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猿子憑き

この物語『猿子憑き』は、怪異と人間の心理が交錯するホラー・ミステリーです。現代社会の片隅にひそむ不可解な現象、それに立ち向かう幽霊探偵の活躍を描いています。本作では、怪異の恐怖だけでなく、巻き込まれる人々の心情や、解決へと導く探偵の推理にも焦点を当てています。


日常の隙間に忍び寄る恐怖と、人智を超えた存在との対峙。その緊迫感と謎解きを楽しんでいただければ幸いです。

第一章:奇妙な症状


田村幸恵は、どこにでもいる普通のOLだった。特別な才能があるわけでもなく、仕事に情熱を燃やしているわけでもない。平凡で、淡々とした日々を過ごしていた。しかし、その平穏はある日、突如として崩れ去った。


ある朝、出勤前の食卓で味噌汁をすすっていた幸恵が、突然、大きな声を発した。


「―あたしはこきやの女!」


驚いた母親が思わず箸を落とした。


「な、何よ急に!」


幸恵自身も驚いた様子で口を押さえた。しかし、それがただの突発的な奇声ではないことをすぐに思い知ることになる。


【奇声が飛び出る】


その日から、幸恵は意識とは無関係に奇声を発するようになった。突然「こいてへん」と叫んでしまうのだ。幸恵は茨城生まれの茨城育ち、大阪弁は使わないのだ。電車の中、職場のデスク、スーパーのレジ待ち――場所を問わず、突然「あたしはこきやの女」と叫んでしまうのだ。


最初は冗談だと思っていた同僚も、日に日に頻度が増すにつれ、彼女を見る目が変わっていった。ささやく声が耳に届く。


「田村さん、最近おかしくない?」

「なんか呪われてるんじゃ……」


ある日、上司に呼び出され、静かに諭された。


「田村さん、体調が悪いなら、しばらく休んではどうですか?」


幸恵は「はい」と答えたものの、自分の身に何が起きているのか分からなかった。だが、奇声だけでは終わらなかった。


【所構わず放屁】


それは昼休みのことだった。社員食堂で友人と話しながら食事をしていると、突然、幸恵の椅子の下から「ブボォ!」という派手な音が響いた。


「えっ……」


周囲の視線が一斉に集まる。赤面しながら口をパクパクさせる幸恵。しかし、彼女の意思とは無関係に、また一発。


「ブボッ!」


何事もなかったように食事を続ける友人たち。しかし、笑いをこらえるのに必死な顔が見て取れた。


「ご、ごめん……」


申し訳なさそうに呟いたものの、その後も出続けた。会社だけではない。帰りの電車の中、静まり返った車両で突如として響く破裂音。


「ブフォォォ!」


乗客の一人が「マジかよ……」と呟いた。


彼女は降りる駅が来る前に、羞恥心に耐え切れず次の駅で飛び降りた。しかし、悪夢はまだ続く。


【人前で脱糞】


異変が始まってから三週間後、決定的な事件が起こった。


その日、彼女は取引先へ向かうためタクシーを呼んでいた。車が来るまでの間、足元に違和感を覚えた。腹が痛い。


(大丈夫、まだ間に合う……)


そう思った矢先、突然の鈍痛が彼女の腹を襲った。冷や汗が額ににじむ。


(……え?)


次の瞬間、体が勝手に力を抜いた。


「……っ!」


ズルリと何かが出る感触。足元に広がる温かい液体の感覚。目の前にいたタクシー運転手がギョッとした表情で彼女を見た。


幸恵はその場にしゃがみこみ、震えた。


(こんなの……ありえない……!)


母親が駆け寄り、顔を青ざめさせて言った。


「これは……普通じゃない……!」


こうして、田村幸恵の異常はついに家族にも認識されることとなった。


第二章:悪魔か幽霊か?


母・田村綾子は長年、プロテスタントの信者として信仰を持ち続けてきた。しかし、娘・幸恵の異常な行動を目の当たりにし、恐怖に苛まれる日々を送っていた。


「これは、悪魔に憑かれたのでは……?」


そう考えた綾子は、信仰の違いを顧みず、近所のカトリック教会を訪れた。神父に事情を説明すると、彼はしばらく沈黙した後、疑わしげに頷いた。「悪魔の仕業と断定するのは早計です。一度、本人の様子を見せてください。」


「なるほど……それは尋常ではありません。しかし、慎重に見極める必要があります。」


【神父による悪魔祓い】


古びた教会の奥にある小さな礼拝室。神父はローブを身にまとい、聖書を片手に立っていた。幸恵は椅子に座らされ、母が手を握っている。部屋にはただならぬ緊張が満ちていた。


