霊能探偵・伊田裕美 呪の動画配信
SNSが日常に溶け込み、誰もが自由に言葉を発信できる時代になった。しかし、その自由が人を傷つけ、時には命を奪うことがある。炎上、誹謗中傷、ネットリンチ——それらの闇に飲まれた者の怨念は、果たしてどこへ向かうのだろうか。
本作は、霊能探偵・伊田裕美が「呪いの動画」の怪奇現象に挑む物語である。人々を襲う呪いの正体とは何なのか? そして、SNSに潜む「業」とは。
あなたもまた、画面越しにこの呪いの片鱗を感じることになるかもしれない。
【登場人物】
伊田裕美:霊能探偵、旅行ルポライター、ショートカットの黒髪を持ち、知的な印象を与える黒のスーツに身を包んでいた。端正な顔立ちと鋭い眼差しが特徴で、どこか探偵のような雰囲気を漂わせていた。
伝兵衛:旅行雑誌編集長。
村田蔵六:陰陽師で湯川寺の住職、幽霊探偵の相談相手。
第1章:事件の発端
SNSの世界は、一度炎上すれば、瞬く間に広がり、無数の声が渦を巻いて個人を飲み込んでいく。茅山多夢乃は、その炎の中心にいた。
それはある日の午後だった。携帯が鳴り、通知が止まらない。開いたSNSの画面には、見知らぬ人間たちの罵倒が並んでいた。
「詐欺女」「嘘つき」「金で男を破滅させる悪魔」
茅山の指が震えた。彼女は何もしていない。なのに、なぜ——。
すべての始まりは、佐藤蛭馬市議会議員の動画配信だった。
『私の友人が彼女と同意の上で関係を持ったそうです。すると翌日、警察官が友人の元へやってきました。彼女が強姦されたと被害届を出したということです。警察官は「三日間の猶予を与えるので、当人同士で解決しなさい」と言い残し、立ち去ったというのです。友人は、彼女を呼び出しました。
「話が違う。何が目的なんだ?」
彼女はゆっくりと微笑み、言ったそうです。
「一千万円払えば、すべてなかったことにしてあげる」
友人は仕方なく支払ったそうなんです。これはですね、後になってわかったことなんですが、彼女には“300万円女”というあだ名があったそうなんです。一晩で300万円を要求することで知られた女——』
拡散は一瞬だった。誰もが嘲笑し、罵った。
「ありえない……」
茅山は涙を堪え、震える指でスマホを持ち、ライブ配信を開始した。
「私はそんなこと、していません……これは、デマです!」
必死に訴えた。しかし、その瞬間、画面が乱れた。ノイズが走り、音声が消え、映像が歪んでいく。
視聴者たちはざわめいた。「ハッキング?」
パニックになりながらも、彼女は叫んだ。
「違う! 信じて——」
だが、画面は突然ブラックアウトし、配信は強制終了した。
その後、炎上はさらに加速した。
「やっぱり嘘だったんだ」「本当のことを言われたから妨害したんだろ」
脅迫メッセージが止まらない。心が壊れそうだった。
そして、その夜。
彼女は、自室で静かに首を吊った。
しかし、悪夢はそこで終わらなかった。
彼女の死後、突如、ネット上に奇妙な動画が投稿され始めた。
それは、暗い部屋の映像だった。カメラが揺れながら進む。壁には黒ずんだ手形がこびりついている。そこに、ひとりの女が立っていた。
黒髪が顔を覆い、ぼそぼそと何かを呟いている。しかし、音声は途切れ途切れで、言葉は聞き取れない。
最初にそれを見たのは、佐藤議員だった。
翌日、彼は自宅で変死していた。壁には血文字でこう書かれていた。
『見た?』
そして、その後も。
動画を見た者たちが、次々に不審な死を遂げていく。
「動画を……見てしまった……」
それが、彼らの最後の言葉だった。
第2章:調査・恐怖の拡大
伊田裕美は、東京の喧騒を抜け、古びたカフェの奥の席でノートパソコンを開いた。薄暗い照明が、画面のブルーライトをより際立たせている。彼女が追っているのは、茅山多夢乃の死後に拡散された「呪いの動画」。
「この動画……削除しても、また別のアカウントから復活してる」
裕美は唇をかみしめた。SNSの運営が動画を何度削除しても、必ずどこかで復活する。それも、炎上に関与した者の投稿に絡みつくように現れ、やがて彼らを死へと追い詰めていく。
