓に立っていた。薄暗い空が彼女のショートカットの黒髪を微かに揺らす。裕美は旅行ルポライターとして、そして霊能探偵として、これまで幾多の怪異を解明してきた。
赤城山の中腹に、一夜にして温泉宿が建ったという奇妙な噂が広まっていた。地元の人々はそれを「城山伝説」の再来と囁き、得体の知れない不安が山麓の町を包んでいる。
裕美は鋭い目を山の方に向けながら、右手をそっと胸元に添えた。服の下に隠された彼女の身体には、顔と胸元、そして秘められた花園以外の全身に梵字の刺青が施されている。それは彼女が千万人に一人の特別な存在である証、邪悪と対峙する運命を背負っていることを示していた。
裕美には強力な味方があった。かつて仙人から授かったという三種の神器――「たむならの剣」「たむならの鏡」、そして彼女の母が遺した「たむならの勾玉」が、彼女を護るようにして常に身を飾っている。彼女の使命はただ一つ、この世の邪悪を滅ぼすことだった。
赤城山に現れた謎の宿は、異様な雰囲気を醸し出していた。一夜にして宿が建ったにもかかわらず、工事が行われた気配も機材の搬入すら確認されていない。まるで忽然とそこに生まれ落ちたかのように存在している。
そして翌日、町や村の伝言板に突如として温泉宿の宣伝が貼り出された。妙なことに、その広告には「若い男女カップル限定、宿泊料金は通常の十分の一」という不可解な誘い文句が記されていた。
宿の女将、松原恵子は美しい長い髪をゆったりとまとめ、おっとりとした穏やかな微笑を浮かべる熟年女性だった。彼女の容姿を見ただけで、宿を訪れた者たちは皆、心惹かれた。旅館の奥には等身大の女将の肖像画が飾られており、その絵はまるで生命を吹き込まれたかのように生々しく、見る者の心を捕らえて離さなかった。
小島伝八とその妻こいわという若夫婦は、宿泊料の安さに惹かれ宿を訪れた。しかし、その日以来、二人の姿を見た者はいなかった。町では「最初の犠牲者だ」と不気味な噂が囁かれ始めていた。
裕美は赤城山の方角を見据え、その眼差しをさらに鋭くした。
「この温泉宿、やはりただの宿ではなさそうね……」
彼女の言葉には静かな闘志が宿っていた。赤城山の闇に隠された真実に迫る彼女の戦いが、今まさに幕を開けようとしていた。
第2章 不気味な兆候
温泉宿の女将・松原恵子は優雅な笑みを浮かべ、小島夫婦にやわらかな声で頼んだ。
「どうかSNSで、この宿を広めていただけないでしょうか。多くの方にこの美しい赤城山の温泉を知っていただきたいのです」
夫婦は快諾した。晩御飯は地元の新鮮な山の幸で彩られていた。天ぷらは海老や魚ではなく、ごぼうや山菜が香ばしく揚げられていた。不思議なことに、宿の中には調理人や仲居の姿が一切見えない。すべてを女将が一人で切り盛りしているようだった。
食事を終え、小島こいわが浴場に足を踏み入れたとき、ふと背筋に冷たいものが走った。誰かにじっと見られているような気配が浴室の奥に漂っている。辺りを見回しても何も見えないが、確かに得体の知れない視線を感じた。
その気配の正体は、薄暗い浴室の隅に潜む白髪の老婆だった。老婆の瞳は鋭く、虎視眈々と若夫婦を見つめ、ゆっくりとその気配を深く忍ばせていた。
風呂から出た小島夫婦を待っていたのは、再び柔らかな微笑を浮かべた女将だった。
「お食事とお風呂はいかがでしたか?」
夫婦は満足げに頷いたが、女将の視線にはどこか不気味な違和感があった。彼女の微笑は一瞬だけ歪み、その目は奇妙な輝きを帯びていた。壁に掛けられた女将の肖像画にも不穏な変化があった。以前よりも生気を帯び、肌には微かな血色が差し、まるで若返っているように見えた。
「小島伝八さん、小島こいわさん」
女将の声は低く囁くように二人の名前を呼んだ。
「はい」
夫婦は自分たちの意志に反して、まるで操られたように素直に返事をした。途端に、二人はまったく身動きが取れなくなった。
