幽霊探偵・伊田裕美 呪われた乗客
この物語は、幽霊探偵・伊田裕美が怨念に満ちた事件に挑むサスペンスホラーです。
生者と死者の境界が曖昧になる世界で、彼女はただ真実を追い求める——それが彼女の宿命だから。
背筋が凍る恐怖と、緊張感あふれる謎解きの先に待つものは何か。
どうぞ最後までお楽しみください。
登場人物
伊田裕美:幽霊探偵、旅行ルポライター。ショートカットの黒髪を持ち、知的な印象を与える黒のスーツに身を包んでいる。端正な顔立ちと鋭い眼差しが特徴で、どこか探偵のような雰囲気を漂わせている。
伝兵衛:旅行雑誌の編集長。
村田蔵六:陰陽師で湯川寺の住職。幽霊探偵の相談相手。
宇野由美子:大学教授の娘。父を殺され、その無念を抱いたまま亡くなった。
---
第1章:死の訪れ
東京の静かな病院。無機質な白い壁に囲まれた病室には、弱々しい呼吸音がかすかに響いていた。
病室のベッドの上には、やせ細った女性が横たわっていた。彼女の名は宇野由美子(30)。末期がんと闘いながらも、その表情にはどこか不思議な穏やかさがあった。長い闘病の果てに、彼女はその生涯を閉じようとしていた。
父親は20年前に他界し、母親も3年前に亡くなった。たった一人遺された彼女のために泣く者は少なかった。それでも、裕福な家庭の娘であった彼女の葬儀は、わずかな身内の手によって滞りなく執り行われた。
しかし、誰も知らなかった。
彼女の死が、一連の恐怖と連鎖する死の幕開けとなることを……。
---
第2章:連鎖の死
【片倉為吉】
夜、終電が近づいた電車のホーム。薄暗い照明が足元をぼんやりと照らし、まばらな乗客が静かに電車を待っていた。
突如として、その静寂を破るかのように、片倉為吉が錯乱したように叫び出した。
「やめろ!来るな……来るなああああ!」
彼の瞳は異様なまでに見開かれ、何かを避けるようにふらつきながら後ずさる。だが、周囲の人々には彼が恐れる何者も見えていなかった。
「やめろ……助けてくれ……!」
彼の悲痛な叫びが響いた直後、足を踏み外し、バランスを崩して線路へと転落した。
数秒後、無情にも電車がホームに滑り込む。
轟音とともに、片倉為吉の姿は闇に消えた。
ホームにいた乗客は、ただ呆然とその惨劇を見つめるしかなかった。
---
【飯田修三】
標高の高い山頂付近。切り立った岩場に、飯田修三は息を切らしながら足を進めていた。
「もう少しで頂上だ……」
しかし、その時だった。
突然、冷たい風が背後から吹き抜けた。背筋に悪寒が走る。
「……誰か、いるのか?」
不審に思い、後ろを振り返る。しかし、そこには誰もいなかった。
だが、確かに聞こえた。
耳元でささやく、女の声。
「お前も……堕ちろ……」
次の瞬間、飯田の目の前に、あり得ないものが現れた。
顔のない女の幽霊が、虚空に浮かび、無数の手を伸ばしていた。
「うわああああ!」
飯田は恐怖のあまり足を滑らせた。
そのまま、悲鳴とともに、彼の体は断崖の下へと消えていった。
---
【三条行朝】
東京の郊外、青梅の山林。ひっそりとした森の中、風の音が静かに木々を揺らしていた。
月明かりに照らされた一本の木の下に、男が立っていた。
三条行朝。
彼の目はどこか虚ろで、焦点が定まらないまま、揺れる縄を見つめていた。
「……もう、逃れられない……」
低く呟くと、静かに縄を首にかけた。
その瞬間、背後からぞわりとした気配が這い寄った。
「お前も……償え……」
耳元に響く、不気味な声。
三条の身体が一瞬、ビクリと震えた。
「……やはり……許されなかったか……」
彼は目を閉じると、次の瞬間、自らの足を踏み外した。
風が吹き抜ける。
静寂が戻ったとき、三条行朝の命は、すでに絶たれていた。
---
第3章:次々の行方不明者
奇怪な死が続く中、新たな事件が発生した。今度は死ではなく、行方不明だった。
最初に消えたのは、都内に住む会社員の男性。彼は友人との飲み会の後、タクシーで帰宅しようとしたが、それを最後に消息を絶った。
次に、主婦が姿を消した。深夜、近所のコンビニへ行くと言って家を出たきり、帰ってこなかった。
さらに、大学生、サラリーマン、フリーライターの男性が相次いで行方不明になった。
合計5人——4人の男性と1人の女性。
共通点は何もないように見えた。ただひとつ言えることは、彼らの身近にいた者たちが、口をそろえてこう証言していた。
「最近、怯えていた」
「何かを恐れていた」
「誰かに狙われていると言っていた」
ある者は、夜道を歩いていると背後に気配を感じ、振り返ると誰もいなかったと話した。
ある者は、夢の中で黒い影に追いかけられ、その影が現実にもついてきたと言った。
彼らは霊の恐怖に追い詰められ、ついには行方をくらませたのだろうか?