まず死んだのは佐藤蛭馬議員。次に、彼の発言を支持し茅山を罵倒していたインフルエンサー、そして炎上に便乗した匿名のアカウントの持ち主たち——。彼らは全員、死の直前に「動画を見た」と言い残していた。
「偶然にしては、できすぎているわね」
裕美はコーヒーを口に運びながら、動画をもう一度再生する。薄暗い部屋の中で黒髪の女がぼそぼそと何かを呟く。だが、音声は乱れ、言葉ははっきりとは聞き取れない。映像を注意深く見ていたその時——。
「……ッ!」
裕美は一瞬、画面を閉じかけた。画面の隅、ノイズの奥に、異様なものが映り込んでいた。
それは、女の顔だった。
いや、それは顔と呼ぶにはあまりに異質だった。目が異様に大きく、口元は裂けるように歪んでいる。カメラを覗き込むようにして、まるで視聴者を見つめているようだった。
「くっ……」
裕美は心を落ち着け、呼吸を整えた。霊的な力を持つ彼女は、これまでにも数々の怪異を目の当たりにしてきた。しかし、この動画の不気味さは、それらとは違う何かを孕んでいる。
「この動画……ただの怪談じゃない。本当に呪われている」
そう確信した瞬間、彼女の携帯が鳴った。発信者は、旅行雑誌の編集長・伝兵衛だった。
「裕美、まずいぞ……動画に関わった連中が、次々に死んでいる」
「ええ、知ってるわ。私も今、調べているところよ」
「それだけじゃない。死ぬ前の連中の手首を見たか?」
「……手首?」
伝兵衛は息を呑むような声で続けた。
「全員、手首に同じ傷を残していた。まるで何かに引っかかれたような傷だが……それが、文字になっているんだ」
「文字……?」
「そうだ。『@ayano_kym』——茅山多夢乃のSNSアカウント名だ」
裕美は目を見開いた。
「死んだはずの茅山が……まだ何かを訴えている?」
呪いの正体は、まだ霧の中だった。しかし、彼女は確信する。この動画が、単なる都市伝説では終わらないことを——。
第3幕:真相の発覚
霊能探偵・伊田裕美の調査は、驚くべき真実へと繋がっていた。
茅山多夢乃——彼女は本当にただの被害者だったのか?
動画を巡る怪奇現象、次々と死んでいく炎上の加担者たち。裕美は事件の発端に戻り、彼女の過去を深く掘り下げた。そして、ついに決定的な事実を見つけたのだった。
「……これは……?」
パソコンの画面に映し出されたのは、数年前のSNSの投稿だった。そこには、茅山多夢乃が誰かを激しく糾弾するコメントが並んでいた。
『この女、最低。許せない』『犯罪者がのうのうと生きているなんて、ありえない』『お前の人生、終わらせてやるよ』
その対象となっていたのは、無名の若い女性インフルエンサーだった。彼女は炎上の末、精神的に追い詰められ、自ら命を絶っていた——。
「まさか……彼女も、加害者だった?」
裕美は息をのんだ。茅山多夢乃はネットリンチの犠牲者でありながら、かつては自らが「加害者」となり、他者を追い詰めていたのだ。
まるで因果が巡るように。
さらに調査を進めると、恐るべき事実が判明する。
茅山を罵倒し、動画の拡散に加担していた者たち——彼らもまた、過去に誰かを誹謗中傷し、炎上を引き起こしていたのだった。
「つまり、炎上は連鎖する……?」
裕美の脳裏に、呪いの動画に浮かび上がった異形の顔が蘇る。
「復讐の連鎖……彼女の呪いは、ただの怨念ではない。これは——」
ネットの世界に根を張り、増殖し、広がり続ける「業」そのものだった。
呪いの真相に迫った裕美。しかし、彼女はまだ知らなかった。この事件には、さらなる恐怖が待ち受けていることを——。
第4章:呪いの拡散
呪いを止めるため、霊能探偵・伊田裕美は茅山多夢乃の怒りを鎮めようとしていた。しかし、その間にも「呪いの拡散」は止まらず、むしろ勢いを増していた。
SNS上には「#見てしまった」というハッシュタグが拡散され、まるで意志を持つかのように呪いの動画が次々と自動投稿されていく。動画が削除されても、管理者不明のアカウントがすぐに新たな投稿を行い、まるでネットそのものが呪われたかのようだった。
「誰が……これを拡散しているの?」
裕美はPC画面を睨みながら呟いた。動画の投稿元を追跡しようとしたが、すべてのアカウントが何者かによって操られており、辿り着くことができない。そして、新たな通知が画面上に浮かび上がる。
