やる気の技術 タイムトライアル
合宿最終日のタイムトライアルは、一周1kmの馬彦運動公園のランニングコースを5周する。
深沢孝太郎は先頭を走っていた。
1km通過。
孝太郎は腕時計のラップボタンを押して確認する。
3分20秒。
(ちょっと速すぎたか?)
目標より4秒も速い。孝太郎は両手をダラリと下げて軽く揺さぶった。
「心拍数上がったらスピードを落とすんじゃなくて、力みを抜くんだよ」
この合宿で数十回は耳にした絵里奈の言葉が頭に木霊する。
疲労感はさほどないが、心拍数が上がっている感触はあり、何より予定よりかなりのハイペースだ。一旦落ち着けよう。
孝太郎はそう判断した。
2km通過。この周回は3分24秒。
(これでいい)
孝太郎は自分に言い聞かせた。
孝太郎は、公言はしていないが、密かに16分台を狙っていた。1km3分24秒で5kmがちょうど17分になる。
だからこのペースで押して、ラスト100mでスパートをかける作成を立てていた。
1周目が速かった分、4秒前後貯金がある。
しかし、逆に考えると前周から4秒落ちていることが気にはなる。
ハイペースを調整した結果とはいえ、ラップタイムが落ちるのは嫌なものだ。
(これでいい。もう一周同じタイムで行ければ大丈夫)
孝太郎は何度も自分に言い聞かせた。
3km通過。3分25秒。
(悪くはない。まだスパートをかける余力はある)
疲労が溜まってきた自覚はある。
だが、まだなんとかなる疲労だ。
着地の瞬間、着いた脚に時折鈍い筋肉痛が出る。しかし、その筋肉痛はずっと残りはしない。空中である程度消える。呼吸を意識しても消える。
歩幅を気持ち狭めて、その分ピッチを上げる意識をしても痛みは軽減する。
まだやりようはある。
4km通過。3分28秒。
貯金は無くなった。
無くなっただけだ。
この一周を気合い容れて、もう一度3分24秒程度で走れば目標達成できる。
(傍目にはイージーに見えるだろうな)
孝太郎はそんなことを考えていた。
しかし、その4秒短縮が楽じゃない。もはや疲労は明確に自覚出来る。おそらく何も考えなければこの一周は更に5~10秒落ちるだろう。
つまり、実質15秒を気合いで上げることになるのだ。
(ラスト100mのスパートじゃ無理だ。200から行くか?いや、もう行かないと!)
しかし、思うように体が動かない。
「オーバーだよ!」
絵里奈の声がした。
絵里奈の言うオーバーとはオーバーストライドのこと。適正よりも歩幅が広すぎる状態で、疲労を招き、ピッチを阻害してしまう要因だ。
「浮いてる!前傾!真下!踏んで!踏んで!そうそう!」
絵里奈の声が続く。おそらく後ろを走りながら声がけしてるのだろう。
浮いてるは、推進力が上に逃げていること。その対処法として骨盤からの前傾を意識し、重心の真下に直地する。重心の真下に着地するには振り出した脚を引き戻して地面を踏むイメージ。
これも合宿でさんざん耳にした言葉だ。
「エルボー!膝!合わせて!」
腕振りは前方に肘打ちをする要領、それに膝蹴りを合わせる。
他ではあんまり聞いたことが無い言葉。おそらく絵里奈独特の言い回しなのだろう。
「そう!そのまま!」
指示が無くなり、エールのみになった。
「引くから、着いてきて!二人とも行けるよ!」
絵里奈は颯爽と先頭に回った。
(ありがたいけど先生、タイムは?ストップウオッチ持って無さそうだし・・・測定世良さんに任せたのかな?えっ!二人とも?!)
孝太郎はここで初めて自分と絵里奈以外の足音を認識した。
いつの間にか隆が並走していた。
孝太郎は一瞬焦った。隆に負けるかもということではない。今回に関してはタイムとの戦いであり、負けるのはどうでもいい。むしろ仲間のレベルが上がるのは歓迎ですらある。
問題は、自分のペースが落ちてきているのではないかということだ。
腕時計で確認するか?いや、今は少しでもフォームが崩れる切っ掛けになることはしたくない。
「速えーな」
隆が言った。
「ああ、流石だよな」
孝太郎は、先頭を走る絵里奈のことを言ってるのだと思った。
「お前もだよ」
「!!」
隆の一言で孝太郎は何かが吹っ切れ、視界が開けた。
隆の息遣い、フォーム、スピード、どれを見ても余裕で追いつかれたものではない。孝太郎が落ちたのではない。彼が上がったのだ。それも、相当な決意で。
「行けるぞ」
隆が言った。
「ああ」
孝太郎はそれだけ答えた。
それだけで分かる。隆も必死に17分切りを狙っている。
ならば、このまま行くだけだ。
一瞬、絵里奈が振り返り、二人がついてきてることを確認して叫んだ。
「ラスト100!」
孝太郎と隆も同時に叫んだ。
「ラスト100!!!」