---
第4章:幽霊探偵・伊田裕美登場!
都内の雑居ビルにある旅行雑誌編集部。
デスクに向かい、書類を整理する伊田裕美。黒のスーツに身を包み、整った顔立ちに知的な光を宿した目が、手元の資料を追っている。
「裕美、コーヒーを頼むよ」
編集長の伝兵衛が、デスクから顔を上げた。裕美は静かに立ち上がり、コーヒーメーカーの前に向かう。
カップに注がれた黒い液体を手にしながら、彼女の脳裏には、ここ数日の事件のことが浮かんでいた。
——5人の行方不明者。
——直前まで霊の存在に怯えていた彼ら。
「裕美、君はまた妙な事件に首を突っ込もうとしているんじゃないだろうね?」
コーヒーを受け取った伝兵衛が、軽い調子で尋ねた。
「……気のせいです」
裕美は苦笑しながら答えたが、すでに彼女の探偵としての直感は、この事件の調査を始めるべきだと告げていた。
---
調査を始めた裕美だったが、行方不明者の5人には何の接点も見つからなかった。
「これは……行き詰まったか」
コーヒーを飲みながら、彼女はため息をついた。しかし、ふとこれまでの犠牲者——片倉為吉、飯田修三、三条行朝のことを思い出す。
「3人の死と、5人の失踪……無関係とは思えない」
その直感を頼りに、裕美は青梅へ向かった。
三条行朝の母親に話を聞くためだった。
---
三条行朝の実家は、青梅の山奥にあった。裕美が訪ねると、老いた母親が迎えた。
「行朝さんは、自殺する前に何か言っていましたか?」
「……霊に苦しめられている、と。いつも、誰かが見ていると怯えていました」
「誰か……?」
母親はしばらく口を閉ざした後、ポツリとつぶやいた。
「……20年前のことを、後悔していたみたいです」
「20年前?」
裕美の目が鋭くなる。
「一体、何があったのですか?」
---
20年前。
JR五日市線の電車内。
10人の乗客がいた。突然、1人の男が酒に酔って暴れ出した。
「やめろ!」
乗客の1人だった大学教授が男を制止しようとした。しかし、暴漢は凶刃を振るい、教授を刺殺。
「お父さん……!!」
教授の娘が泣き叫ぶ。しかし、他の乗客7人は誰も助けようとはしなかった。
次の駅で電車のドアが開くと、犯人はそのまま逃亡。
そのまま捕まることはなく、事件は時効を迎えた。
---
裕美はこの事件を調べる中で、驚愕の事実を知る。
殺された大学教授——宇野康介。
そして、その時、車内で泣き叫んでいた少女——宇野由美子。
由美子は、父の死を恨み続けたまま病で亡くなった。
そして、彼女の怨念は、復讐を遂げるために動き出したのだった。
片倉為吉——犯人。
飯田修三——その場にいた乗客。
三条行朝——良心の呵責に耐えられず自害。
そして、まだ消えた5人の乗客が残っている——。
---
幽霊探偵・伊田裕美 復讐の怨念
第5章:決戦、怨霊との対峙
裕美は由美子の霊と対決するため、湯川寺を訪れた。
寺の奥にある書庫で、彼女は理解者であり陰陽師の住職、村田蔵六と向かい合っていた。
「……蔵六のところに鎮魂の弓矢があったわね?」
裕美が真剣な表情で尋ねると、蔵六は静かに頷いた。
「あるが……一本だけだ。それを逃せば、おしまいだぞ」
「わかってるわ」
蔵六は奥の棚から古びた箱を取り出し、そっと開いた。その中には、神秘的な光を放つ一本の矢が納められていた。
「この矢に込められた鎮魂の力は強いが、撃ち損じれば怨霊はより強くなる。それでも行くのか?」
「行くしかないわ」
決意を胸に、裕美は鎮魂の弓を受け取ると、静かに寺を後にした。
---
怨霊の館
目的地は宇野由美子の屋敷——今は廃墟と化した豪邸だった。
夜の闇に沈む屋敷の窓は割れ、かすかな風が不吉な音を立てていた。門をくぐった瞬間、背筋を這い上がるような冷気が裕美を包む。
屋敷の奥の広間に足を踏み入れると、そこには5人の人影があった。
行方不明となっていた5人——彼らは霊力で手足を縛られ、床に座らされていた。憔悴し、恐怖に震えている。
「……水を……誰か、水を……」
かすれた声が響いた瞬間、空気が一変した。
幽霊が現れた。
長い黒髪がうねるように揺れ、白く爛れた顔が歪んだ笑みを浮かべる。
「……殺し合え。最後に生き残った者だけは許してあげる……」
由美子の霊の声が響いた。
「殺し合えって……どうやって……?」
「望みの武器を与えよう」
