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霞の中の龍野城 24

田圃を緑が覆い尽くすほど、稲はすくすくと育っていた。

今年は気候に恵まれている。

「この様子ですと備蓄も期待できますね」

八重が田畑を見回し嬉しそうにいった。

「そうね、そうなるといいわね」

龍野城を取り巻く情勢は均衡を保っている。今年は豊作が見込めそうだ。

清忠とは、上手くやっている。

なのに、琴姫の心は落ち着かなかった。

「私は、黄金の稲穂を見ることができるかしら」

それは、予感のような物だった。

「琴姫様、今宵も八重が当番です。心配事がある様でしたら、清忠様に相談されては?」

不安気な琴姫の顔を覗き込み、八重が提案してくれた。

「ありがとう」

今宵も、八幡様の前に行ける。

清忠に会える。

良い事を思い浮かべて、琴姫は不安を心の奥に押し込めた。


八幡様の前に到着すると、清忠は既に到着していた。

琴姫を見つけると、人差し指を口元に持っていき、静かに来るように示した。

そっと近づいていくと、遅咲きの菫の花がほんのりと光っている。

「蛍です。まだいたのですね」

蛍は水無月(六月)が盛のはず。葉月(八月から九月)を迎えた今では、一人彷徨った孤独な光に見えてしまう。

「綺麗ですね。いつも見ている菫の花の色が違って見えます」

清忠は、寂しい光に見えなかったらしい。

「本当ですね。薄い紫がほんのり緑に見えてきます」

単純な話で、琴姫も貴重な体験をしている気持ちになってくる。

蛍は暫く菫を照らした後、夜の闇の中に溶け込んで行った。

「八重から聞きました。何か心配事があるのですか?」

「和やかな時が続いたので不安になっているのだと思います」

妙な胸騒ぎは、伝えたくなかった。

暖かかった風に少し冷気を感じる夜だった。


琴姫の予感が当たった。

東の三木城が陥落したのだ。

情勢が一気に動いた。

織田信長公の軍勢が、西に動き始めたのだ。

龍野城から近い姫路城は、羽柴秀吉の軍師を勤める黒田孝高が中心になり拠点を展開。

書写山に陣を張った。

南から毛利軍に迫るのかと思われたが、龍野城の北側からも兵が動いた。

北側の兵が、一気に上月城を攻め落としたのだ。

この頃になると、陥落した三木城の内部の様子がわかるようになってきた。

「三木城では、食べるものが尽きても兵糧攻めの手を緩めなかったとか」

「鼠すら寄りつかなくなったらしい」

「草も食い尽くされ土しか残ってなかったそうな」

「飢え死にした者が・・・」

琴姫は聞くに耐えなくなって、その場を離れた。

広秀や清忠は連日動き回り、琴姫も城の中を整え稲刈りの時を待った。


黄金色の穂が頭を垂れるようになると、稲刈りの時期になる。今年は、できるだけ素早く刈り取っていく。収穫物を狙った侵略は繰り返されてきたから、気が抜けない。

朝早くから、夜遅くまで作業は続いた。


そんな中、上月城が陥落したと一報が届いた。

織田軍の猛攻に恐れをなした者が、城主の首を跳ね降伏した。

だが、織田軍を率いる羽柴秀吉は許さなかった。降伏した者の命を次々と奪っていったのだ。

上月城内に残っていた女や子供まで、全て捕らえられた。

「そんな、無抵抗な者まで」

この女子供は、城主の妻や子供ではない。兵が攻めてきたので城に逃げ込んだ城下に住む村人達も含まれていた。

「その数、二百余りとの事」

「そんなに多くの・・・どこに連れていかれるのでしょう」

子供達の行く末が気になって口にすると、

「分かりませんが、西の方に向かったと」

上月城から西だと、龍野城とは反対方向だ。

近くない事に、安堵しつつも不安は増すばかりだった。


収穫した米は、無事に蔵に収めることができた。他にも、芋や干し肉なども例年より多く備蓄できている。

夜になると気温が下がり始めたが、琴姫は気にすることなく八幡様へ続く石畳を歩いていた。

今宵は清忠から貰った手紙を例の櫛入れに仕舞い、持って来ていた。

ざくっと、土を踏みしめる音で清忠だとわかる。

「待っていました」

琴姫が振り返ると、清忠は真剣な面持ちで見つめ返してきた。その理由は、琴姫が持つ手紙にある。

「とても、嬉しく思いました」

琴姫が櫛入れから取り出すと、清忠は少しうつむき加減で、

「ありがとうございます」

と言った。

手紙には、押花にした菫の花が添えられていた。文面には

『何時までも共に』

の文字があった。

「清忠様、私も同じことをしていたのです。蛍の菫が枯れるのが忍びなくて」

手紙に菫の押し花を添えて手渡した。

手紙の文字は

『何時までも忘れない』

にした。

たとえ離れても、生涯覚えているという想いを伝えたかった。

そして、私を忘れないでと願いを込めた。

「大切にします」

手紙を持つ琴姫の手を取り、引き寄せられて抱き締められた。

清忠の暖かい体温を感じながら、この安らぎを手離す日が少しでも遅い事を願った。



琴姫の願いは、早馬の嘶きが砕く事になる。

「どけどけ、御城主様に急ぎ取次ぎを」

埃も払わず、足をもつれらせて駆けてきた男がいた。

「申し上げます。上月城から連れ去られた女子供。国境の山中にて全て磔、串刺しの刑が実行された模様」

龍野城内の方々から、息を呑む音がした。

「それは、どういう事だ」

女子供が磔と串刺しと話されたのに、あまりの内容に聞かずにはいられなかったのだろう。

「上月城が陥落した際、男達はその場で命を絶たれました。女子供は連れ去られ国境まで連れていかれ、その場で・・・おそらく毛利軍への見せしめではないかと。急ぎお知らせに参りましたが、他の者が残り詳細を確認次第戻る手はずになっております」

先日、三木城の行く末を聞いたばかりだった。

織田信長公に逆らった者の末路が、恐ろし過ぎる。

「かの軍は、そのまま毛利討伐に向かうのでしょうか?」

そうであって欲しいと、皆が思っていた。

もし、その刃が龍野城に向けられたなら、安らかな死すら望めないと誰もが感じていた。

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