神父は慎重に幸恵を観察し、最初は祈るだけに留めた。しかし、異様な奇声と放屁が続き、耐えかねた神父はついに決意した。「エクソシズムを施します!」


神父は額に汗を浮かべながら、力強く祈りを捧げる。ラテン語の聖句が次々と唱えられるたびに、幸恵は震え始めた。そして、突然――


「こきやの女! ブボォォ!!」


奇声とともに、激しい放屁音が室内に響いた。母は驚き、神父は顔をしかめながらも聖水を振りかける。しかし、次の瞬間――


「ブボッ! ブボボボボ!!」


空間を揺るがすような連続音。さらに、幸恵の体が奇妙に痙攣し始める。そして――


「ズルリ……」


椅子の下から、異臭が漂い始めた。茶色い液体が床に広がり、それが大便であることは誰の目にも明らかだった。


「おお、神よ……」


神父の顔が青ざめる。だが、ここで引くわけにはいかない。彼は祈りの声を強めた。しかし、それとともに幸恵の奇行は激しさを増す。聖水をかけるたび、奇声と放屁が比例して強まっていった。


ついに――


「うっ……!!」


次の瞬間、幸恵が突然前かがみになり、「ブボッ!」と激しい音とともに、大便が神父の顔へ向けて飛び散った。彼は胸を押さえ、激しく息を乱す。そして、そのまま膝をつき――


神父は絶叫しながらよろめき、胸を押さえた。「神よ、なぜこのような試練を……」と言いかけたが、息も絶え絶えになり、ついに床に倒れ込んだ。


「神父さま!!」


綾子の叫びが響き渡る。しかし、もう遅かった。


【霊能者の見立て】


神父の死後、綾子は途方に暮れた。もはや自分の信仰では解決できない問題なのかもしれない。彼女は、知人の紹介で霊能者を訪ねた。


「これは悪霊でしょうか……?」


霊能者は目を閉じ、何かを感じ取るように息を潜めた。そして、静かに口を開いた。


「これは……悪魔ではない。特定の因縁霊ですね」


「因縁霊……?」


「ええ。生前に何らかの強い執着を持っていた者の霊が、似たような人間に憑く。かなり強力なものです」


「そんな……では、どうすれば……?」


霊能者はしばし考え込んだ後、こう告げた。


「幽霊探偵――伊田裕美という人物を頼りなさい」


こうして、母・綾子は幽霊探偵に依頼することを決意した。


第三章:猿子の正体


【幽霊探偵・伊田裕美】


母・田村綾子は、幽霊探偵・伊田裕美の事務所を訪れた。幽霊探偵・伊田裕美は、旅行ルポライターとしても活動している。そのオフィスは、世界中のガイドブックや旅の記録が雑然と並ぶ、小さな一室だった。埃っぽい本棚には、未発表の記事や現地で収集したお守りや怪しげな道具が無造作に置かれている。


「すみません……娘が、普通ではない症状に苦しんでいて……」


綾子は、震える手でカバンを握りしめながら、裕美に訴えた。裕美は落ち着いた表情で頷き、ノートを開く。


「詳しく聞かせてください。その症状とは?」


「突然、奇声を発したり……放屁や、それに……脱糞まで……」


綾子が言葉を濁すと、裕美は冷静にペンを走らせた。


「なるほど……しかし、それは聞いたことがありませんね。ちょっと調べてみましょう。」


裕美は調査を開始し、資料をめくりながら情報を集めた。そして、ある記録に目が止まった。幸恵の症状は「猿子憑き」と呼ばれる呪いの一種だった。


「石井猿子……かつて会社で好き放題し、放屁と脱糞を繰り返していた女です。」


裕美が見せた資料には、一人の女性の写真があった。その女は厚い化粧に大きな眼鏡をかけ、不敵な笑みを浮かべていた。そして何よりも目を引くのは、異様に長い下唇だった。それはまるで何かを隠そうとしているかのように垂れ下がっていた。


