やる気の技術 男子のやる気
石井絵里奈の相談によると、絵里奈の勤める中学の陸上部の、夏季合宿にコーチとして帯同して欲しいというものだった。
かなり背景、条件がありそうなので、世良は一旦別日に打ち合わせをする約束をした。
セミナーから二日後の夕方、絵里奈は約束時間の10分前に世良を訪れた。
打合せ場所は、世良が店長を務める黒須スポーツ新港北台駅前店。
「意外にちゃんとした品ぞろえなんですね。世良さんが店長なら、もっとマニアックなものばかりあると思っていました」
来店した絵里奈が、素直すぎる感想を述べる。
「チェーン店ですからね。1店長にそこまでやる権限はありませんよ」
世良は苦笑して答えつつ、絵里奈をバックヤードにある商談スペースに案内した。
6人掛けのテーブル一つとホワイトボードが一つ、パソコンとモニタが一台だけの簡素な部屋だった。
「えーっと先に費用面なのですが」
世良は絵里奈にいくつかパンフレットと『ご提案書』と書かれた冊子を差し出した。
そして、さっそく中身を熟読しようとする絵里奈の様子を見つつ、声をかける。
「もちろんサポート内容によって多少費用は変わります。詳細はこの後打合せで詰めますが、散々話した後でご予算がまったく合わないようでは、無駄な時間を取らせてしまうことになるので・・・おおよその感覚としてはいかがでしょう?現実的でしょうか?」
「大丈夫です。というか、想定していたのより、ずいぶん安いですが・・・」
絵里奈は少し、不安そうな顔をした。
「ご心配なく。もちろん安いのは商売上の下心です。上司に相談した所、学校とつながりを持てるのは大きいから、是非受注しろと言われました。ただ、合宿中に営利活動は行いませんのでご心配なく。なんならその辺は、覚書としてまとめてもいいです」
「助かります」
「そうしたら、ご要望の詳細をお伺いしてよろしいでしょうか」
「はい」
絵里奈は話し始めた。
絵里奈が勤務しているのは私立の中学校である。いわゆる進学校で部活はそれほど盛んな方ではない。
しかし、5年前、絵里奈が新任で赴任した年に陸上部が発足した。
陸上部と言ってもメンバーは6人。種目は長距離だけ。というのも、絵里奈に指導を仰いで駅伝をやりたいという2年生のメンバーが、学校と掛け合って発足したからだ。
絵里奈は実は、1500mで日本選手権に出たことがあるレベルの選手だったとのことで、それに生徒が触発された形だ。
生徒の希望により発足された部ということで、当時は少なからず話題にもなり注目された部だった。
しかし世代が変わるにつれ、当時の情熱の低下が見られ、発足に携わった絵里奈は危機感を感じているとのこと。
とうとう今年、例年行っていた夏合宿が本当に必要か?ということが保護者からも疑問視されてしまった。
「なるほど。概ね分かりましたが、いくつか質問していいですか?」
世良は絵里奈の話をパソコンのメモ帳に書きなぐりながら聞いていた。
「はい」
「保護者からの件をもう少し詳しくお聞きしたいのですが、クレームが学校に入ったんですかね?」
「クレームまではいかないのですが、保護者会で議題に上がりました。スポーツ強豪校でもないのにやる意図があるのかと。子供が求めているのであれば分からなくもないが、そうでもないようだし、学校側の見解を伺いたいと」
「手厳しいですね。実際生徒さん達は乗り気じゃないんですか?」
「お恥ずかしながらそうですね。私には嫌とは言いませんが積極的ではありません。義務ならやるけど・・・ぐらいです。部活の練習も全般的にそんな感じで。反抗もしないしサボりもしないし悪い子達ではないんですけどね」
絵里奈は、そこで少し遠い目をした。
「家でも親に『嫌でしょ?』と聞かれたら『うん』と答えているような気がします」
「今時ですね・・・で、もう回答は出されたんですか?」
「はい。『部活の合宿は必ずしも運動に特化したものではなく、学習や社会生活ににも必要な忍耐力、協調性、成功体験を得ることを目的としています』と」
世良はカタカタと激しくキーを叩いていく。
(なるほどね。。。)(そうですか。。。)等と相槌を入れながらも、キーを叩く手は止まらない。
「うん。それで本当にその効果があるか示してください的な話になったんですかね?」
「なんで分かったんですか?!あっすみません」
絵里奈は驚きのあまり出た自分の声の大きさに再度驚いて恐縮した。
「だって、私に相談したということは、少なくとも今年の合宿は無くなっていないんですよね?それに、色々なセミナーを勉強に受けて回っていると、おっしゃられていたので。陸上の実績のある方が、この間のような、ふざけた内容のセミナーに参加された理由もこれで納得です」
「そうなんです。『やる気をコントロールする』みたいな内容は学習にも活かせますし、保護者の方にも響くと思って」
「確かに。分かりました。ということは・・・」
世良は立ち上がってホワイトボードの前に立った。
そしてホワイトボードマーカーで『目的』と書いた。
「ご依頼の今回のコーチングの目的はこういうことでしょうか?」
目的:
・陸上部としての充実、情熱の再燃
・陸上を通じて学習や社会生活ににも必要な忍耐力、協調性、成功体験を得る
・上記を保護者の方々に伝え、合宿活動の今後の継続の了承を得る
「そんなこと出来るんですか?」
「まだ分かりません。でもこれに沿ったことをしないと意味はないので」
「ですよね。はい。言い値で言えばそんな感じです」
