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霊能探偵・伊田裕美 蛇女

人ならざるものとの対峙──。

科学では説明のつかない怪異が、この世界には今もなお存在している。霊能探偵・伊田裕美が挑むのは、そんな人知を超えた存在との戦いだ。今回、彼女が向かったのは、埼玉の山間部に広がる温泉地。その地には「30歳までに30人の男と交わると蛇女になる」という言い伝えが残されていた。

これはただの迷信か、それとも──。

都市の闇に潜む妖怪伝説が、今まさに静かに目を覚ます。

 【登場人物】

 伊田裕美いだ ひろみ:霊能探偵、旅行ルポライター、ショートカットの黒髪を持ち、知的な印象を与える黒のスーツに身を包んでいた。端正な顔立ちと鋭い眼差しが特徴で、どこか探偵のような雰囲気を漂わせていた。

 伝兵衛でんべい:旅行雑誌編集長。

 村田蔵六むらた ぞうろく:陰陽師で湯川寺とうせんじの住職、幽霊探偵の相談相手。

 大野満子おおの みつこ:経理担当の女性。


 第1章:変貌の刻

 深夜0時。

 大野満子は全身が燃えるように熱いのを感じた。

 頭が割れるように痛み、次の瞬間、鏡に映った自分の顔が変わっていることに気づいた。

 ──裂けた口、鋭い牙、爬虫類のような目。

 「いや…いやぁぁぁ!」

 満子は悲鳴をあげたが、すぐに声が笑いへと変わった。

 「ああ…これでようやく、男たちを思い通りにできる…」

 彼女はゆっくりと暗闇へと溶け込んでいった。


 第2章:温泉の安息

 埼玉県の山間に広がる静寂な温泉地。霊能探偵であり旅行ルポライターの伊田裕美は、久しぶりの温泉取材でこの地を訪れていた。

 「このところ怪奇現象ばかりだったからね。たまにはこういう緊張のない仕事も悪くないわ。伝兵衛の小言を聞かずに済むのもいいわね。」

 湯気が立ち込める露天風呂に身を沈めると、裕美の身体のあちこちに刻まれた梵字の刺青が湯に浮かび上がった。それは彼女の宿命を示す刻印であり、霊力を高めるための防護でもある。

 顔、胸、そして花園──その三箇所だけには刺青はなかった。唯一、自らに残した人間らしさの象徴。

 「ここまで失ってしまうと……私はもう人間ではなくなるのかもしれない。」

 そっと胸に手を当てながら、彼女は呟いた。


 ***


 武蔵の国には、足利時代から続く奇妙な言い伝えがある。

 ──30歳になる前に30人の男と交わると、蛇女になる。

 平安の世では、貴族の間で処女よりも性を知る女が好まれた。しかし、武士の時代になると純潔が重んじられ、乱れた女は忌み嫌われた。その名残だろうか。しかし、処女を好む文化と30人以上の情交ではあまりにも乖離がある。

 蛇女とは何者か。

 その風貌は一見人間と変わらない。しかし、目は爬虫類のごとく光り、口は裂け、自在に蛇へと変化する。男を誘い、裂けた口から頭を丸呑みにし、魂を吸い尽くす。魂を奪われた人間は即死し、その抜け殻は無造作に吐き捨てられる。

 令和の時代にあって、それはただの民間伝承にすぎない。


 ***


 大野満子。

 肩まで伸びた黒髪が艶めき、どこか妖艶な雰囲気を持つ女性。

 幼い頃に父を失い、男を選ぶ基準は常に父親に似た存在だった。

 彼女は30歳になる前に、とっくに30人以上の男と交わっていた。

 高校卒業後、様々な職を転々としたが、今は小さな会社の経理を担当している。その会社の男性社員は30人ほど──そして、彼女は全員と関係を持った。

 夜ごとに父の面影を追い求め、街をさまよう。

 新たな男と夜を共にするたび、心の隙間を埋めるかのように抱かれる。

 だが、朝が来ると、いつも同じ感情が満子を襲った。

 「やはり違う……。」

 男たちは決して、彼女が求める父親の代わりにはならなかった。

 幻滅した表情のまま、彼女はまた新たな男を探しに街へ消えていった。


 第3章:闇に蠢くもの

 満子の身体に異変が現れ始めたのは、29歳を迎えた頃だった。

 最初は些細な変化だった。肌が異様に乾燥し、入浴のたびに細かい皮膚が剥がれ落ちる。それだけなら単なる代謝の変化と思えた。しかし、次第に喉が異様に渇き、水をいくら飲んでも乾きは癒えなかった。

