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霊能探偵 首から心臓まで切り裂く満蛭鬼の恐怖

 本作は、霊能探偵・伊田裕美の新たなる戦いを描いた物語である。旅をしながら怪異を解き明かす彼女が、今回は甲州の地で伝説の鬼「満蛭鬼」と対峙する。50年ごとに甦る恐怖、逃げ場のない宿命、そして彼女自身に刻まれた梵字の意味とは何か。

 戦いと妖しき因縁が絡み合う中で、裕美の孤独と強さが際立つ。

 本作が読者にとって、新たな怪異譚の楽しみとなることを願って。

【登場人物】

 伊田裕美:霊能探偵、旅行ルポライター。ショートカットの黒髪を持ち、知的な印象を与える黒のスーツに身を包む。端正な顔立ちと鋭い眼差しが特徴。

 村田蔵六:陰陽師で湯川寺とうせんじの住職。幽霊探偵の相談相手。


 第1章:満蛭鬼の影

 晩秋の甲州。澄んだ空気の中、赤や黄に染まった山々が連なる。

 伊田裕美は、旅行誌の取材で温泉宿を訪れていた。木造の宿は歴史を感じさせ、どこか懐かしい香りが漂う。宿の近くには、曹渓寺そうけいじという小さな寺があり、そこの住職・月極げつぎょく和尚は気さくな老人だった。彼は甲州の伝承や怪異譚にも詳しく、話を聞くには最適な人物だった。

 「昔、このあたりでは鬼が出ると言われていたんじゃよ」

 和尚は茶を啜りながら語った。

 裕美はその言葉に少し興味を引かれた。しかし、取材の疲れもあり、その晩は早めに布団へ入った。

 ――真夜中。

 何かの気配に目を覚ます。部屋の隅、月明かりの中に、人影が浮かんでいた。

 女性だった。ぼんやりと透けた身体が、静かに裕美を見つめている。

 『ついてきて……』

 かすかに唇が動く。手招きする仕草。

 裕美は慎重に構えた。むやみに霊の誘いに乗るのは危険だ。

 次の日の夜も、同じ霊が現れた。今度は若い男の姿だった。

 「僕は、君の前世の恋人だよ」

 薄気味悪いほど甘い声。その言葉に、裕美は眉をひそめた。前世の恋人? ありふれた霊の手口だ。

 翌晩。

 再び現れた男を、今度は裕美が逆に誘った。

 「いいわ、一緒に行きましょう」

 そうして彼のあとを追い、山深くへと足を踏み入れる。山道を進み、たどり着いたのは、谷底を見下ろす断崖だった。

 その瞬間、男の姿がふっと変わった。

 「裕美さん、ごめんなさい……あなたにここまで来てほしかったの」

 女だった。

 「あなたは誰?」

 「北島直子……」

 幽かな声が、夜風に溶ける。

 彼女は語った。50年前、この村で起こった惨劇を。

 村人が次々と襲われ、首から心臓にかけて食われた事件。警察もなすすべなく、生き残った者たちはバスに乗り、逃げ出した。しかし、そのバスも谷底へと転落した。魔物に襲われ、乗客もろとも喰われたのだ。

 「満蛭鬼まんひるおに……50人の魂を喰らうと、霊界へと戻り、50年間の冬眠に入る。そして今年が、その50年目……」

 裕美は息をのんだ。

 最近、甲州の町では、夜道を歩く人々が次々と襲われる事件が起きていた。

 「そういうことか……」

 つぶやく裕美に、直子の霊が切実な声で訴えた。

 「あなたの身体には梵字が刻まれています……戦えるのは、あなただけです」

 そう言い残し、霊は消えた。

 

 第2章:死の刻印

 翌朝、裕美は冷えた空気の中、甲州の町を歩いた。昨晩の直子の証言が脳裏を離れない。50年前の惨劇と、今なお続く惨殺事件──それが「満蛭鬼」によるものならば、次の犠牲者が出る前に手を打たねばならなかった。

 地元の新聞社を訪れ、最近の殺人事件の記録を調べた。被害者は皆、夜間に一人で歩いていた者たち。首から心臓にかけて深い裂傷を負い、血を一滴も残さず吸い尽くされていた。警察は獣によるものと断定していたが、その傷跡は異様に鋭く、獣の牙や爪とは明らかに異なっていた。

 「……満蛭鬼の仕業ね」

 裕美は新聞記事を閉じ、役場へ向かった。50年前のバス事故に関する記録を調べるためだった。

 役場の資料室に入り、過去の戸籍簿や事故報告書を精査する。ようやく、事故の記録を見つけた。

 「北島直子……いたわね」

 名簿の中に彼女の名を見つけた。ほかにも、数十名の犠牲者が記されている。彼らは皆、逃げようとしてバスに乗り込み、しかしその道中で満蛭鬼に襲われ、谷底へと消えたのだった。