女将が口を大きく開けると、その口元からは闇が滲み出した。闇が夫婦を覆い、二人の魂をあっという間に吸い込んでいった。
***
一方、伊田裕美は郷土資料館で赤城山に伝わる古い資料を調べていた。古文書や伝承から浮かび上がるのは「山姥」と呼ばれる妖怪の存在だった。かつて赤城山で人々を襲い、その魂を喰らったという伝説。
裕美は資料を読み進めるうちに、宿の女将の正体に徐々に迫りつつあった。犠牲者が出始めていることを直感し、彼女の表情はますます険しくなっていった。だが、女将はまだその正体を巧妙に隠している。裕美は注意深く慎重に行動しなければならないと自らを戒めていた。
第3章:肖像画の謎
翌朝、小島夫婦の姿は宿から消えていた。
同じ宿に泊まっていた壮年夫婦が不思議に思い、女将に尋ねた。
「ああ、あのお二人は早朝にお立ちになりましたよ。若い方の行動は予測がつきませんね。ふふ……」
女将の笑みには何か底知れないものが含まれていた。壮年夫婦はふと壁の肖像画に目を向け、その表情を曇らせた。
「あなた、昨日よりも肖像画が生き生きとして見えるのは気のせいかしら?」
「まさか……そんなことあるはずないだろう。気のせいだよ」
しかし、壮年夫婦はその肖像画から目を離せなかった。肌にはさらに生気が宿り、目には鋭い輝きが増している。まるで本物の人間がそこにいるかのように、静かに、だが確実に肖像画は生命力を帯びていった。
***
小島夫婦がSNSで宿を紹介した効果は絶大だった。新たに二組の若いカップルが宿を訪れた。彼らが到着するたびに、肖像画はさらに若返りを見せ、生気に満ちていく。不気味なその変化に気づく者はいなかった。
一方、伊田裕美は赤城山の温泉宿に潜入することを決意した。彼女の申し出に編集長の伝兵衛は難色を示したが、新しくできた温泉旅館の取材という建前で何とか了承を得た。裕美の決意を見て取った伝兵衛は渋々ながらも、その宿の背後にある企業や人物について調査を始めてくれた。
また、裕美は東京の湯川寺にいる和尚・村田蔵六にも連絡を取った。
「赤城山は修験道が盛んな土地だ。山岳信仰と山姥の伝承が深く絡み合っている。くれぐれも油断するなよ、裕美」
村田の声は静かだが重く響いた。
「わかっています」
「それから……山姥に名前を呼ばれても決して返事をしてはいかん。魂を吸い取られてしまうぞ」
村田の警告に、裕美は深く頷いた。赤城山の闇に踏み込む準備が、着々と整いつつあった。
第4章:山姥の正体
伊田裕美は険しい山道を一人静かに歩いていた。薄暗い木々が頭上でざわめき、風が微かに髪を揺らす。彼女は慎重に周囲を確認しながら、赤城山に建つ謎の温泉宿を目指した。
宿の入口に着くと、女将が笑顔で裕美を迎えた。
「おや、女性のひとり旅とは珍しいですね」
女将の目が一瞬鋭く光ったが、すぐに穏やかな笑みに戻った。
「お泊まりいただけますが、もし若いカップルのお客様が来られましたら、お部屋を空けていただくことになりますが、よろしいですか?」
「ええ、構いません」
裕美は女将の様子や宿の壁に掛かる肖像画の異様な雰囲気をすぐに感じ取った。肖像画の美しさは尋常ではなく、生きているような生々しさを帯びている。
宿泊客は若いカップル一組だけだった。その晩、突如、若夫婦の悲鳴が宿に響き渡った。裕美は瞬時に駆けつけたが、目に映ったのは信じがたい光景だった。若夫婦の魂が山姥――女将の口に吸い込まれているところだった。
女将の外見が急激に変わった。頭には一本の鋭い角が生え、白髪が乱れ鋭い牙が覗く。肖像画の美しさとは正反対の恐ろしい姿だった。
「ついに正体を現したわね、赤城山の山姥!」
裕美は山姥を睨みつけた。
「ふふ、そうさ。私は昔からこの山に住む山姥さ。かつて人々は祭りで私を鎮めてきたが、最近は若者が私の聖地を荒らすばかりだ。だから若者の魂を喰らって若返っているのさ」
「奪った魂を返しなさい」
裕美は毅然とした態度で告げた。
