霞の中の龍野城 12
「矜恃を捨てても生き残る、そう仰るのですか」
いつもは静かに話を聞く広秀が言葉に含みを込めて兄上様にくい下がる。
「矜恃を持って死ぬか、生き残るために模索するかだと考えている」
何かを感じ取ったのか、兄上様は諭すような話し方を止めた。
「模索すれば生き残れるとお考えですか」
「いや、正直に言うと分からない。織田信長殿は天下を手中におさめようとしている。非常に冷徹な方、と想像していたが」
「違うのですか?」
「いや、冷徹な面はお持ちだ。だが、それだけでは無い。お顔立ちは、かなり整っておられた。微笑まれると安心するが、睨まれると心底恐ろしく感じる。そして、お考えが読めない」
兄上様は、ふうっと聞こえるほど大きく息を吐いた。
「読めないのだよ。何を考えておられるのか。織田信長殿から、播磨国は任せると言葉を掛けられた。任せるとは何か?考えて応え無ければならない。その場で、直ぐにだ」
「なんと応えられたのですか」
「先程、広秀が怒った事を提案した。無条件で我が領地を通過して頂く。その際の休憩場所、食料や物資の提供を申し出た。織田信長殿は、にこやかに微笑まれた。播磨国を統一したらお前に任せようと言われた」
「織田信長殿を後ろ盾に、播磨を治めるという事ですか」
「今の段階ではな。現実になるかは、これからの働きに掛かっている。広秀、複雑か?」
「はい。その内容ですと、織田信長殿の臣下になるという事ですよね」
広秀は屈辱的な表情を隠さない。
「そうだ。臣下になれたら上出来だと考えている」
「何故ですか」
「播磨国の城主達を滅ぼせるだけの力を持っておられるからだ」
「全ての城主達を、ですか?」
「ああ、そうだ。ただ、時間が掛かって面倒だから誰かを臣下にしておきたい。たまたま、私が若く囲いやすいと見て声を掛けた。その程度の理由で選ばれたのだ」
「選ばれなければ、どうると考えますか?」
「滅ぼされるか、良くて人質を取られるだろう」
「その時は、私が人質ですね」
兄上様は、妻も子も無い。
「もしくは、琴姫だな。私はお前たちを人質に取られたくは無い。特に琴姫はやれない」
「はい、姉上より私が良いでしょう」
「広秀、勘違いするなよ。お前を軽く考えている訳では無い。琴姫が人質に行けば側室に望む者が必ず出てくる。琴姫は間違いなく美しい。手に入れたいものが出てくるだろう」
急に話が自身のことになり、琴姫は身震いした。側室とは、既に妻がいる方の元に嫁ぐ事だ。清忠を見ると、眉間に皺を寄せていた。お互い無言のまま視線だけが絡んだが、清忠の考えは分からない。琴姫を人質や誰かの側室になるのを阻止する為の、清忠との婚姻なのだろうか。そうだとしたら、悲しい。
「清忠様は、私を妻とされてもよろしいのですか?」
琴姫が問いかけると
「勿論でございます」
即座に返答があり、琴姫の心がドクンと舞始めた。
「琴姫様は、よろしいのですか?」
「えっ、勿論でございます」
琴姫は、恥ずかしさから俯きながらこたえた。
「良かった、有難く思います」
清忠の声は優しく、琴姫はますます顔を上げられなくなった。
「羨ましいな、私も妻を娶りたいものだ」
冗談めかして言う広貞だが、御館様の立場として妻を娶ればその者はいずれ人質となる可能性が高くなる。
だが、織田信長殿の臣下と認められ播磨国を任せられるまでになれば状況も変わってくるだろう。
「安寧の世の為に、この選択が間違いない事を証明する。その為に尽力する。広秀、お前の事も必ず守る。これからは、一緒に政をして行こう」
広貞の呼び掛けに、
「はい、微力ながら頑張ります」
広秀が力強く応えた。
「頼りにしている」
問題は多く、深刻だ。だが、不思議と大丈夫な気がした。頼もしい兄弟に恵まれ琴姫は久しぶりに安堵の息を吐いた。
「久しぶりに琴姫と清忠の音色を聞きたいが、今は休ませて貰おう。流石に疲れた」
兄上様の一言で、この場はお開きになった。
「ごゆっくりお休み下さい」
「今日は兄上と話せて嬉しかったです」
琴姫と広秀から挨拶を受け、広貞はにこやかに手を振った。
「ああ、また明日」