【次のターゲット:伊田裕美】
「……あたし?」
裕美は背筋が凍るのを感じた。画面がちらつき、次の瞬間、PCのカメラが勝手に起動した。画面には、自分の姿が映っている。
だが、それだけではなかった。
その背後——暗闇の中に、青白い顔が浮かんでいた。
「……っ!」
茅山多夢乃だった。
無表情のまま、じっと裕美を見つめている。その目は深い闇のようで、吸い込まれそうな錯覚を覚える。次の瞬間、スピーカーから低い囁き声が響いた。
『お前もすぐに……』
裕美は反射的にPCを閉じた。しかし、モニターの電源が落ちたにも関わらず、画面にはなおも多夢乃の顔が映り続けている。
「これは……呪いじゃない、怨霊そのもの……!」
呪いの源を突き止めなければならない。裕美は再びPCを開き、動画が投稿されているサーバーのログを調べた。すると、すべての動画は1つの地点から発信されていることが判明する。
「……この座標は……?」
それは、茅山多夢乃が命を絶ったアパートだった。
裕美は覚悟を決め、現場へと向かった。
深夜のアパート。人気のない建物に足を踏み入れると、湿った空気が肌にまとわりついた。部屋のドアを押し開けると、そこは事件当時のまま時間が止まったかのようだった。
そして。
PCの画面が勝手につき、動画が再生され始めた。
——画面の中の茅山多夢乃が、ゆっくりと振り返る。
彼女の唇が動く。『お前もすぐに』——
その瞬間、裕美の目の前に茅山多夢乃が現れた。
髪は乱れ、虚ろな目でじっと裕美を見つめる。
「……終わらせてやるわ」
多夢乃の手が裕美に伸びた。その指が肌に触れた瞬間——
裕美の身体に刻まれた梵字の刺青が光を放つ。
胸、腕、背中の刺青が、黄金の輝きを放ちながら呪いの力をかき消していく。多夢乃の身体が歪み、まるで光に焼かれるように崩れていく。
「やめろ……! あたしは……あたしは……!」
多夢乃の叫びが空間に響く。しかし、光に包まれる彼女の姿は、やがて完全に消滅した。
——呪いは、終わった。
PCの画面は、ただのブラックアウトしたモニターに戻っていた。SNSからも、あの動画は完全に消えていた。
しかし。
裕美のスマホが震えた。
新しい通知が届いている。
【#見てしまった】
呪いは、本当に終わったのか——。
第5章:エピローグ
裕美は湯川寺の村田蔵六を訪ねた。長い戦いを終えた彼女の表情には、安堵とわずかな疲労が滲んでいた。
「裕美ちゃん、お手柄だったね」
蔵六が湯飲みを置きながら微笑む。いつもの穏やかな声に、裕美は肩の力を抜いた。
「あの、茅山多夢乃って人も……悲しい一生だったね」
ふとした沈黙が流れる。彼女の怨念は凄まじかったが、その根底には深い孤独と苦しみがあった。最後の瞬間、彼女の瞳には救いを求めるような光が宿っていた気がする。
蔵六は静かに目を閉じ、しばらく何かを考え込むような間を取った。
そして、ふっと目を開ける。
「湯殿を借りるね」
その言葉に、裕美は小さく頷いた。
静かな湯川寺の湯殿。石畳の浴場に白い湯気が立ち上がり、ひと時の休息を約束する。
ぬるめのお湯に身体を沈める。熱すぎず、冷たすぎない湯が肌を優しく包み込む。静かに目を閉じると、心の奥に溜まっていた疲れがじんわりと溶け出していく。
指先が無意識に動く。
波紋のように甘い感覚がじんわりと広がった。
外では風が梢を揺らし、夜の帳が静かに寺を包んでいた。
そして。
浴場に置かれたスマホが震える。
【新着通知】
画面には、見慣れたSNSのアイコン。
そこには、こう書かれていた。
——今、あなたのスマホにも届いているはず。
(完)
ネット社会が発展するにつれ、私たちは日々、言葉の暴力にさらされるようになった。軽い気持ちで投稿した一言が、誰かを深く傷つけ、その人の人生を変えてしまうこともある。
茅山多夢乃は、被害者であり、加害者でもあった。そして、呪いとなり復讐を遂げた——そんな因果の連鎖を描いた本作が、少しでも読者の心に残ることを願う。
呪いは、本当に終わったのか?
……もしかすると、今この瞬間、あなたのスマホにも届いているかもしれない——。




