霞の中の龍野城 23
琴姫に許される時間を大切にしたい。
清忠に会えない夜は早く休み、翌朝は明るくなる前に起き出す。蝋燭や薪も節約する必要があるから、早朝が重要になる。
静かな朝に針に糸を通し、琴姫と清忠の祝言で使う予定だった着物の端切れを手に取った。
少ない生地を形にしていく。
縫い物にも慣れた琴姫は、朝の光が強くなる頃には目的の品を作り終えていた。
清忠の手紙と共に片付けると、部屋を出て普段通りの生活を送る。
冬の間に春に備える必要がある為、備蓄を始めとした城の内部の管理、武器の手入れなどは、琴姫が差配することになる。
「おはようございます。琴姫様」
「おはよう。今日から種籾の準備を進めていきましょう」
「わかりました」
まだ寒さが残る時期から、米作りの準備は始まる。
男達は、主に田んぼの土作りと土手の修復。女達で、種籾の発芽を促す作業に入る。
ここからは、稲作に向けて忙しい日々が始まる。米だけでなく、今年は芋の栽培も増やしていく予定だ。
「織田信長公は、播磨の平定を諦めていません。東の神吉城、志方城、魚住城、高砂城は攻め落とされ、三木城は兵糧攻めにあっています」
広秀が語った。
「尾張からも京からも離れた播磨に、兵を連れてくるのです。我らは、食を提供する側になろうと思います」
その提案は、織田信長公の戦を支える意思表示となる。
日中、琴姫は忙しく動き回った。そして、夜になり八重がやってくると密かに部屋を抜け出した。
夜の冷え込みは、琴姫の手足から体温を奪っていく。寒いからこそ、
「清忠様」
琴姫は、躊躇わずに待ち人を抱き締めた。
「琴姫様」
気持ちに応えるように、抱きしめ返される。
幸せだなと、琴姫は思った。
「清忠様、こちらを受け取って頂けますか?」
今朝、出来上がったばかりの品を取り出し渡した。
「こちらは?」
右腕に琴姫、左手に品を握りしめて驚いた表情をしている。それが可笑しくて、笑ってしまう琴姫。
「私たちの祝言の為に用意した着物の端切れです。笛を入れる袋を作ってみました。表は清忠様の生地で、裏に私の物を使っています」
清忠は、右腕に力を入れ琴姫を懐深く抱き締め直すと、左腕で目元を拭った。
「これ程、頂いて嬉しい品はありません」
清忠の反応が照れくさく、
「私も、表は女物で櫛入れ作りました」
琴姫は、急いで話した。
本当は、櫛入れの存在は秘密にするつもりだった。この櫛は、母上様の形見で清忠に会う時だけ使うつもりの物だ。
貴方に会う時は、この櫛で美しくなりたい。そんな気持ちを込めて作ったとは、言うつもりはなかった。
未練になりそうだから。
田植えが終わるまでは、目まぐるしく時が過ぎた。
清忠に会える日は少なかったが、八重を通じて手紙の遣り取りが出来た。とはいえ、文面は短い。
『菫の花を見つけました』
と、来た時には作業の傍ら菫を探した。
『手折るのが心苦しく、描きました』
と、菫の花の絵が届いた時には一生の宝物にしようと思った。
「琴姫様、今宵は八重の当番です」
田植えも落ち着き、気候も安定している夜だった。
数年前に枯れてしまった菫は、どこからか種が運ばれてきて八幡様に続く通路で咲き誇っていた。
月明かりだけでは見えづらいので、蝋燭を近づけると菫はふわりと揺れた。
「小さいのに、負けないのね」
薄い紫の花は、豪華さは無いが内に秘めた優しい強さを感じて琴姫は好きだった。
「菫を見ると心が和みます」
遅れてやって来た清忠が、琴姫の横に寄り添ってきた。
「菫の絵、上手でしたね」
琴姫が褒めると、清忠は照れた顔ではにかんだ。
最近は、手を繋ぐ事も増えた。今も、繋いだ手をそのままに八幡様の前に立っている。
龍野城を取り巻く情勢は、好転することはない。今は、東の三木城の周辺の城が落とされ兵糧攻めにされている。
西からは、毛利軍が上月城を取り囲んでいると聞く。上月城は、播磨国・備前国・美作国に国境を接する城だ。播磨灘には、毛利水軍の影が見えるいう。
城の中では、こう言った情勢を聞き対策を話し合っている。だが、二人で会う時はお互い口には出さなくなっていた。
「夜でも暖かくなりましたね」
過ごしやすくなると、ゆっくり話ができる。
「今宵は月が細くなっていますが、星が綺麗ですね」
他愛もない話が心地いいのだ。
「今日、揖保川の畔に鷺の雛を見かけました。暫く見つめあったら母鳥の元に逃げていきました」
「琴姫様に見つめられて、羨ましいです」
「清忠様の事も見つめていますよ」
琴姫は清忠の前に体の向きを変え、静かに見つめた。
仄かなあかりの下で良かった、赤くなった頬を隠すことなく過ごせる。
長く見つめあっていた二人の影は、ゆっくりと重なっていった。
小さな菫が、優しく揺れていた。




