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霞の中の龍野城 8

翌日、夜が明けきる前に八幡様の菫を見に行った。

揖保川から立ち上る小さな水滴が霞となって山の上の城を覆っている。麓からは霞が城を覆い隠しているように見える。

琴姫は、白く隠された道をゆっくり歩いていた。霞からの水滴が髪を湿らせていく。これなら、昨夜の菫も根付いているかもしれない。期待して向かった霞の先に、清忠が立っていた。約束した訳でもないのに出会えた事に、とくんと心の臓が音を奏でる。

「琴姫様」

こちらを見た清忠の表情で、琴姫は気がついてしまった。

「菫は枯れてしまいましたか」

「はい」

申し訳なさそうに項垂れる清忠。

明るくなって改めて見ると植え替えたとは言えない酷い有様だった。根は途中で切断されていたり、深く埋められ過ぎ、水が流れ根が剥き出し。

「これでは生きてはいけませんね。可哀想なことをしました」

清忠は何も言わず、2人は霞が晴れる前に城に戻った。



夏になっても、城の強化は終わらなかった。

「いつまで続くんだ、この作業」

「御館様は若すぎらぁ。京に行って臆病風に吹かれてなさる」

「ああ、前の御館様は強かったよな」

琴姫の元にまで不満の声が聞こえてきた。まるで黒い靄のような不満が龍野城を覆っていくようだ。

兄上は休息という言葉を忘れたように動き、弟の広秀は手伝いをしている。琴姫は城の中の備品を確認して報告し、必要だと言われたら移動する作業を行っていた。

「琴姫様、こちらの綿入はどういたしましょう」

綿の入った着物は、冬に使うものだ。

「秋になったら直ぐに使うそうです。綺麗に補修をして取り出しやすい場所に保管しましょう」

「分かりました」

琴姫の前では、しおらしい侍女たちだが琴姫が立ち去ると別だ。

「ああ、暑いったらないよ。真夏に綿入の着物の補修ってなんなのさ」

「本当にそうさ。近頃はおかしな指示が多いって話じゃないか」

「若い御館様は何を考えておられるのやらだね」

男達の不満を表す声は短い怒号だが、女達の話は長く終わりが見えない。

「まあ、琴姫様。通路に立ったままでどうされたのですか」

別の侍女に見つかってしまった。一瞬にして部屋の中が静まり返る。

「八重こそ、どうしたの」

「お昼の支度が整ったので声を掛けに来ました」

この八重は、次女の中でも琴姫と歳が近く話し方も砕けたところがある。

「そう、ありがとう。聞こえましたか?休息にしましょう。涼しいところで休んで下さい」

琴姫は部屋に顔を見せることなく声を掛け、その場を立ち去った。

女達は嘘のように静まり返っていた。



秋になると、綿入れの着物は売られて行った。再び、新年の挨拶に来るようにと織田信長公より親書が送られてきたからだ。

つまり、お金が必要になったのだ。

綿入れが無くなれば冬の生活は厳しくなる。至急、新しく用立てる必要が出てきた。

「今度は仕立てだってさ。秋は収穫時で忙しいのに。どれだけ働かせるのさ」

「まったくだ。姫様なんて呼ばれて秋がどれ程忙しいか知りもしないのさ」

「ああ、小さな子供だって働いてるんだ。余計な仕事なんてやってる暇はないんだよ」

女達の怒りは、夏よりも増していた。琴姫は、黙って廊下で聞き耳を立てていた。

「みなさん、落ち着いて下さい」

この声は、八重だ。

「落ち着ける訳ないだろ。綿入を売っちまったから今から作れなんて人をなんだと思ってるんだい」

「そうだよ、この時期は猫の手も借りたいってのに城に集められてさ」

「分かります、でも」

「何がわかるって言うんだい。今がどれ程大変かやった事あるのかい」

「そうさ、子供もいないひよっ子に何が分かるってんだい」

「泣けばいいってもんじゃないだろ」

「本当に、今まで泣いたら誰かが助けてくれたんだろうけどね。わたしらは、甘くないよ」

八重に対する暴言が酷くなっていく。

琴姫は意を決して足を進めた。

「おはようございます」

琴姫が顔を見せると、静かになったかに見えた。言葉を飲み込んだ女達の鼻息は荒い。

「収穫の忙しい時期に集まって頂いて申し訳ありません」

琴姫は、主の妹。普通なら、女達の中から「とんでもないことです」と声が上がるはずだ。だが、誰一人として言葉を発するものはいなかった。

「みなさまには、空いている時間に登城して頂き綿入れの着物作りの指導をお願いしたいと思います」

「それは、姫様1人で作るつもりかい?」

「はい」

無理なのは承知している。女達も出来るはずがないと思っているだろう。ただ、琴姫は静かに意地を張っていた。

「それなら、しばらく時間は空かないがいいのかい」

「はい」

琴姫が了承すると、女達は全員帰って行った。八重の姿も見えない。

「意地を張りすぎたかしら」

悔しいからか、情けないからか。じわりと涙が溢れそうになったが、奥歯を噛み締めて耐えた。

父上が生きておられたら違ったのだろうか。兄上は気を揉むほど休みなく動いている。それでも、家臣達の兄上に対する不満や憤りが火種のように燻っている。

「父上、母上。私達をお守りください」

琴姫が祈りを口にすると、廊下に人の気配がした。

「琴姫様」

姿を見せたのは清忠だった。急いできたのか髪が乱れている。

会えるのは嬉しいが、布と綿に囲まれた姿を見られたくはなかった。

「大変だと聞きました」

清忠の言葉の後、八重が姿を見せた。

八重なりに気を使い清忠を呼びに行ってくれたのだろう。だが、清忠に一人で縫い物をする姿を見られたくなかった。

「大丈夫、問題ありません」

意地を張ってしまい後悔したが、平気な顔を崩すことはしなかった。

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