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霞の中の龍野城 25

三木城は、餓死した者が城内に無造作に横たわり生きている者も骨と皮だけで立つことも出来ずに斬り捨てられたと聞く。

上月城は、圧倒的人数で取り囲まれ命乞いをする為に、家臣が城主を斬首。残る家臣を助けてくれと願うも、皆殺しに。戦火を逃れ、城に逃げ込んだ村人さえも殺され、抵抗できない女子供すら見せしめの為に磔、串刺しにされた。

龍野城は、息を潜めて織田軍の動向を見守っていた。

城に出入りする者の数が減り、各々話し合っておる気配だ。皆、あまりの出来事にどうしたらいいのか判断出来ずにいた。琴姫も、もし龍野が戦火に見舞われたら城下に暮らす者を城で匿うつもりで用意をしてきた。

だが、

「最早、何が最善か分からない」

広秀が頭を抱えていた。

琴姫も、そうだ。この状況で他の城主に嫁ごうものなら、叛意ありと受け取られかねない。

織田軍の動向を今以上に見守り、都度決めていくしかない。

「姉上、私は暫く考える事を止めます。久しぶりに琴を奏でて貰えませんか」

「そうですね、少し気持ちを落ち着けましょう。八重、琴の用意は私がします。広秀にはお白湯と軽く食べられる物を用意してくれる?」

八重が素早く退出する。琴姫は、部屋を出る前に弟を振り返った。

疲れてはいるが、広秀の顔色は悪くない。

広秀を兄上様の様に亡くす訳にはいかないのだ。


琴を持って部屋を出ようとすると、清忠がやって来た。

「御館様より、琴姫様を手伝うように申しつかっています」

「一緒に奏でるのは久しぶりですね」

琴を手渡し、先を歩く清忠に後ろから声をかけると、

「本当に久しぶりです」

と少し嬉しそうに返答があった。

不謹慎ではあるが、琴姫は喜びを感じていた。

広秀の元に戻ると、柿を食しているところだった。

「姉上は吊るし柿の方が好きでしたよね。こちらの柿は食べておきますね」

悪戯っぽく笑っている。

「どちらも好きですよ。両方頂けます」

琴姫の返答に、「はははっ」と笑って広秀は柿を完食してしまった。いつもなら、姉上もどうぞと残してくれるのにと違和感を感じたが、琴姫は演奏に集中する事にした。

指が琴糸に触れると、雑念が圧縮され一本の芯になる。研ぎ澄まされた感覚のまま、清忠を見つめると、心得たとばかりに笛の音が響く。

始めは静かに琴糸を揺らす。

次は、寄り添うように。

語りかけるように。

会話をするように変化していく。

音を創り出す世界では、琴姫と清忠の二人しか存在しない。

『幸せだわ』

心から、感じて琴姫は最後の琴糸を弾いた。


意識を現実に戻し、正面の広秀に向いあった。

そこに、柿を食べて悪戯を言っていた弟は居なかった。

真剣な眼差しで背筋を伸ばし正座をしている。

「ありがとうございました、姉上。清忠も。すまないが、退出してくれ」

お礼の後に言われた言葉が飲み込めない。

「広秀?」

問いかける琴姫を、右手を挙げて遮った。

「すみません。考えたいのです。出てください。何も言わずに」

左手で目元を隠し、拒絶の態度を示している。

「琴姫様」

清忠が琴を片付け、退出を示唆する。琴姫は黙って従った。

襖を閉める際に、垣間見えた広秀はいつになく考え込んでいるように見えた。


琴姫の兄、広貞は心優しい武芸に秀でた人物だった。弟の広秀も優しく、学問に精通していた。広秀の幼い頃に母上様が亡くなられたので、琴姫からすると守るべき弟といったところだ。

その広秀が、見た事のない表情で考え込んでいた。あの表情は、父上様や兄上様が大きな物事を決める時の顔に似ていた。

思い返せば、父上様は決断する時に琴を聞きたいと言っていた。

「琴姫の奏でる音は、散らばった思考を纏めあげる力が有る。重宝している」

酒を飲みながら、話していた。もし、広秀も同じ事を考えたのだとしたら。

振り返ると、襖は固く閉ざされていた。

琴姫は、再び開く事が出来なかった。



この日夜は、八重が居なかったので部屋で静かに朝を待った。

布団に入ると、広秀の事が気になって眠れなかったのだ。夜が明けきらないうちに、琴姫は部屋を出た。

「おはよう。早く目が覚めたので八幡様に御参りに行くわ。一人で行けるから大丈夫よ」

琴姫が声をかけると、侍女は眠そうな顔で去っていった。

冬の訪れを感じさせる霜柱が、八幡様に続く道にも見え始めていた。

幼少の頃は踏むと楽しかった霜柱も、今では避けて通っている。

昔は、広秀と霜柱を踏むだけで笑っていたのに。

「琴姫様、お早いですね」

低い声に顔を上げると、清忠が八幡様の前に佇んでいた。

「清忠様も、早いですね。御参りですか?」

「はい、それもあるのですが。こちらを見て下さい」

清忠が地面を指すので、霜柱かと思った。

「まあ、このような季節に菫ですか?」

驚いた事に、菫の花が一輪だけ花を咲かそうとしていた。

「この石の上に蝋燭を置いて居たので、春と間違えたのでしょう」

「もしかして、清忠様は私が来れない日もこの場所に?」

琴姫が夜出れるのは、八重が当番の時だけだ。菫が春と間違う程、暖かかったという事は。

「眠れない夜だけです」

「そんな、無理しないで夜は休んで下さい」

琴姫が心配すると、清忠は嬉しそうに顔を綻ばせた。

「昨日の広秀は、変でしたよね」

清忠の笑顔に、顔が赤くなる事を自覚して話題を変えた。

「はい。御館様らしくありませんでした。昨夜も遅くまで寝付けない様子だったと、御前に控えていた者から聞いています」

明け方に、眠ったようだ。

「目覚めた頃に様子を伺ってみましょう」

この後、季節外れの菫を二人で眺めて、それぞれの場所に戻って行った。


急を告げる早馬が到着したのは、この日の昼過ぎだった。

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