9話「40階層の武人」
迷宮の罪人ことミノタウロスが来て数日が経ちました。罪人はダンジョンでも40階層という深い場所で呪具を付けられ閉じ込められています。
呪具があった貴族の屋敷は、町から借りることになり、魔物たちが夜な夜な補修工事をしている最中です。特に人間に見つからないようにしているわけではありません。ダンジョンの皆が夜行性なだけです。
サキチは屋敷の補修工事を手伝いに行き、私はウエストエンドの広場で露店を出し、アクセサリーを売っています。売り上げは見込めませんが、もしかしたら通販ではなく、わざわざ買いに来る客がいるかもしれないというアライさんの優しさで出店しているだけです。
「なぜ、あなたがいるのです?」
目の前には花売りのハルが立っていました。
「冒険者になりたくて……」
ハルは、屋敷での一件で、強くなりたいと思い冒険者としてギルドに登録まで済ませていたようです。
話を聞いてみると、年齢は20歳になったばかり。許嫁は死に、農家の手伝いをしているが、最近結婚した弟に追い出されそうになっているとか。
「だからと言って、本当にお鍋の蓋で魔物の攻撃を防ごうとしているんですか?」
ハルは頭に鍋を被り、鍋の蓋を装備し、鍬の柄で戦おうとしていました。鍬の先がないのは「鉄はやれん」と弟に反対されたからだそうです。
「不憫ですね」
「戦い方を教えてください。来年の春には家を追い出されてしまいます。その前に手に職をつけたいんです」
「冒険者になったからと言って稼げませんよ」
「何でもします! お願いします!」
広場では他の店主たちから白い目で見られています。一人でいるときはよかったのですが、曲がりなりにも商売になると評判は気になるものです。
「わかりました。走り込みは続けていますか?」
「はい」
「では、そのままダンジョンに向かってください。若いゴブリンが戦ってくれますから」
「死んでしまうじゃないですか」
「鍛えたいわけではないのですか?」
「鍛えたいです」
「では、この腕輪が守ってくれますから行ってきてください」
私は通称「根性の腕輪」と呼ばれるどんなに攻撃を受けても、気絶することはない腕輪をハルに付けさせ、ダンジョンへと送り出しました。昼には帰ってくるでしょう。
人を助けると、助けた人からお金をたかられる。世の不条理です。
「新人たちは、あの娘を殺してしまうかもしれないぞ」
木陰でアライさんが店の様子を見ていました。
「弱点も知らない若人に殺せるほど、人間は脆弱に出来ていませんよ。ダンジョンで何かありましたか?」
ハルがいなくなり、広場からの注目もなくなりました。ちょうど中天に太陽が昇っています。屋台は今が稼ぎ時。こちらを気にする暇もないでしょう。
「罪人の食が細くなっている。このまま餓死させると、いよいよウエストエンドのダンジョンに新人すら来なくなってしまう」
「呪具をつけているからではないですか?」
ミノタウロスには呪われたアクセサリーが付けられて、能力を下げていました。
「逆手に取られた。黄泉の国から、仲間の亡霊を呼び寄せてしまった」
「ミノタウロスのですか?」
「ああ、迷宮には数々の英雄がいたからね。怨念がこもった呪具なら呼び寄せたい放題だ。明け方、亡霊たちと戦っているみたいでね。ダンジョンマスターのマスダが頭を抱えているよ」
「戦いたいと言っているのだから、戦わせてあげればいいのでは?」
「捕まえる時にゴブリン50人、オーガが16人も殺されている。魔物で戦いたいという者はいないよ」
「勝負になるものがいないと?」
「魔王並みの者でないと話にならないと言ったところだ。勝負になる者を呼ぶとなると、相当な金が必要だ。我々のダンジョンは常に金欠でね」
筋肉量からも相当な武人に見えたが、魔物の中でも強者だったようです。
「人の国ではいないか? 例えば勇者とか?」
「知り合いですが、今の勇者に力はありません。ミノタウロスに瞬殺されるのが目に見えている。コロシアムのチャンピオンでも連れて来た方がいい勝負をすると思いますが……」
思い当たる人間は近くにいます。
「誰でもいい。そろそろ配膳のゴブリンが食い殺されそうなんだ」
どうやらダンジョンでは職員のステータス管理が行き届いていないようです。
アライさんに店番を任せ、私は思い当たる節へと会いに行きました。
森を通り小川の向こう。件の人物は修復途中の屋敷で、眠そうなゴブリンたちと共に扉を直していました。
「サキチ。死闘してもよいとの許可が出ました」
「ミノタウロスの罪人だろ? 老兵が暇になると碌なことをしやがらねぇからな」
会話の最中でもサキチは蝶番を新品にして、大きな扉を嵌めています。普段、老兵という言葉は使わないのですが、私もサキチも自分たちが老兵である自覚はあります。