 それに加えて、食欲が異常に増した。普段は軽く済ませていた朝食も、気づけば大量に食べていた。夜になると、無性に生肉が欲しくなることもあった。満子は不安を覚えながらも、深く考えないようにしていた。

 そして、ある朝、鏡を覗き込んだ瞬間、満子の心臓が凍りついた。

 目が異様に膨らんでいる。まるでカエルのように大きくなり、瞬きをするたびに、薄い黒い膜が横にスッと閉じたのだ。自分の変化を認めたくなくて、何度も目を擦った。しかし、異変は確かにそこにあった。

 そんな折、久しぶりに実家を訪れた満子に、母が何気なく言った。

 「30歳前に30人以上の男と関係を持つと、蛇女になるんですってよ。」

 「何を言っているのよ、お母さん」

 満子は軽く笑い飛ばしたが、その言葉が頭から離れなかった。


 ***


 30歳の誕生日が近づくにつれ、満子の変化はさらに加速していった。

 誕生日の0時を迎えた瞬間、突如として激しい頭痛が襲った。

 「う…ぐぅあああああっ!」

 脳が焼けるように痛む。全身が震え、骨がバキバキと軋む音がした。

 背骨が異常に長く伸び、体の輪郭がぐにゃりと歪む。指が痙攣しながら縮み、やがて鋭い爪が伸びてきた。裂けるような激痛が口元を走ると、唇が裂け、牙が覗いた。

 「いや……いやああああ!!」

 満子は叫んだが、声が異様に低く変化していく。次の瞬間、皮膚が波打つように蠢き、全身が鱗に覆われていくのを感じた。

 そして、彼女の身体は蛇へと変貌した。

 壁を難なく這い上がり、隙間をするりと通り抜けた。もはや人間の皮膚ではない。獲物を探すため、本能のままに繁華街へと向かった。


 ***


 田中和人は、残業を終えて終電から降り、家路を急いでいた。

 そのとき、暗闇からひっそりと女が現れた。

 「こんばんは。」

 艶のある声。田中は思わず足を止めた。

 「この辺りで飲める場所、知らない?」

 女は微笑んだ。笑顔は完璧だったが、何かがおかしい。獲物を見つめる蛇のような視線。

 「……いい店、知ってます。」

 田中は誘われるままに暗がりへ入った。どこか不安があったが、抗えない魅力があった。

 「あなたも……私の中に来る?」

 次の瞬間、田中の身体は冷たい感触に包まれた。

 「苦しい……!」

 彼の身体は知らぬ間に、大蛇にぐるぐると巻きつかれていた。

 締め上げられ、骨が軋み、バキバキと砕ける音が響いた。

 「ぐ……っ!」

 気が遠くなった瞬間、視界が暗転した。

 大蛇は、田中の頭を丸呑みにし、その魂を吸い取った。

 あっという間に、彼はただの抜け殻となった。


 ***


 翌朝、薄暗い路地裏で、一人の中年の男の死体が発見された。

 その姿は異様だった。全身の骨は無惨に砕かれ、皮膚は弛緩し、まるで何かに締め上げられたかのようだった。警察も監察医も、その惨状を前にして言葉を失った。

 「どうすれば、こんなに骨がバラバラに砕けるんだ……?」

 誰かが呟いた。だが、誰にも答えられなかった。

 唯一の手がかりは、男の首元に残された牙の痕。通常の獣がつけるものとは明らかに違う。巨大な蟒蛇うわばみが頭から齧りついたような跡だった。


 ***


 伊田裕美は、現場に足を踏み入れた瞬間、全身の肌が粟立つのを感じた。

 肌に刻まれた梵字の刺青が疼く。

 「これは……霊か、あるいは妖獣の仕業……?」

 彼女は眉をひそめ、スマホを取り出すと、すぐに湯川寺の住職、村田蔵六へ電話をかけた。

 「ところで、今、お主はどこにいるのじゃ?」

 「埼玉県の越谷市よ。」

 電話越しの蔵六の声が途端に険しくなる。

 「越谷……越谷、か……そこには“蛇女”の伝説がある……。」

