霞の中の龍野城 21
「やめて下さい」
拒絶する声は小さく、手を振り払う事ができない。
「嫌です」
清忠は、琴姫を覆い隠す様に抱きしめた。
「行かせない」
耳元で噛み締めるように言われると、抵抗出来るはずもない。
「泣かないで下さい」
私、泣いていなのかと琴姫は思った。
「仕方がありません。清忠様が、悪いのです」
琴姫は、自身を抱き締める清忠の腕に手を添えた。
「私は、幼い頃から清忠様の妻になりたかった。一度は、家臣の子息だと、身分が違うと諦めました。でも、清忠様は兄上様の近侍まで登りつめた。希望が持てました。そうしたら、祝言の用意をしろと手紙が来て、嬉しくて」
秘めていた想いが叶うと喜んだら、兄上様が亡くなった。
「私も、琴姫様と一緒になれると嬉しかった。長年、お慕い申し上げておりました」
「えっ」
清忠の告白に、琴姫は後ろを振り返った。
「お慕い申し上げておりました。琴姫様に相応しい者になりたくて、剣も学問も笛も必死に学びました。私は、琴姫様には誰よりも幸せになって頂きたいのです。だから、、、」
清忠は、琴姫を正面から抱き締めた。
「礎などと言わないで下さい。琴姫様が幸せになる術を考えて欲しいのです」
自分の幸せなど、考えもしなかった。
「子供の頃、父上様と母上様が健在で兄上様が笑っていました。その横に、清忠様がいて赤子の広秀が眠っていた。あの頃が幸せでした。あの様な時は、もう手に入らないでしょう。幸せな記憶が残る城を守る事が、私の使命なのです」
「私は、琴姫様が不幸になるのを見たくありません」
清忠は、手に力を込めた。まるで、琴姫を手放さないと言っているようだ。
「嬉しい」
琴姫が囁くと、清忠はビクッと体を震わせた。
「喜んでいますか?」
手の力を緩め、琴姫の顔を覗き込んで問いかけてくる。
「時が来れば、私は有力城主の元に嫁ぐのだからと。清忠様に想いを告げるのは悪だと思っていました。ですが、今は嬉しい気持ちが止まらない」
「私も。愛しい、守りたい、大切にしたい想いが止められません」
そう述べる清忠に、琴姫は抱きついた。
「幸せな時が奪われるのは一瞬です。悲しく、辛い別れかは何度も有りました。ですが、幸せな記憶は色褪せない。私は、龍野城を出立する時まで、幸せな時を過ごしたい」
それは、龍野城を出た後は幸せでは無いと語ったようなものだ。
清忠は、複雑な表情のまま優しく琴姫を抱きしめ直した。
二人は、霧に隠されるように城に戻った。
少しの間、手を繋いだ。
清忠の手は大きくて、この発見だけで幸せだと思えた。
「城の者には秘密にしましょう」
琴姫が言うと、手は離されてしまった。温もりが去って行く。
「寂しいですね」
素直に言葉にすると、
「また、機会を見つけましょう」
清忠が返してくれた。
「嬉しい」
琴姫に、清忠が微笑みかける。
「広秀様の所へ行きましょう。この時間を作って頂いたお礼を申し上げないと」
「そうですね、少し。いえ、かなり気恥しいですが」
琴姫が頬に手を添えて言うと、
「ぷはっ」
清忠が笑った。
琴姫は、これが幸せなのだと清忠を見つめた。
「良かった、本当に良かった」
城に戻ると、広秀が顔をくしゃくしゃにして喜んでくれた。
「清忠、出来る限り頑張ろうな。姉上様が龍野城に留まれるように最善を尽くそう」
「はい」
「ありがとう」
状況は何一つ好転していないが、琴姫の心は軽くなった。
「私も、二人が一緒に過ごせる時間を作ります。ですが、城の者には」
「城内が不穏な時に不謹慎でもあるので、気づかれないようにします」
広秀の懸念を琴姫が察して言った。
「はい、お願いします。それにしても、姉上様の想いが届いて良かった」
広秀が胸を撫で下ろす仕草をする。
「私の想い、広秀は知っていたのですか?」
しっかりと隠していたはずなのに。
「分かりますとも。兄上様もご存知だったと思いますよ」
「ええ、嘘ですよね」
琴姫が慌てていると、
「本当ですよ」
わははと、笑いながら広秀が答えた。
琴姫だけが、恥ずかしい気持ちになったが久しぶりに、皆が笑った日になった。
夜更けになって、三人で仏壇に手を合わせた。
「龍野城を守り抜きます」
広秀の決意が、琴姫の胸に刺さった。
八幡様にも、お参りに行った。
広貞の死から、長らく来ていなかったからだ。
「どうか、龍野城を守り抜く力をお与え下さい」
祈りを捧げ、清忠は笛を取り出し琴姫はことの前に座した。
先に、清忠の笛の音が夜空に響く。
ああ、なんと深く美しい音なのだろう。
琴姫が琴糸を弾くと、音が絡み合い寄り添って天へと登っていく。
広秀が、そっと涙を拭った姿は誰も見ていなかった。
皆の想いは、心の内に深く根付いて行った。
曲が終わると、広秀は先に城に戻って行った。
八幡様から少し離れた石畳の上で、琴姫は立ち止まった。
「どうしましたか?」
清忠が心配して振り返る。
「琴を置いて下さい」
琴姫が石畳を指さすと、清忠は言われるままに琴を置いた。
琴姫は、ゆっくり清忠の懐まで歩んでいき、ことんと額を彼の胸に落とした。
「琴姫様」
清忠の焦った声が面白い。
「甘えています。子供の頃を思い出したのです」
琴姫が答えると、
「もう、子供では有りませんよ」
清忠が、抱擁してきた。
琴姫が受け入れて、清忠の背中に手を回す。
「温かいですね」
「本当に、温かいです」
二人は長い時間、この場から離れることができなかった。