それを、わざわざ言うのですから、自戒を込めているのでしょう。
「時間はくれ。最速でも一週間は準備が必要だ。亡霊まで呼んでるって噂だけど、どうなんだ?」
「古い迷宮の仲間だそうです」
「だったら、こっちも仲間が必要だ」
「誰か呼びますか?」
「亡霊だろ? ステュワートがいるなら十分だ」
「ちょっと待ってください。私も戦うんですか?」
「俺ができる死闘は一騎打ちだ。邪魔が入らないようにだけしてくれるだけでいい」
「何人亡霊を呼んだんです? 私にだって準備は必要ですよ」
「それは俺にじゃなくてダンジョンの運営に言ってくれ」
私が頼んでいるので断りにくい。もしかしてアライさんはこれを予測して、私に頼みに来たのでしょうか。
「特別手当は貰いましょう」
「当り前だ。死ぬかもしれないんだからな。向こうは特別な装備はしてないんだろう?」
「罪人ですからね」
「だったら、今から行って打ち合わせをしてきてくれ。ついでに呪具も手枷も外してやるといい。手負いの咎人裁いても、何の誉れもない」
「武の道というのは厄介ですね」
とりあえず、私はダンジョンへと向かいました。獣魔の指輪を装備して、ウェアウルフに変身。魔物たちの道を使って、アライさんの工房まで向かいます。
あとは「対戦相手が見つかった」とだけ手紙を机に置いて、先輩オークに40階層への道を教えてもらいました。
「ミノタウロスに会いに行くのか?」
「ええ、そうです」
「対戦するつもりじゃないだろうな?」
「今日はしません。向こうも手枷をつけていますからね。対戦するのは一週間後です」
「そんな装備で? 見てないのか、ミノタウロスの筋肉を?」
「筋肉もいろいろ種類があるんですよ」
「死にに行くようなものだぞ」
「死闘がお望みでしょう。頭が古くなるとそうでもしないとつまらなくて死んでしまうんですよ。老兵たちのわがままだと思って、40階層への道を教えてください」
「はぁ……。わかったよ。そっちだ」
先輩オークは頭を振りながら、隠し階段の扉を開けてくれました。
カツンカツン。
殺風景な階段に革靴の音が鳴り響きます。果たし状をつきつけに行くわけですから、サンダルを履いてはいけません。
40階層は広く何もない部屋がひとつあるだけです。
「飯の時間じゃなさそうだが……」
ミノタウロスの低い声が空っぽの部屋にはよく響きます。
「死闘がお望みなようで」
ジャラ……。
ミノタウロスが動けば床に繋がれた手枷が鳴ります。まずはそれを切るところから始めないといけません。
「お前がやってくれるのか。人間よ」
「私はお仲間の亡霊さんたちの相手です。あなたとは私の連れとやってもらいます」
ミノタウロスの背中に隠れていた亡霊たちが敵意を向けてきますが、今戦っても仕方がありません。
「どこにいる?」
ミノタウロスはすぐにでも戦おうとしていますが、両手を塞がれたままでは戦いにはならないでしょう。
食事の皿には、炭水化物だけが残っていました。身体を動かせるように絞っているようです。
「今日から一週間後に連れてきます。それまでに身体を作っておけますか?」
ミノタウロスに近づき、首と手首、足首に付けた呪具を外していきました。呪具を外したところで、黄泉から呼んだ亡霊たちは消えてはくれません。
「コンディションを整えろと言ってるのか? 随分、余裕だな?」
「死闘の意味をご存じですか?」
その一言で、ミノタウロス側がぴたりと動きを止めました。
「『俺の全盛期は凄かった』『コンディションがよければ負けていない』なんて言い訳は通用しません。一週間後に、生涯で最高の状態に持って行ってください。要望があれば、ある程度は聞きます」
「了解した。できれば、食事の塩分を極力控えていただきたい。それから肉ではなく植物性の豆類が好ましい。元々、種族的に肉よりも植物の方が体には合うんだ」
「武器や防具はいかがいたします?」
「あるもので十分だ。小手先で勝っても誉れにならん」
武に生きるとはこういうことなのでしょうか。
練習用の刃を潰した斧が置いてありました。手慰みにダンジョンマスターが置いた物でしょう。
私はその斧を手に取り、ミノタウロスの前に立ちました。
「手を」
「うむ」
ミノタウロスが両腕を前に出します。
カンッ!
私はミノタウロスの両腕を繋げている頑丈な木製の手枷を割り、自由にしてあげました。刃が潰れていてもスピードと重さがあれば、造作もありません。ただ、これでサキチと戦うのは不憫です。
一応、砥石を渡しておきました。
「期間は一週間でよろしいですね?」
「ああ、問題ない」
「では、一週間後に」
「おい」
立ち去ろうとしたら、呼び止められました。
「何か?」
「機会を与えてくれて感謝する」
「それは対戦相手に言ってください。おそらくこの死闘に付き合える人間は、彼以外にいません」