 その言葉を聞いた瞬間、裕美の脳裏で断片的な情報がつながった。

 伝説に語られる蛇女。

 夜闇に紛れ、人の魂を喰らう怪異。

 そして、今朝見た無惨な死体。

 全てがひとつの線となる。

 「……なるほど。」

 裕美は短く呟くと、すぐに行動を開始した。

 その日の午後、彼女は郷土資料館へ向かった。古い伝承を探るためだ。

 しかし、資料を調べる前に、スマホがけたたましく鳴った。

 発信者は、旅行雑誌の編集長・伝兵衛だった。

 「取材の方は順調か?」

 「ええ、特に問題はないわ。」

 「そうか……。ところで、今朝のニュースは見たか?」

 「ニュース?」

 裕美が惚けて聞き返すと、伝兵衛の声が一段低くなった。

 「変死体が出たらしいぞ。まさか、お前また妙な事件に首を突っ込んでるんじゃないだろうな?」

 「ははは、大丈夫ですよ。」

 「……いいか、関わっていたら、本来の出張費は払わんぞ。」

 いつになく険しい口調だった。伝兵衛は怪奇事件に関わることを嫌っている。

 裕美は苦笑しながら、電話を切った。

 「さて……調べるべきことが増えたわね。」

 彼女は郷土資料館の扉を押し開けた。


 第5章:犠牲者

 最終電車が静かに駅に滑り込んだ。

 大関洋之進おおぜき ようのしんは、泥酔状態でふらふらとホームに降り立った。足元がおぼつかず、一歩踏み出すたびに体が傾ぐ。酒臭い息を吐きながら、千鳥足で改札へ向かう。

 「くそっ……飲みすぎたな……」

 かすれた声で独り言ちた。そのとき、暗がりからひっそりと女性が現れた。

 「……こんばんは。」

 女の声は甘く、妖しく響いた。酔いのせいか、視界がぼやけている。だが、彼女の姿は異様に艶やかに見えた。

 「この辺りで、一緒に飲める場所、知らない?」

 そう囁かれた瞬間、大関の脳内に警鐘が鳴った。だが、泥酔した思考はすぐにその危機感をかき消した。

 「いいねぇ……付き合うよ。」

 誘われるまま、彼はふらふらと暗がりへと足を踏み入れた。


 ***


 そこは小さな畑の中だった。夜の湿った空気が肌にまとわりつく。

 「ここで……いいの?」

 大関がそう呟いた瞬間、女の顔がふっと歪んだ。

 「ええ、十分よ……あなたの魂をいただくには。」

 次の瞬間、女の身体が異様に蠢いた。黒い影が広がり、彼を包み込む。

 「な、なんだ……?」

 気づいたときには遅かった。冷たい感触が足元から這い上がり、彼の身体に巻きついた。

 「やめろっ!助けてくれ!」

 叫び声が夜の闇に吸い込まれる。

 蛇女の身体が、大関の胴にぐるぐると巻き付き、徐々に締め上げていく。骨が軋む音が響いた。

 「助けて……助け……」

 次の瞬間、バキバキと骨が砕ける音が響いた。

 もはや、彼の声は出なかった。

 鋭い二本の牙が、彼の肩に突き刺さる。

 その刹那、魂が抜き取られた。

 残されたのは、ただの抜け殻だけだった。


 第6章:霊能探偵対蛇女

 夜の駅は静まり返り、街灯の明かりがぼんやりとホームを照らしていた。

 伊田裕美は息を潜め、闇に紛れながら獲物を狙う蛇女を待ち受けていた。冷たい夜風が頬を撫でる中、第3の被害者が吸い寄せられるように暗がりへと歩いていく。その男は、疲れ切った表情を浮かべながらも、艶やかな女の囁きに抗えず、ふらふらとついていった。

 ──今だ。

 裕美は素早くその場へ飛び込んだ。その瞬間、男はようやく目の前の女がただの人間ではないことに気づいた。

 「そこまでよ、その人を離しなさい!」

 男はその声に驚き、蛇女から距離を取ろうと足をもつれさせながら後退した。しかし、全身を包む寒気と本能的な恐怖に突き動かされるように、何も考えずに背を向け、全力で逃げ出した。

