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やる気の技術 依頼

「ランニングをする為の一番のハードルは『家を出ること』なんですよ。でも、単に家を出ること自体は何も難しくないでしょ?ゴミ捨てに行くことに躊躇することってあんまりないはずです」

 世良はゴミ袋を持つような仕草を交えつつ解説を続ける。


「でもランニングだと気が重いですよね。いくら『ランニングは辛くない』とか、『とりあえず走ってみて、辛かったら止めればいい』とか自分に言い聞かせても効果は薄いです。昔の実体験から出来てしまったイメージを、書き換えるのは難しいんでしょうね。。。」

 世良は周りを見渡した。そして、十分間を取って言い切った。


「だったら、新しい別の実体験を作ればいい」

 再度、周りを少し見渡して続けた。


「『走ろうと思ってウエア着て家を出たけどやっぱり止めた』って実体験を本当に作ってしまうと、意外に簡単に、家から出られるようになるんですよ」

「ほー」

「確かに」

「実際これ効果あるよ」

 周りの話が少し収まるのを待って、世良は続けた。


「このハードルを下げるというテクニックは、色々使えます。例えばジムに通っている方。『ワザとジャグジーだけ浸かって帰る』という実体験を作ると、ジムに行く回数は圧倒的に増えます」

「確かに」

「これ、先生に言われてからやってるよ」

 参加者同士の会話が増える。世良も、あえてそれを止めていないようだった。


「ということで、理屈はこれだけなのですが、せっかくなので、やる気のない朝を実演してみましょう。ヨガマット配ります。もらった人から寝転んでください」

 世良は手際よくヨガマットを配ると、参加者を寝かせた。


「仰向けでもうつ伏せでもいいです。いつもだいたい朝こんな格好をしている、という姿で寝てください。いいですか?イメージしてください。今は12月の朝の5時です。枕もとの携帯に起こされました。ここ数日練習をサボっていたので今日こそは走ると心に決めて昨夜セットした目覚ましです。でも寒い・・・」


「あー寒い」

「まだ眠いな・・・」

 ノリのいい参加者数人が小芝居をして乗っかった。


 寝ている参加者の間を歩きながら、世良一人が喋っている。話の内容を聞かなければヨガスタジオのような光景だ。


「ここでお勧めしないのは、携帯でランニングの動画を見て気合を入れようとすることですね。つい動画に見入ってしまって時間が過ぎてしまうので」

「わかる」

「今日それやったよ」

「だから、トイレに行きましょう!それも行き方があります。まずうつ伏せになって・・・1回丸まります。布団にもぐってもいい。布団から出るよりもぐる方がハードルが低いですからね」

 言われるまま参加者たちが丸まった。


「丸まった姿勢は寝てるより立ち上がりやすいでしょ?ここで一気に立ち上がります!」

 たいした話ではないのだが、一々蘊蓄を入れるのが彼の流儀なようだ。


「で、立ち上がったら、即トイレに行きます・・・終わりました。部屋まで戻ります。ここで少し運動しましょう。かかと上げ10回です」

 世良の誘導のままに参加者は動く。


「なんならここで二度寝してもいいです。何もしないより1mmぐらいマシですから。でも今は、そこまで気力が低くない日だったと想定して続けましょう」


 その後、着替える、水を飲む、靴を履き替える、家から出る、自転車に乗る、自転車を止める、屈伸してその場跳び10回と続いた。

 要所要所で「ここでやめる日を作ってもいい。何もしないよりだいぶマシなので」と付け加えながら。


「意志の弱さに自信がある人ほど行動を切って実際に『ここまでやったけど走るのやめた!』という実体験を作ってください。そうすれば一つ一つの行動に移るハードルが下がるので、結果として走る回数が絶対に増えます。あたりまえですよね!ここまでやれば!」