「嫌だね!力づくで奪ってみろ、伊田裕美!」
その瞬間、裕美は村田蔵六の警告を思い出した。
(山姥に名前を呼ばれても決して答えてはいけない――)
裕美は静かに、仙人から授かった「たむならの剣」を鞘から引き抜いた。この世の邪悪を断ち切るために存在するその刃は、不気味な静寂の中で淡く輝いた。
しかし、山姥は余裕の表情で不敵に笑い、自らも鋭く長いサーブルを取り出した。
「面白い、かかっておいで!」
山姥の挑発とともに、激しい剣戟が始まった。裕美の剣と山姥のサーブルがぶつかるたびに火花が飛び散り、静かな夜の空気を切り裂いた。互いの鋭い一撃が交差し、何度も激しく火花を散らした。
激しい攻防の中、裕美の鋭い一撃が山姥の胸を突き刺した。確かな手ごたえがあったが、山姥は平然と笑い続けた。
「死なない……!?」
裕美は驚きを隠せなかった。
「ふふふ、その程度の攻撃では私は倒れないよ!」
裕美は焦る心を抑え、目を閉じて深く集中し、静かに呪文を唱え始めた。その瞬間、顔や胸元、秘められた花園を除く彼女の全身に刻まれた梵字が神秘的に光り輝き始めた。
裕美は再び目を開き、瞬時に宿に掛けられていた女将の肖像画に狙いを定め、鋭く振り下ろした。
「ぎゃあああああっ!」
肖像画が真っ二つに裂けると同時に、いくつもの白い霊魂が悲痛な声を上げながら飛び出し、虚空へと消えていった。山姥は苦しみの叫びを上げ、足元から崩れ始め、やがて煙のように消えていった。
焼け焦げた肖像画が床に散り、裕美は静かに息を整えながら勝利の余韻を噛み締めていた。
第5章:幻想の崩壊
切り裂かれた肖像画から飛び出した白い霊魂たちは、それぞれ元の持ち主のもとへと舞い戻った。魂を奪われていた者たちは次々と目を覚まし、困惑と安堵の表情を浮かべながら周囲を見渡した。
裕美は宿の奥にある布団部屋へと向かった。そこには葛籠が置かれており、中には山姥が隠していた犠牲者たちの身体が横たわっていた。魂がそれぞれの肉体に戻り、息を吹き返した人々は、最初は恐怖に震えていたが、徐々に落ち着きを取り戻し、互いの無事を確かめ合った。
後日、裕美は郷土資料館で発見した江戸時代の古文書を再び確認した。記録によれば、赤城山の山姥は魂を抜き取った犠牲者の遺体を山の谷底へ落とし、鳥葬していたという。今回の事件では、裕美の迅速な対応のおかげで犠牲が最小限に抑えられ、山姥はそこまで手を出すことができなかったのだ。
旅館に取り残されていた人々は、魂が戻ったことで正気を取り戻し、喜びと感動に包まれながら互いに抱き合った。安堵の笑顔がその場を満たした。
しかし次の瞬間、人々が驚きの表情を浮かべる中、温泉旅館は徐々に輪郭を失い始めた。建物の壁や柱が透け始め、やがて床や屋根も霞のように消えていく。まるで幻影が解けるように、温泉宿は跡形もなく虚空へと消え去った。
すべては山姥が生み出した幻想に過ぎなかったのだ。
裕美はその場に静かに立ち、消えゆく幻を見つめながら静かに呟いた。
「これでようやく、終わったのね……」
第6章:エピローグ
赤城山での騒動を無事に終えた裕美は、爽やかな風を感じながら山を下り、麓の小さなカフェに立ち寄った。明るい日差しが窓辺を照らし、穏やかな空気が店内を包んでいる。
裕美はコーヒーを一口飲み、小さく微笑んだ。
「取材対象の温泉宿が消えてしまったから、今回の記事は没ね。まあ、こんなこともあるわよね」
肩をすくめて、心地よい疲れと安堵感を味わいながら、裕美は東京への帰路に思いを馳せた。
「さて、早く戻って次の仕事に取り掛かりましょうか」
彼女は優しい笑顔でつぶやき、しばし穏やかな時間を楽しんだ。
霊能探偵、霊能戦士・伊田裕美の戦いはまだ続く――。
(完)
いかがでしたでしょうか。霊能探偵・伊田裕美が挑む新たな怪異『赤城山の山姥』。
今回も裕美の活躍をお楽しみいただけましたら幸いです。
次回作もぜひご期待ください。応援ありがとうございます。




