怖いボクサー 玉砕戦法
ゴングが鳴ると、リングの中央に向かう二人。
左構えである水沢は右手、右構えの所沢は左手と、お互いの前側の手を差し出した。
「お願いします!」
互いに挨拶すると、差し出したグローブ同士を軽く合わせる。
「ガンガンいくぞ」
所沢はそう言うと、いきなりの右ストレートを放った。
咄嗟のことで、やや反応が遅れたが水沢はスウェーバックで躱し、パンチは胸のあたりに当たる。
それでも鈍い音が響いた。かなりの強振したことが伺える。
間髪入れずに所沢は左を返す。
ストレートとフックの中間のような起動、クロスと言われるパンチだ。
水沢はガードするものの、勢いに押されて腕がはじかれる。
そのガードをこじ開けた所に所沢が左フックをダブルで決めた。
それと同時に水沢も左ストレートを返す。
ほぼ相打ち。
しかし、一瞬、所沢の方がフラつく。やはり、水沢の方が地力に勝るようだ。
その様子を見て、一瞬躊躇する水沢。
逆に、それを見逃さず所沢が再び右ストレートを強振した。
今度は水沢はしっかりとブロックする。
かまわずワン、ツー、スリー、フォーまでストレート系で4連打する所沢。
水沢は3発まで固いブロックでしのぎつつ、4発目をサイドステップで躱し、右フックを引っかけた。
「さすが上手いな」
リングサイドで世良が漏らす。
「いや、所沢さんも強い。右フックは読んでましね」
阿部がそう言う通り、右フックをもらいつつも所沢は止まらず、攻撃を返す。
ちゃんと避けられなくても、来るのを予測して覚悟を決めているだけで、受けるダメージはだいぶ変わるとのこと。そこは世良にはまったく分からない領域だった。
一旦距離を取る水沢。間髪入れずに所沢が飛び込んで右ストレートを放つ。
「こんなんもアリなんですね」
世良が言った。
「こんなん?」
阿部が聞き返す。
「右から入ることです」
世良は基本は左ジャブからだと習っている。そして、左回りで動けと。しかし、それだと距離が遠くて当たる気がしなかった。
それに対して所沢は、右回りをして右ストレートを放っている。この方がパンチは届きやすいのではないか?そう感じての質問だった。
「普通は無しですよ」
阿部が言った。
「パンチは届きますが、自分も危ないですから」
確かに入り様に何度も右ジャブをカウンターで合わされている。
「所沢は玉砕覚悟ってことですね」
「ええ。それもあります。素晴らしいガッツですよ。でも・・・」
「これを、やらせちゃいけないってことですね」
阿部は黙って頷いた。
先の試合も、似たような展開だったからだ。
所沢もそれを意図してやっているのだろう。二人のスパーリングは終始このような攻防が続いた。
果敢に攻める所沢に対し、上手く裁いて返す水沢。手数は所沢の方が多いが、やはり正確性とパンチの強さでは水沢に分がある。
頭で考えると、水沢の方が強そうで上手い。
しかし・・・
(なんか所沢の方が怖いな)
と世良は感じた。
(強さと怖さは別なのか・・・)
世良が阿部の言うことをなんとなく理解し始めた頃、終了のゴングが鳴った。
「あざあっした!」
所沢は絞り出すようにそう言うと、膝を着いて荒い呼吸を繰り返した。
「ナイスファイト!あざっす!」
水沢は所沢の肩を叩くとコーナーに下がり、世良に差し出された水を飲んだ。
彼は特に息も切らしていない。
こう見ると、一見互角に打ち合っていたようでも、明確な実力差があることが分かる。
遅れて所沢がやって来る、世良は同じく水を渡した。
「あ゛ー!きっついな!お前、こんなパンチ強かったっけ?」
所沢が感想を漏らす。
「鍛えたからだよ。いつも見てるじゃん」
と水沢。
「でも、そんな体デカくなってないのにな・・・」
と所沢。
「ボクサーだから(減量あるから)当たり前だよ。筋肥大しすぎないようにメニュー組んでるだろ!」
と世良が突っ込む。所沢の発言はフィジカルトレーナーにあるまじき言葉で、彼が知らないわけもない。それだけ疲労で脳が働いていないのだろう。
しかし、だからこそ素直な感想でもあり、思った以上に水沢のパンチが強かったということだ。
「なんか、コツ掴んだんだよ。全身使う感じのさ。ビッグスリーとかクリーンとかと一緒だよ」
褒められた水沢は饒舌になる。
ビッグスリーとはウエイトトレーニングの代表的な3つの全身種目。クリーンも瞬発力を要する全身種目の名前。
いずれもフィジカル強化として水沢が力を入れている種目だ。
これらをやることで、身体操作のコツを掴んだと言う。
水沢は当初、戸惑いながらスパーリングに応じていたが、ようやくいつもの調子を取り戻して来た。彼なりに手応えのあるスパーリングだったのだろう。「また時々やろう」などと、所沢と談笑している。
「そういうことか・・・」
水沢と所沢の話を横で聞きつつ、世良は撮影していた動画を確認していた。
そして、顔を上げて言った。
「阿部さん!分かったかもしれません」