 「やはり、あの話は本当だった……」

 裕美はスマホを取り出し、東京の湯川寺にいる村田蔵六和尚に連絡を取った。

 「蔵六和尚、例の怪物について何か知ってる?」

 スマホ越しに、低く渋い声が響いた。

 「満蛭鬼まんひるおにじゃな……」

 「やっぱり」

 「そやつは、50年ごとに目を覚まし、50人の魂を喰らうと言われておる。身体は人間のようだが、首は熊のごとく、全長は十メートルにもなる。牙で首筋から心臓までを切り裂き、魂を吸い尽くすのじゃ」

 「……厄介ね」

 「裕美、おぬしはどうせ止めてもやるじゃろう?」

 裕美は小さく笑った。

 「まあね」

 「ならば、曹渓寺の月極和尚に相談するがよい。あの方ならば、対策を知っておるはずじゃ」

 「わかった。ありがとう、蔵六和尚」

 スマホを切ると、裕美は大きく息をついた。満蛭鬼との対決が、刻一刻と迫っていた。

 曹渓寺に戻ると、月極和尚がすでに待っていた。彼は静かに裕美を見つめ、深く頷く。

 「覚悟は決まったようじゃな」

 「ええ。満蛭鬼を倒す方法を教えてください」

 月極和尚は本堂へと歩きながら、押し殺した声で語り始めた。

 「満蛭鬼は、ただの霊ではない。強大な怨念の集合体であり、普通の術では倒せぬ。唯一、やつを封じるには、己の霊力を梵字として刻み、それを剣に宿すことが必要じゃ」

 「梵字を……?」

 「そうじゃ。お主の身体にはすでに梵字の護りが刻まれておるが、心臓の位置はまだ無防備じゃろう?」

 裕美は自らの胸に手を当てた。確かに、首や腕、背中には梵字の刺青が刻まれているが、心臓の位置は無防備だ。

 「このままでは、満蛭鬼の攻撃を受けたら終わりじゃ」

 「つまり、胸にも刻む必要がある……」

 月極和尚は厳かに頷いた。

 「そうじゃ。それが、やつに対抗する唯一の術」

 裕美はゆっくりと息を吸い込み、決意を固めた。

 「……お願いします。私の胸に、梵字を刻んでください」

 月極和尚は墨と筆を用意し、静かに裕美の胸元へ梵字を描き始めた。その間、裕美は目を閉じ、これから始まる戦いに向けて意識を研ぎ澄ませた。

 満蛭鬼との戦いは、もう目前に迫っていた。


 第3章:梵字の刻印

 曹渓寺の本堂に、静寂が満ちていた。

 月極和尚の前に立った裕美は、深く息を吐いた。

 「お願いします。私の胸に、梵字を刻んでください」

 満蛭鬼との戦いは、すでに避けられないものとなっていた。今のままでは、心臓のある胸元が無防備。敵の牙がそこを狙うのは確実だった。

 裕美は躊躇なく、スーツのボタンに手をかけ、1つずつ外していく。布地が滑り落ち、白く滑らかな肌が露わになった。ズボンも腰からするりと滑らせ、最後に下着を外すと、生まれたままの姿が寺の灯火に照らされた。

 月極和尚は微動だにせず、筆と墨を手に取る。

 「……お主の身体には、すでに多くの梵字が刻まれておるな」

 その声には、僧侶としての威厳と、霊的存在への敬意が込められていた。

 裕美の肌には、過去に施された梵字の刺青が複雑に絡み合っている。首筋から背中、腕、腰、脚に至るまで、古の文字が宿っていた。しかし、胸元だけは何も刻まれていない。

 「いよいよ最も大事な場所に、護りを加える時が来たな」

 月極和尚は筆を墨に浸し、慎重に裕美の胸元へと筆先を運んだ。

 冷たい墨が肌に触れると、裕美は一瞬、小さく息を呑んだ。筆の先は優しく、しかし確実に、肌の上に霊的な印を描いていく。筆の動きに合わせて、墨がゆっくりと沁み込むような感覚が広がる。

 「……これは、霊彫の惣兵衛の刺青じゃな」

 月極和尚の声が静かに響いた。梵字は、単なる護りではない。それは彼女の霊力を増幅させる刻印でもある。

 「胸元は、特に神聖な領域。ここに梵字を刻むことで、お主の力はさらに研ぎ澄まされる。満蛭鬼の邪気にも、より強く抗えるようになるはずじゃ」

 墨の冷たさと、筆の優しい筆圧。その感覚が、肌に微かな震えをもたらす。裕美は目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整えた。胸の中央に、熱を帯びるような感覚が広がっていく。