「分かりました。ここからひも解いて現実的な落し所を決めたいのですが・・・」
「はい」
「先日のセミナーでもお話した通り、やる気を上げる・・・この『充実、情熱の再燃』というのが一番現実的じゃないんですよね。合宿で特別な体験をして得たやる気なんて、終わって1週間もしたらカケラも残ってませんから」
「確かに」
「だから、これを目指すなら、本人たちも驚くぐらい、競技力を上げてしまうのが一番確実だと思います」
「それこそ、そんなこと出来るんですか?」
その時、少し離れた所から「失礼します」と声がかかった。
パーティションで区切られただけのミーティングスペースなので、ノックするドアが無いのだ。
「ああ、ありがとう」
世良は声の人物に返事をした。20代半ばほどの男性スタッフらしき人が、お茶を運んできたのだ。
「ありがとうございます」
絵里奈も一礼して受け取った。
「あっちょうどよかった。佐々木、今少し時間ある?」
「はい。30分ぐらいなら大丈夫です」
佐々木と呼ばれた男性スタッフが答えた。
「男子中学生のコーチングの話してるんだけどさ。メンタルの話が大事だから、少し一緒に聞いてて意見聞かせて欲しい」
「分かりました」
良くあることなのだろう。佐々木は当たり前に了承した。
「彼は佐々木と言いまして、ウチのスタッフです。元陸上部ですから競技力は私より全然上ですし、まだ20代なので私よりもまだ、中学生の気持ちは分かるかと思います。少し同席させていただいてよろしいでしょうか?」
世良が訪ねた。
「もちろん」
絵里奈は答える。
「ご挨拶遅れました。佐々木です。よろしくお願いいたします」
佐々木はスポーツウエアのような店舗スタッフユニフォームを来ていたが、ポケットから名刺を出して、こなれた感じで挨拶をした。
今時の若者のような風貌だが、商談には慣れているのかもしれない。
職業上、名刺交換に不慣れな絵里奈の方がぎこちない形になった。
「早速だけどさ、中学生陸上部のやる気を上げるのってどうしたらいいと思う?」
世良が聞いた。
「やる気ですか・・・何か目標ってあるんですか?この大会狙っているとか」
世良は絵里奈を見る。
「大会は10月の記録会と、年末の駅伝参加を予定しています。ただ、お恥ずかしながら行事だから出るという感じで・・・なんとか大会に向かって頑張る!っていうところまで盛り上げたいのですが・・・」
「なるほど。そもそも部活は強制参加なんですか?」
佐々木が質問を重ねる。ヒアリング慣れをしている感じで、おそらく彼もパーソナルトレーニング経験があるのかもしれない。
「いえ、強制ではありません。ただ、やはり何か所属だけはしておいた方がいいという風潮はまだありますので、7割ぐらいの子は何かしら部活に所属しています」
「なるほど。何か現部員の個人データってあります?例えば5000mの記録とか」
「あっそれならここに、簡単にまとめてきました」
絵里奈は鞄から2つの冊子を出し、世良と佐々木に渡した。
「ただ、すみません。正式なご依頼前なので名前は伏せてあります。また、申し訳ありませんが個人情報なので、これはお渡しは出来ませんので、後ほど回収させてください」
「もちろんです。すばらしい。しっかりしてますね」
世良が答えつつ貰った資料に目を通す。佐々木も同様に見ながら口を開いた。
「これなら・・・無理にやる気をどうこうよりも、記録上げた方が早いかもしれません」
佐々木の見解も世良と同じものだった。
世良は腕組みをしながれニヤニヤしている。
自分と同じ結論を出した部下の分析に、満足しているようだ。
「ほう。なんでそう思った?」
佐々木は、一度世良と絵里奈の顔を見た。
「いいよ。思ったまま言って」
佐々木が躊躇しているのを察して、世良は背中を押したようだ。
「はい。そもそもですが、彼らにやる気が無いことはないんじゃないかなと」
「なんで?」
一瞬何か言いたそうな絵里奈を遮るように、世良が食い気味に聞いた。
「はい。部員5人とも5000mが17分台から18分台、まぁ中学男子ならトップレベルは14分台ですから、陸上部としては特別速くはないですが・・・」
「ないけど?」
「やる気が無い人が出せるタイムでもないかなぁと。これは市民ランナーのパーソナルやってると思うんですが、20分切るってそんなに楽じゃないですし」
「おー成長したね。キロ3分半(5000mで17分30秒のペース)なんてジョギングだと言ってたお前が」
佐々木は照れ笑いをして無言で頷いた。そして一瞬何かを察して絵里奈の方を見た。
絵里奈はまだ、納得しかねる表情をしている。
「すみません。別に先生の見解が間違っているってことでもないですよ。先生にはやる気が無いように見えるのも事実だと思います」
世良がフォローに入る。
「私には、彼らの気持ちが、分からないということでしょうか?」
自制しつつも声が震えていた。
『あなたには遅い人の気持ちが分からない』
陸上エリートだった絵里奈は、一番言われたくない言葉なのかもしれない。
「いや、そういうことじゃないんです。この前の私のセミナーの逆なんですよ」
「逆?」
「はい。複雑な男心ってやつです」
「男心・・・ですか?」
絵里奈が平静を取り戻す頃合いを見計らって世良が説明する。
「やる気があることを認めたくないんですよ。それを認めたらカッコ悪いと思っているんです。やる気があるのにトップレベルに遠く及ばないという現実は、思春期の男子にとっては辛いんです」
世良は一回腕組みをして(辛いんですよ。。。)と呟くように繰り返した。