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怖いボクサー プロローグ

 現在の世良の役職は『社長室 室長』ではあるが、物理的な『社長室』の中で仕事をすることは多くない。

 内部監査としての外回りがあるし、デスクワークも本社のフリーデスクを利用するか、古巣の新港北台店のどこかを借りてすることが多い。


「貴方は私の目であり耳なので、同じ部屋にいても意味ないでしょう。適当に動いてください」

 というのが社長、仲川の方針だった。正直、世良もその方がやりやすい。


 緊急が無ければ社長室に入るのは週に1回、仲川と世良の1対1で報告会を行う時だ。


 社長室は、かなり無機質な部屋で、よくあるオフィス用のデスクと、打ち合わせ用のテーブルと椅子、モニターがある程度だ。

 使用している備品はほとんど他の社員と変わらない。唯一、仲川がデスクで使用している椅子だけは、比較的高級なゲーミングチェアとのこと。そこだけは彼の拘りだったという。


「『子供の体育相談』ですが、先週から本店と新港北台の2店でテスト導入しておりまして、6件出ております。数値の詳細はこちらです」

 世良が自分のPCから資料をモニタに映した。

「6件というのは多いんですか?少ないんですか?」

 即座に仲川の質問が返って来る。

「特に販促物にお金をかけてないので、まずまずだと思います。過去実績で言うと夏にダイエットコースのキャンペーンをやったことは何度かありますが、半額まで値引きをしても1店あたり1日1件出れば良い方でしたから」

 世良が過去のキャンペーンコースの初動実績の資料を画面に表示した。数度打ち合わせを重ねるうちに仲川の傾向が分かってきたので、想定された質問だったからだ。

 

「今回は値引きしているんですか?」

「いえ、特にしていません」

「それでこの件数なら、まずまずですね・・・」

 仲川が資料を見ながら、しばらく何かを考えた。そして続ける。

「要因は何でしょう?」

「最初から待ちでは来ないことを想定していたので、提案マニュアルを作りました」 

 そう言って世良はマニュアルの資料を画面に映した。社長である仲川に詳細を説明するつもりはないが、『こんなことをやっている』というニュアンスを具体的に伝える為だ。


「アイキャッチは黒板だけです。パーソナルトレーニングのエリアにこれを置きます」

 世良が示した黒板には『子供の体育相談はじめました』と大きく書かれている。その隅に申し訳程度に『詳しくはスタッフまで』とある。


「これだけですか?価格も何も書いていませんが」

「はい。ワザと詳細は分からなくしてます。これは、声をかけるお客様を見極めるためにしか使いませんから」

 世良がそう言いきると、仲川は少し首をかしげた。それを見て世良が補足する。


「パーソナルトレーニングというのは、買い物に比べて敷居が高いんです。安くないし、時間も取られるし、赤の他人とマンツーになるわけですから。だから、興味を持っても躊躇するのが当たり前で」

「うん。分かります」

「だから、どんな広告をしても興味止まりなんです。その興味の壁を越えるには、人が背中を押すのが一番というのが私の経験則です。『やってみませんか?』の一言に勝る販促物はありません」

「なるほど。つまり、これは『やってみませんか?』とトレーナーが言うためのツールだと」

 仲川は納得したようだ。

 それを見て世良は説明を続ける。


「この黒板を見ている方と、既にトレーニングを受けている方の中でお子様がいらっしゃる方、そして、子供用のスポーツ用品を買われている方の3タイプに絞って声がけマニュアルを作りました」

「一番手ごたえがあるのは?」

「やはり既にトレーニングを受けているリピーターの方ですね。それが4件。次が黒板で2件です」

「商品購入の方は難しいですか?」

「まだ分かりません。それぞれ説明するボリュームが違いますので・・・商品購入の方には『こんなの始めました』と言ってチラシを渡す程度だけですから、すぐには成果は出ないかと」

「なるほど、『やってみませんか?』までは言わないわけですね。確かに、物を買いに来ただけの人にそれをやったら重いでしょうね」

「はい。なので、はっきりと興味を示した方意外には、あまりしつこく押さないようにしています」

 そこまで聞いた所で、仲川は一旦黙り、資料を読み込んだ。


「うん!よく考えられてますね。この調子でお願いします」

 仲川は顔を上げると、力強く言う。

「ありがとうございます。今回の報告は以上になります」

 仲川は満足したようなので、世良は報告に区切りをつけた。


 社長室の会議は、だいたいこのような形になる。

 当初は随分緊張したものだが、世良もかなり要領を掴んできた。


「今日はこれからボクシングジムですか」

 世良がPCをバックに仕舞い、退室支度をしていると、仲川が声を掛けてきた。ネット上で共有しているスケジュールを見ているのだろう。

「はい。いずれは後進に譲りたいたいとは思うのですが・・・」

 世良がバツが悪そうに答える。

 おそらく、『現場仕事は徐々に整理して、社長室の仕事に専念しろ』と暗に言われているのだと思ったからだ。


 しかし、仲川は逆のことを言った。

「いえ、世良さんがやった方が稼ぎになるなら、別に続けて頂いて構いませんよ」

 意表を突かれてポカンとした世良は、かろうじて「ありがとうございます」とだけ答えた。

「と言うより・・・」

 仲川がニヤリとして言った。


「チャンピオンでも出してくださいよ。そしたらウチがスポンサーになってもいいので」


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