 「……くすぐったいような、心地いいような……不思議な感じです」

 裕美がそう呟くと、月極和尚は静かに微笑んだ。

 「梵字には、強い霊的な波動が宿る。お主の身体と、文字が一体化していく過程なのじゃ」

 その瞬間、肌に描かれた梵字が淡く輝いた。月極和尚の表情がわずかに引き締まる。

 「……もうすぐ終わる。だが、よく聞け裕美。この梵字を刻んだ今、お主の魂も、より強く満蛭鬼に引き寄せられることになる」

 「……分かっています」

 満蛭鬼は、確実に彼女を狙ってくる。

 その戦いは、すぐそこまで迫っていた。


 第4章:霊能探偵・伊田裕美対満蛭鬼

 夜の帳が降りる中、曹渓寺の鐘が静かに響いた。

 裕美は本堂の縁側に立ち、闇の奥を見つめる。梵字を書いた胸元がじんじんと疼く。それは、満蛭鬼が近づいている証だった。

 「……来る」

 深い森の奥で、木々が不気味にざわめいた。

 次の瞬間、巨大な影が動いた。

 満蛭鬼。

 闇に紛れ、禍々しいオーラを放つ異形の怪物。熊のように猛々しい首と、異常に長い手足。全長は十メートルを優に超え、その爪は夜空を裂くかのごとく鋭く輝いていた。

 「……やはり、でかい」

 裕美は静かに守り刀『たむならの剣』を抜いた。

 満蛭鬼は咆哮を上げた。その咆哮だけで空気が震え、寺の屋根瓦がかすかに揺れる。大地を踏みしめるたび、木々がなぎ倒されていく。

 次の瞬間、満蛭鬼は猛然と飛びかかってきた。

 裕美は瞬時に跳び退る。巨大な爪が彼女のいた場所を引き裂き、地面が深く抉れた。

 「速い……っ!」

 息を吐く間もなく、第二撃が来る。右から鋭い爪が振り下ろされる。裕美は紙一重でかわし、同時に地を蹴った。

 ──斬る。

 『たむならの剣』が白刃を輝かせ、満蛭鬼の足元を狙う。

 刹那、剣が踵に深く食い込んだ。

 満蛭鬼がうめき声を上げ、バランスを崩す。

 「やれる……!」

 だが、次の瞬間、満蛭鬼の長い腕が襲いかかる。巨大な手が裕美を捉え、強く締め上げた。

 「くっ……!」

 拘束された腕と胸元が軋む。圧力が増し、呼吸が詰まる。

 満蛭鬼がゆっくりと顔を近づけてくる。その巨大な口が開き、鋭い牙がぎらついた。涎がだらりと垂れ、裕美の顔に滴り落ちる。

 ──まずい。

 肺が圧迫され、意識が遠のく。その時。

 「……!」

 胸元の梵字が強く発光した。

 満蛭鬼の掌から煙が立ちのぼる。灼かれるような熱さに耐えかねて、満蛭鬼が悲鳴を上げた。

 「……今だっ!」

 裕美は渾身の力で腕を振り抜き、『たむならの剣』を構え直した。炎のように輝く梵字の力が、剣へと流れ込んでいく。

 一閃。

 剣が満蛭鬼の額を正確に貫いた。

 断末魔の咆哮が夜空に響く。

 満蛭鬼の巨体が崩れ落ち、光の粒となって四散した。

 戦いは、終わった。

 夜の静寂が戻る。

 そこには、北島直子の霊が佇んでいた。

 彼女は穏やかな微笑みを浮かべると、静かに消えていった。


 第5章:エピローグ

 湯気が立ち昇る浴室に、静かな水音が響く。

 裕美は大きな湯船に身を沈め、深く息をついた。戦いの余韻が、まだ肌に残っている。満蛭鬼の咆哮、梵字の光、たむならの剣の感触──すべてが現実だった。

 蒸気がゆっくりと肌を包み込み、疲れた身体を癒やしていく。

 「……ふう」

 彼女は濡れた髪をかき上げ、胸元を見つめた。そこにはまだ墨の梵字が残っている。戦いの際、確かに護りとなったそれを、裕美は指先でなぞった。

 「これが……私を守ってくれたのね」

 爪先で優しく擦ると、薄く墨が流れた。まるで、肌に刻まれた記憶を拭うかのように。

 左足から湯船に入る。温もりが全身を包み、心の奥までほぐれていく。

 湯の中で、そっと自らの身体に触れた。あのとき、満蛭鬼の涎が胸にだらだら落ちていたら危なかったかもしれない、顔でよかったわ。首筋から肩、鎖骨、胸へと指を滑らせる。戦いの傷は残らなかったが、戦いの感覚は残る。満蛭鬼の爪がかすめた肌も、今は湯の温かさに優しく慰められていた。

 静寂の中、指が花園をなぞる。湯に沈む肌が、わずかに熱を帯びる。

 「……あたしの花園を埋め尽くしてくれる人は、いつ現れるのかしら」

 湯気が揺れ、湯の表面がわずかに波打つ。

 湯殿の灯りが揺らめき、静寂だけが彼女を包み込んでいた。

 (完)

 本作は、伊田裕美の新たな試練と戦いを描いた。彼女の持つ冷静な判断力と、霊能探偵としての覚悟が、満蛭鬼という異形の存在にどう立ち向かうかを重点的に描いたつもりだ。

 また、霊的な儀式や梵字の力といった要素を取り入れ、彼女自身の霊能力と成長の過程も物語の核として据えた。

 今後も、彼女の旅は続く。

 読者の皆様が、この物語を楽しんでくれたなら幸いである。

 次なる戦いを予感させながら……。

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