 鋭い声が闇を切り裂いた。

 男は足元も見ずに走った。駅のホームを駆け抜け、人気のない夜道へ飛び出す。呼吸は荒く、心臓が破裂しそうだった。背後では、蛇女と裕美の対峙が続いていたが、男には振り返る余裕もなかった。ただ逃げることに必死だった。

 蛇女はゆっくりと振り返る。目は異様に大きく、爬虫類のような輝きを放っている。薄く開かれた口元から、異様に長い舌が覗いた。

 「誰だい?」

 「霊能戦士・伊田裕美よ。」

 蛇女は嘲るように笑みを浮かべた。

 「聞いたこともないね……お前さん、処女だろう? 処女のお前さんが、あたしに勝てると思うのかい?」

 蛇女は右手をゆっくりと差し出し、手のひらを広げた。その中には銀色に輝く蛇の鱗があった。

 「この鱗をお前の体内に取り込めば、お前も蛇女になれるよ。」

 甘く誘う声。しかし、裕美の瞳に迷いはなかった。

 「悪いけど、私はそんなものには興味ないわ。」

 裕美は腰に帯びた「たむならの剣」を抜く。霊力が満ち、刀身がわずかに発光した。

 しかし、蛇女は一瞬で巨大な大蛇へと変貌した。うねるような胴体が裕美を包み込む。

 「さあ、お食べなさい。」

 蛇女の手が伸び、銀色の蛇の鱗が裕美の唇へとゆっくり迫っていく。

 次の瞬間──

 全身に刻まれた梵字の刺青が強烈な光を放った。

 「うあぁぁぁっ!」

 蛇女は悲鳴を上げ、裕美を締め上げていた身体をほどいた。同時に、鱗が手からこぼれ落ちる。

 裕美は鋭い目で蛇女を見つめた。

 「彼女もまた、ただ愛を求めていただけなのかもしれない……。」

 一瞬、裕美の瞳に哀れみが宿る。

 しかし──

 「……でも、それでも、人を喰らう者を放っておくわけにはいかないの。」

 決意を固めると、裕美は一気に剣を振り下ろした。

 蛇女の首が宙を舞い、暗闇に消えた。

 ──あっけない最期だった。


 第7章:エピローグ

 翌朝、裕美は東京行きの新幹線に乗り込んだ。車窓の外には、昨夜までの戦いが嘘のように穏やかな風景が広がっている。

 「結局、蛇女も哀れな女だったのかもしれない……。」

 静かに呟きながら、彼女はスマートフォンを取り出し、旅行雑誌の編集長・伝兵衛に原稿を送る準備をした。

 「変な事件に巻き込まれず、普通に取材ができた」とでも書いておくか。

 くすりと微笑みながら、メールの送信ボタンを押した。


 ***


 東京に戻ると、裕美はいつものカフェに立ち寄った。

 ミルクたっぷりのカフェオレを注文し、窓際の席に腰を下ろす。

 ふと、ガラス越しに映る自分の顔を見つめた。

 ──その瞬間、目の奥が奇妙に光った気がした。

 「……まさか。」

 思わず瞬きをして確かめるが、何も変わらない。

 「疲れているのかしら……」

 そう自分に言い聞かせるように呟き、カフェオレに口をつけた。


 ***


 帰りの電車。

 揺れる車内で、裕美はふと、隣の女性の手元に目を向けた。

 その指先には、銀色に光る小さな鱗が張り付いている。

 「……気のせいか?」

 一瞬、胸がざわついたが、裕美は深く息を吸い、目を閉じた。

 その直後、女性がゆっくりと顔を向けた。

 一瞬、 彼女の瞳が、爬虫類のように妖しく光った。

 (完)

人間の欲望と怪異が交錯する物語を書きたいと思い、本作を執筆しました。

「蛇女」というモチーフは、単なる怪物ではなく、愛を求めた末に生まれた存在です。その悲哀と恐怖をうまく描けていれば幸いです。

霊能探偵・伊田裕美は、これからもさまざまな怪異と対峙していくことになるでしょう。彼女の次なる戦いに、ぜひご期待ください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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