霞の中の龍野城 13
「私は兄上の事を誤解していました」
部屋から出た、二の丸に続く廊下で広秀が言った。
「兄上のされている事は、逃げだと思っていた。強い者を前に戦う事もせず命を惜しんでいると思っていたのです」
広秀の声は震えていた。
「何も聞かずに、思い込んでいた。兄上に申し訳なく恥ずかしい」
自分への悔しさに拳を震わす広秀を見て、琴姫は別のことを感じていた。
「広秀はすごいと思います。私は兄上様のお役に立つにはと思案するばかりでした。兄上様が行動する意味を考えることも無く、己の力のなさを嘆いていましたよ」
琴姫の話に、広秀は勢いよく顔を上げた。
「何を仰いますか。姉上ほど働かれていた人はいないではありませんか。皆、不平不満ばかりで」
悔しさを隠そうともしない広秀。突然の父上様の死に、闇雲に出来ることをしてきた。だが、これからは、
「私たちは、もっと話し合わねばなりませんね。広秀も、誤解が解けたのなら兄上様としっかり話し合いましょう」
「そうします」
明日から始めようと話、今宵は休むことにした。
「姉上様は清忠とも話し合う必要があると思います。私は先に部屋に戻らせて頂きます」
急に少し生意気な発言をして、広秀は去っていった。残された琴姫は、頬が火照って来るのを自覚して顔を逸らした。
急に二人で残されても何を話していいものか思案するところから始めないとならない。
「今宵は寒さがいくらか和らいでいますね」
話のきっかけを作ったのは清忠からだ。
「そうですね、昨日までは指先まで凍えるようでした」
琴姫が言葉を引き継ぐと、清忠はふわりと笑った。
「皆から聞きました。私たちの無事を祈って毎日、八幡様にお参りに入って下さっていたと。寒さの中、ありがとうございました」
「私には、祈ることしか出来ないので」
礼を言われて嬉しいはずが、琴姫は逆に力の無さを実感してしまう。
「とても嬉しく思いました」
清忠は、懐から笛を取り出した。
「今から八幡様に笛の音を奉納しに行こうと思います」
「私も参ります」
「そう言って頂けると思いました。灯りを持って下さい。琴を運ばせて頂きます」
本丸の横の道を抜け、少し下っていくと八幡様の鳥居が見えてくる。通い慣れた道だった。
今宵は清忠と歩くので、足元がふわふわとしている。
琴を設置し、手巾を広げると横笛を取り出して構えた。琴姫は静かに座る。
「兄上様達を無事に帰して頂きありがとうございます」
琴姫が一礼すると、清忠が笛を奏で始めた。寄り添うように琴糸を弾くのが心地良い。
冷えた空気は、二人の音を澄み渡らせる。
(もう少しで曲が終わってしまう)寂しさを感じた時、
「痛っ」
ぱちん、と音がして琴姫の頬に鋭い痛みが走った。
ぷっりと、音が途切れる。
「大丈夫ですか?」
「琴糸が、切れたようです」
琴糸は消耗すると切れる事は珍しいことではない。だが、頬に傷を作るほど激しく切れるなんて。
清忠は、笛の音だけで奉納を終了し琴姫の頬を照らした。
「血が出ています。戻って手当をしましょう」
清忠が手早く片付け、糸の切れた琴を抱えた。琴姫は灯を持ち、帰り道を照らす。
その時、ばさりと頭上で羽音がした。
灯を動かすと、紅葉の老木に烏が止まって睨みつけていた。
星も見えない夜空を背に、烏が「くわぁ」と一声あげて去っていった。
頬の手当てを済まし、布団に入っても眠気は訪れなかった。頬は、ひりひりと痛みを訴え寝かかったと思えば目が覚める。
夜の闇が少しずつ白さを帯び始めても眠りは訪れなかった。
城の者たちには、昨日の宴の翌日なのでゆっくり休むように言付けていた。昼前まで静かな筈なのだ。
なのに、胸騒ぎがする。
琴姫は寝ることを諦め、八幡様へ参る事にした。
本丸の横を通り過ぎる時、兄上様の部屋が開き、清忠が出てきた。
だが、様子がおかしい。顔色が真っ青ならぬ真っ白になっている。
「どうしました?」
駆け寄りながら、琴姫の心の臓がドクンドクンと大きく波打った。
「御館様が、広貞さまが」
琴姫は慌てて部屋に入ろうとした。そこを清忠が阻む。
「息をしておられません」
意味を理解する前に、天地がひっくり返り琴姫は清忠の懐に倒れ込んだ。