 世良は『絶対』という言葉と『当たり前』という言葉を特に強調して話した。


「ということでセミナーパートは終わりです。この後この公園をみんな一緒に5km走りましょう。やる気が無い日なのでゆっくり行きますよ。1km7分以上には上げません」

 両手をだらりと下げ、やる気のない仕草をする。


「 1周1kmのコースを5周するので、キツイ方は適当に周回をスキップして休んでてかまいません!今日はやる気が無い日ですから!」

 頭の上で指を回し、周回する仕草をする。


「公園は他の利用者の方もいらっしゃいますので2列を守って走りましょう!では行きます!」

 Vサインを作り、『2』を強調する。

 もう走る気になっている参加者の耳に届くように、世良は一段と声を張って説明をした。

 そして、常連を中心に慣れた感じで統率よく集団は走り始めた。

 走り始めたのがだいたい19時半。

 馬彦運動公園は街の明かりから少し離れた所にはあるのだが、公園の内のランニングコース街灯が整備されており、一人走っていたとしても暗さに恐怖を感じるほどではなかった。

 ましてや10数人の集団は、かなり賑やかに走っている。


 最初は世良が先頭を引いて走っていたのだが、ある程度で常連と先頭を交代し、参加者一人一人に話しかけてまわっていた。

 黒ウエアの女性、石井絵里奈も隙を見て世良に話しかけた。


「変わったセミナーですね」

「よく言われます、文化系セミナーだと。ガチなランナーには物足りないかもしれませんが」

「いえ、興味深いです。最近勉強の為に色々なセミナーに参加してるんですけど、こういうのは初めてですね」

「勉強ですか?ひょっとして同業の方ですか?」

「違うんですけど・・・かなり広く括れば同業かもしれません」

「学校の先生とか?」

「なんで分かったんですか?!あっすみません」


 絵里奈は驚きのあまり出た自分の声の大きさに再度驚いて恐縮した。


「直観なんですけどね。ちょっと待ってください。直観の根拠を整理します・・・」

 世良は本当に少し考えてから口を開いた。


「まずフォームが綺麗です。陸上経験者ですよね?」

「はい。でも経験者自体は多いんじゃないですか?」

「そうです。ただ、経験者にとって今のペースは相当遅いですからね。普通はかなり走りにくいはずです。しかし、かなり自然に走られているので、人に合わせて走る指導とかに慣れているんじゃないかと」

「なるほど。でも、それと学校って結びつきます?」

「いえ、先生かなと思ったのは格好です」


「失礼ながら若い女性の格好としては、かなり控えめなので、職業柄目立っちゃいけないのなのかなと思ってました。ぱっと浮かんだのは警察官ですが、警察はどんなに広げても同業ではなさそうなので」

「うーーーん、ただ、本当に地味で流行に疎いだけかもしれませんよ」

「それはないでしょう」


「そのA社のパンツは定価1万2千円ぐらいですよね?立体裁断で動きやすく細身で風の抵抗を受けにくい。ウチでも売れ筋です。風の抵抗は嫌だけど、タイツにも抵抗が合るという方が買っていかれます。疎い方が買うウエアじゃないですよ」

「さすが詳しいですね・・・」

「ありがとうございます。一方でシューズはA社のリトルレーサーⅡ。もちろんいい靴ですが、廉価な代わりに機能が必要最小限なシューズです。部活の学生さんが好むシューズですね。そのジャージを選ぶ方のシューズとしては、少しアンマッチかと」


「ご名答です」

 絵里奈は、少し興奮気味に言った。


「シューズはあまり高価なものを履いて、生徒が欲しがってもいけないので、生徒と同じようなものを履くようにしています。ウエアは生徒はユニフォームなので、教師は特に何を着てもいいのですが、一応学校のガイドラインとして見た目が派手すぎない物というのがありまして」

「やっぱり。先生も大変なんですね」

「私は好きでやってるからいいんです。私は。ただ・・・」

「ただ?」


 絵里奈は意を決して尋ねた。

「世良さんは、パーソナルトレーニングってやってます?」


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