霊の囁きが広間に満ちた。次の瞬間、5人の前に異様な武器が現れる。
A:「剣をくれ」
B:「槍をくれ」
C:「斧を……」
次々と得物を手に取る4人。
しかし、最後の女性だけは武器を取らなかった。ただ、涙を流しながら首を横に振る。
そして、血塗られた狂気の宴が始まった。
---
【戦慄の決着】
剣が槍を裂き、斧が剣を砕く。
死を恐れた者たちは、狂気に飲まれ、互いを斬り裂いた。
血飛沫が舞い、叫び声が広間に響き渡る。
一人が絶命し、また一人が倒れ、やがて最後の一人だけが立っていた。
それは——Aだった。
Aは荒い息をつきながら、唯一生き残った女性を見下ろした。
「さあ、早く殺せ」
霊の声が響く。
女性は震えながら首を横に振る。
「……無理よ……私は……」
しかし、Aの目はすでに正常ではなかった。血に濡れた剣を握る手がわずかに震えている。
「……殺さなきゃ……そうしないと……俺が……」
その瞬間——
「もう、やめなさい!」
広間の扉が開き、伊田裕美が姿を現した。
彼女の瞳は冷たく鋭く、まるで闇を切り裂くような光を宿していた。
「由美子……あなたはこんなことをして満足なの?」
「……なに?」
「あなたのお父さんは、こんな復讐を望んでいたの?」
由美子の霊の顔が歪む。
「私はどれだけこの日を待ち望んだか……! 死ぬ人間が一人増えただけね。お前も死ね!」
霊が息を吹きかけると、無数の黒い針が宙を舞った。
裕美は即座に身を翻し、それをかわす。
「……これで終わりよ」
裕美は鎮魂の弓を構え、一本の矢をつがえた。
「——封じよ」
呪文を唱え、弓を引き絞る。
そして、放たれた矢は、霊の胸の中心へと突き刺さった。
由美子の霊は激しく叫び、苦しみながら闇へと溶けていった。
静寂が広間に戻る。
そこには、裕美、気を失った女性、そしてA——だが、彼の様子がおかしかった。
Aの目は虚ろで、わずかに笑っていた。
「……はは……終わらない……終わらないんだ……」
彼は狂気に取り憑かれ、完全に壊れてしまっていた。
こうして、この事件は終焉を迎えた。
---
第6章:エピローグ
事件の決着から数日後。
湯川寺の境内に、新たな鎮魂碑が建てられた。
「宇野康介——ここに眠る」
「宇野由美子——ここに眠る」
静かに刻まれたその名前を、裕美はじっと見つめていた。
「裕美が事件を解決するたびに、こうして石碑が増えるね……」
隣で村田蔵六がつぶやく。
「それが私の仕事だから」
裕美は淡々と答えた。しかし、その表情にはどこか哀しみが滲んでいた。
---
【温泉での休息】
事件の疲れを癒やすため、裕美は久しぶりに旅館へ足を運んでいた。
檜造りの露天風呂。湯気が立ちこめる湯船の表面を、夜風がそっと撫でていく。
裕美は湯殿の縁に腰を下ろし、ゆっくりと足を湯に沈めた。
「……ふぅ……」
心地よい温もりが、冷えた体の奥深くまで染み込んでいく。
慎重に左足から湯へと入り、肩まで沈める。
湯の中で肌がほぐれ、緊張が解けていくのを感じた。
「……やっと、ひと息つけるわね」
裕美は右手で胸元を隠し、左手で小さな手ぬぐいを下腹部に添えた。
お湯の中で、すべるように肌を撫でる湯の感触が心地よい。
事件の恐怖や喧騒から解放されたこの瞬間、ほんの少しだけ、自分の女性としての感覚を取り戻せる気がした。
頬を伝う湯滴を指で払い、そっと目を閉じる。
「……これで終わり、なんてことはないのよね……」
闇夜の静寂の中、彼女はひとり、温泉の湯に身を沈めた。
彼女の戦いは、まだ続くのだから——。
-完-
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
幽霊探偵・伊田裕美の物語は、一つの事件が終わるごとに、新たな謎を呼び込むものです。
今回の『復讐の怨念』では、過去に囚われた怨霊と向き合う裕美の姿を描きました。
人間の業の深さ、恨みの果てに待つもの……それを考えながら、物語を書き進めました。
この作品を通じて、読者の皆様に何かしらの余韻や感情が残れば幸いです。
最後に、この物語に登場する女性たち、そして現実の世界でさまざまな困難に立ち向かいながらも強く生きるすべての女性たちに、深い感謝を捧げます。
次回作でも、裕美はまた新たな事件に立ち向かうことになるでしょう。
またお会いできることを願って。