「この女は、勤務先の会社で横領を繰り返し、バレて刑務所送りになりました。しかし、刑務所内で不審な事故死を遂げているんです。」


綾子は息を呑んだ。


「その恨みから、かつての部下や自分と似たような性質を持つ人間に取り憑く……それが“猿子憑き”の正体です。」


「では、娘はこの霊に憑かれているということですか?」


裕美は静かに頷いた。


「そうですね。しかし、この霊は強い執念を持っています。普通の除霊では対処できません。もっと根本的な方法を考えなければなりません。」


綾子の顔に、不安の影が濃くなった。


「どうすれば……?」


裕美は静かに時計を見つめ、そして決意を込めた目で綾子に向き直った。


「この呪いを解く方法を探しましょう。猿子の死因とは関係なく、この呪いを解く手がかりを探す必要があります。そこで、私は霊的な専門家に相談することを決めました。」


裕美はすぐに、霊能力者であり陰陽師でもある村田蔵六を訪ねることにした。


第四章:幽霊探偵 vs. 猿子


裕美はすぐに、霊能力者であり陰陽師でもある村田蔵六を訪ねたが、大した成果は得られなかった。


「昔ながらの霊とは違い、最近の霊なので対処が難しい。」


そう言って、蔵六は渋い顔をした。


「やめておけ。こういう霊は根が深い。関わるだけでお前自身が危険にさらされるぞ。」


「被害者がいる以上、やめるわけにはいかない。」


裕美は強く言い放った。


---


【幽霊探偵 vs. 猿子】


裕美は聡美の家の前に立った。


その瞬間、家の中から耳をつんざくような叫び声が響いた。


「ギャアアアアア!」


猿子の霊は、裕美が近づいたことを察知し、異様なうめき声を上げながら暴れ出した。


「来たな、裕美」


不気味な声が闇の中から響く。幽霊探偵・伊田裕美は、静かに持っていた"たむならの鏡"を構えた。そこに映るのは、異様に長い下唇を震わせ、不敵な笑みを浮かべる石井猿子の霊。


しかし、鏡の光だけでは猿子は動じなかった。突然、猿子は狂ったように笑い出し、身体を揺らし始める。


「フフフ……これでも食らえ!!」


次の瞬間、猿子の霊は異様な力を発し、悪臭を伴う汚物をまき散らした。壁や床に飛び散るそれに、裕美は息を止め、後ずさる。


「くそっ……このままじゃまずい……!」


その時、重厚な足音が響き、村田蔵六が姿を現した。


「バカめ、だから言ったのに……だがもう仕方がない。」


裕美と蔵六は、猿子を挟んで一直線に立つ。蔵六が呪文を唱え始め、裕美は再び鏡の光を向ける。


「ギャアアアアッ!!」


鏡の光に怯んだ猿子の霊。その隙を逃さず、蔵六は懐から黒い壺を取り出し、一気に開けた。


「これで終わりだ……!」


強力な吸引力が猿子の霊を捉え、抵抗する間もなく壺の中へと引きずり込む。


裕美は急いで蓋を閉め、蔵六が御札を貼り付けた。


「これで、猿子の霊は封印された。」


静寂が訪れ、幽霊探偵の戦いは終わった。


【エピローグ】


聡美と母親は、久しぶりに穏やかな時間を過ごしていた。食卓には温かい料理が並び、楽しそうな笑い声が響く。


「裕美さんには本当に感謝しないとね。」


母親がしみじみと言うと、聡美も深く頷いた。


「あの人がいなかったら、今頃どうなっていたか……」


その言葉に、二人はしばし沈黙し、安堵のため息をつく。


外では夜風がそよぎ、遠くで静かな虫の声が響いていた。


一方、裕美と蔵六は敷地内に穴を掘り、猿子を封じ込めた壺を慎重に埋めた。その上には封印石を置き、古い呪文を唱えながら手を合わせた。


「これで、しばらくは大丈夫だろう。」


蔵六が腕を組み、安堵の表情を浮かべる。


「いやー、しかし今回はキツかったな。」


裕美は苦笑しながら言う。


「まあ、お前の度胸があったからこそ、なんとかなったんだ。」


二人が楽しげに会話を交わしていると、裕美のスマホが突如鳴り響いた。


画面には「編集局長 伝兵衛」の名前が表示されている。


「おい裕美、まだそこにいるのか! さっさと取材に行け!」


スマホ越しの怒鳴り声に、裕美はため息をついた。


「まったく、休む暇もないんだから。」


蔵六がくくっと笑い、肩をすくめる。


「まあ、それがあんたの生き方ってもんだろ?」


裕美はスマホをポケットに押し込み、夜の街へと歩き出した。


『猿子憑き』を最後までお読みいただき、ありがとうございました。


物語の中で描かれた怪異は、単なる恐怖の対象ではなく、過去の因縁や人間の執着が生み出すものとして表現しました。幽霊探偵・伊田裕美の視点を通して、不可解な現象に立ち向かう姿を楽しんでいただけたなら、作者としてこれほど嬉しいことはありません。


ホラーとミステリーの要素を絡めたこの作品が、皆さまに少しでも印象に残るものであれば幸いです。また次の物語でお会いできることを楽しみにしています。


ありがとうございました。

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