やる気の技術 鎖の理論
「そもそも強制でもないのに陸上部に入っておいて、速くなりたくないわけないんです。男は基本的に少年漫画の世界線で生きてますから、速くなるどころか、自分が最強になりたいと思ってて普通です。実際、30をだいぶ過ぎた私でさえ、ランニングしている時は自分が、世界陸上出ている妄想しますからね」
世良は少し露悪的な表情を作って言った。
「わかります。自分も優勝してインタビュー受ける妄想を、何度もしてました」
佐々木が乗っかってきた。
「それは私もしましたよ。インタビューのイメトレ何度もしましたもん」
絵里奈も乗っかる。
「へぇー」
二人に見られて、絵里奈は我に返って少し下を向いた。
「すみません。話を戻しますが、彼らは彼らなりに、自分の限界ってのが見えてきたんだと思います。そういう時『おれはやればできる。だがそれほど今は本気じゃない』ってのはメンタルを保つ最後の砦なんですよ」
「たしかに記録は停滞してきています・・・」
「だから、その停滞を破ってしまうのが、一番手っ取り早いんです」
「そう言われてみればそんな気もしますが・・・」
絵里奈は一度言葉を飲み込んだ。
言わんとしてることは分かるが、そんなに単純に行くものだろうか?
彼女は慎重に思考を整理しながら質問した。
「彼らにやる気があるのであれば、なおさら停滞を破るのは、合宿の3日では難しいんじゃないでしょうか?」
世良は深く頷いて、絵里奈の眼を見た。
「おっしゃる通りです。しかし可能性はあります。先生は『鎖の理論』って聞いたことあります?」
「言葉は聞いたことがあるような気がしますが・・・」
「『鎖の強度は一番弱い環によって決まる』というものです。」
そう言って世良はホワイトボードに鎖の絵を描いた。
例えば鉄の輪を繋げた鎖の中に一つだけ紙の輪があったとする。その鎖の左右を持って引っ張れば、必ず紙の輪で切れるだろう。この鎖を強くしたい場合、鉄の輪を鋼鉄に変えた所で意味はない。同じ力で引っ張れば、やはり紙の輪で切れる。
往々にしてこれが停滞の正体だ。日頃の練習が紙の輪の強化に寄与していないのだという。
「理屈ではわかりますが・・・その紙の輪が『根本的にスタミナが足りない』のであれば3日では成果が出ないのでは?」
メモを取りながら聞いていた絵里奈が疑問を呈した。
「鋭いですね。その通りです。3日で成果が出るのは、紙の輪が技術的な要因だった場合です。技術なら3日間徹底して強化したら、かなり変わります」
「世良さんは、ウチの子たちの紙の輪は、技術的なものだと?」
「確証はありませんが、そう思っています。根拠は正直競技歴とタイムから見た勘です。だから、1回練習を見学させてもらえませんか?そうしたらより詳細なお話が出来ますので」
「もちろん、よろしくお願いします」
はっきりと『根拠は勘』と言ってくれたことで絵里奈はむしろ信頼が出来た。
おそらく世良も佐々木も、詳細な何かプランを持っているのだろう。
それもマニュアル的なものではなく、彼らの競技経験指導経験からくるものだと。
「と、いうことで最初の一つはOKですね。二番目も結果を出せば良しと・・・」
世良はホワイトボードの目標に書き加えた。
目的:
・陸上部としての充実・情熱の再燃→記録の向上→弱点調査する
・陸上を通じて学習や社会生活ににも必要な忍耐力、協調性、成功体験を得る→記録向上
・上記を保護者の方々に伝え、合宿活動の今後の継続の了承を得る
「三番目の了承を得るのは・・・直接保護者の方にも話した方が早いですね。どのタイミングで話すかは、もう少し練らせてください。その為にも練習見学を今週中に出来ます?そうすれば、来週頭にでも、コーチングの素案作りますがいかがでしょう?」
「分かりました。よろしくお願いします」