マイ・フェア・レディ
カレン・エレナード公爵令嬢は美人であった。
黄金を溶かして紡ぎ上げたかのような金髪、蒼い宝石のような瞳、身体もしなやかで曲線美を持っていた。
顔立ちも人形のように整っており、彼女を妻にできる人物は幸せであろう。
――ただし、彼女が悪役令嬢でなければ、だが。
なんでも彼女は王都にある王立学院で同級生である聖女を虐めた咎により修道院に幽閉されていたそうな。
いわゆる悪女というやつなのである。
その子細を聞くと美しい薔薇には棘があるのだな、という感想が漏れ出てしまうが、この世界には棘のない薔薇も存在する。彼女を棘のない薔薇に再教育するか、あるいは棘自体抜くことは可能であろう。
そう思って彼女と婚約したのだが、彼女は出だしからその気性の激しさを見せる。
「この〝豚小屋〟がわたくしの部屋ですって!?」
どうやら彼女にあてがわれた部屋が気にくわないらしい。
なんでも実家にいたときはこの三倍の大きさの私室をあてがわれていたらしい。それにウォークインクロゼットがないことにもお冠のようだ。
「ウォークインクロゼットは専用の衣装室を設けるから待て。部屋の広さは我慢して貰わねば困るが」
「我慢なんて出来ないわ。いますぐ部屋を新調してちょうだい」
「無理を言うな。我が家は地方の伯爵家なのだ。家を増築する金もない」
「わたくしの持参金があるでしょう」
「あれは借金に消えた。兄たちは放漫な領地経営をしていたからな。商人に借金があったのだ」
「わたくしはその借金を返すために縁談を申し込まれたというのね」
「そういうことだ。無論、妻とするからには愛する覚悟があるが、半年間、仮の婚約を結びたい」
「半年……?」
「そうだ。それで互いに合わなければ婚約を解消するつもりだ」
「……もしも婚約を解消したらわたくしは修道院に送り返されるのかしら」
「それはエレナード公爵家の胸三寸だが。婚約が不成立でも嘆願書を書いてやろう。おまえも修道院は懲り懲りだろう」
「そうね。あんなところ、二度と戻りたくないわ」
カレンは身の毛もよだつわ、と修道院での生活を回想する。
朝、5時に起床して冷水で沐浴をするしきたり、
毎日がマッシュポテトだけの貧相な食事、
やたらと広大な敷地を掃き掃除する苦役のような掃除。
なんの娯楽もない中、山の中に閉じ込められる苦行だけはもはや味わいたくない、というのがカレンの率直な感想だった。
あの灰色の日々に戻るくらいならばあなたと結婚したほうがましよ、と毒舌を噛ましてくるが、彼女はツンデレ、今は「ツン」が多めに出ていると我慢して悪態を聞いていると彼女はテーブルにインクのあとがついていることに気がつく。
「ああ、これか。すまないな、この部屋は俺が書斎として使っていたんだ。そのときにインクをこぼした」
「え? ここはあなたの書斎だったの?」
「そうだ」
「それじゃあ、書斎は今、どうしているの?」
「小さな部屋に移し替えた。まだ本の整理をしていないから人が入れる状態じゃないが」
「……伯爵家の当主が書斎を移してくれたのね。わたくしのために」
カレンは殊勝な台詞を漏らす。やはり根は悪い女性ではないようだ。
「気にするな。婚約者のためならば部屋のひとつやふたつ譲り渡せる」
「……婚約者、なのよね。わたくしたち」
「そうだ。だからって接吻など求めないぞ。そういうのは本当に好いてくれるようになってからでいい」
「……あなた、性欲がないの?」
「紳士だと言ってくれ。俺は君の過去を知っている。その上で君を最高の淑女に教育するために君と婚約したんだ」
「わたくしを最高の淑女に?」
「ああ、君は都では悪女だの悪役令嬢だの言われていたのだろう。その悪役令嬢を最高の淑女にする。それが俺の目的だ」
「……そんなの無理よ。だってわたくしは性格が悪いもの」
「本当に性格が悪いものはそんな台詞吐かないさ。それに君は修道院に入って多少、人格が矯正されたはずだ。今ならば最高の淑女になる可能性だってあるはず。人間、やり直せるものだ」
そのように慰めると彼女は雨に濡れた子犬のような表情で俺を見つめた。
「……わたくし、本当にやり直せるのかしら。悪女を卒業できるのかしら?」
その問いに俺は真摯に答える。
「知っているか、人間、〝今〟が一番若いんだ。若い時分ならばいくらでもやり直しがきく」
「なによそれ、おじいちゃんみたい。あなた、まだ二十歳そこそこでしょう」
「これでも長年冒険者をして人生経験を積んでいるんだ。人間、遅いなんてことは一度もない。いつでも生まれ変われるものさ。微力ながらその手伝いをさせて貰う。そう思って俺の側にいてくれればいい」
そのように断言するとカレンは顔を赤らめさせながら言った。
「分かったわ。あなたを信じてみる。今日からあなたの婚約者として淑女になってみせるわ」
「その意気だ。さあて、それじゃあ、今日はその前祝いだ」
「前祝い?」
「グラハム領ではめでたいことがあったとき、庭で飼っている七面鳥を締めて丸焼きにするんだ。執事のハンスが七面鳥の丸焼きを焼いてくれる」
「まあ、だからさっきからいい匂いがするのね」
「我が家で買っている七面鳥は王国一だ。かぶりついて腰を抜かすなよ」
「わたくしは淑女です。七面鳥にかぶりついたりしません」
そのように宣言するカレンであったが、七面鳥を食卓に出されると二人前ほど召し上がられた。どうやら彼女はグラハム領の七面鳥をいたく気に入ってくれたようだ。
こうしてカレンとの距離を少しずつ縮めながら彼女の性格の矯正をしていく。
俺はこの計画を「マイ・フェア・レディ」計画と名付けた。
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