8話「彼方より罪人来たる」
「これがクリスタルですか?」
目の前には水晶の結晶が浮かんでいました。机の上には魔法陣が描かれています。
私もサキチも、じっと見てしまいました。このクリスタルで、商品の注文を遠隔から受け付けるのだとか。どういう合図で受けるのかさっぱりわかりません。
現在、アライさんの工房に呪具の入った木箱を運び込んだところです。
「そこの人間たち。油売ってないで、木箱はこっちの倉庫だよ」
「「はい」」
私もサキチも、ウエストエンドのダンジョンでは新人ですからキビキビ働きます。
「その不思議な服には、作業用のサポートをしてくれるのかい?」
同僚のゴブリンが話しかけてきました。
「作業のサポートはしてくれませんが、魔法の威力は半減しますよ」
「え!? じゃあ、筋肉だけで運んできたってこと?」
「とくに何か魔法陣や器具を使ってはいませんけど……、おかしなことですか?」
「疲れない?」
「これくらいの木箱を運ぶのに、腕力を上げたりはしないだろ?」
サキチも同じ仕事をしているので、ゴブリンに気軽に話しかけていました。
「そうなの? 俺たちの腰巻には、作業が楽になる魔法陣が仕込まれてるよ」
「なんですって!? アライさん!」
「なんだい?」
アライさんは、いくつもある足で木箱を倉庫に積み上げています。
「作業が楽になる魔法陣ってなんですか?」
「ああ、腰巻の魔法陣のことを言ってるのか。初動にかかる負荷を軽減しているだけだよ。サンダルの底には衝撃吸収の魔法陣も仕込んである。若い子たちは気づいてないけどね」
「なぜそこまで若者のためにするのだ?」
サキチからすれば、新人たちは鍛えるために負荷をかけた方がいいと思っているようです。私も同じ考えでしたが、考えが古いのでしょうか。
「ここは辺境の地だよ。暇なんだ。時間が腐るほどある」
「暇だから、作ったと?」
「ダンジョンにいる若い魔物はほとんど戦闘訓練のために来ているっていうのに、作業で鍛えても仕方がないだろう?」
「それでは筋肉や体の動かし方が、わからなくなってしまうのではありませんか?」
「戦闘と違う筋肉を作っても邪魔になるだけさ」
アライさんの言葉に、私もサキチも驚きの余り何も言い返せませんでした。
「私は戦闘員じゃないから知らないけど、戦闘のスキルは反射や無意識の動きを使うことが多いって聞いているけどね」
「確かに、達人になれば、その域に達するが……。そうか、魔物の中にはしっかり武を極めようとしている者たちがいるのだな」
サキチは納得していた。武よりも功名が先んじているコロシアムにいたため思うところがあったのでしょう。
「アライさん、我々もサンダルだけでも試させてもらえませんか?」
「ああ、いいよ。そこにかかっているから自分の足のサイズに合うのを使うといい」
壁を見れば、いくつものサンダルが吊るされています。その中から、自分の足に合うサンダルを選んで、履いてみました。
「草履のようではあるが、なんだか地面を掴んでいる感覚が薄いな」
「でも、反発する力は増している気がしませんか?」
「確かに」
サキチは地面を反発した力を利用して、私の顔面に向けて蹴りを放ってきました。私は裏拳でそれを弾き返し、そのまま身体の反動を使って回し蹴りをお見舞いしました。
もちろん、サキチはスウェーバックで難なく躱します。振りぬいた足をそのまま壁に当てて、さらに首をひっかけるような蹴りで追い打ちをかけてみました。
サキチは当たり前のように跳ねて躱し、両足でドロップキックを放ってきます。
私は両腕で受け止め弾き返すと、サキチはくるりと空中で一回転して着地していました。
「何を遊んでいるんだい?」
アライさんに叱られました。
「いや、なかなかの履物だぞ。これは」
「このサンダルは衝撃を吸収するというより、反発するような感じですね」
「そうかい。楽になるなら何でもいいと思って作ったから、あんまり深くは考えてないよ」
アライさん特製のサンダルを履いて以降、作業効率は格段に上がり、山道も跳ねるように移動できました。ゴブリンやオークも同じかと思って見ていましたが、バランス感覚が乏しいのか、この後の作業のために力を温存しているのか、ゆっくり木箱を運んでいるようです。
トゥルルルルル……。
木箱を倉庫に運んでいる最中、唐突にダンジョンの工房で妙な音が鳴り響きました。
「なんの鳴き声だ?」
「連絡が来ただけだよ」
私とサキチの警戒を他所に、ゴブリンたちは笑っています。
『アライ。迷宮の罪人がダンジョンに来るから、用意をしておいてくれ』
机に置かれたクリスタルから、オークの顔だけ飛び出してきて、アライさんに指示を出していました。実体はなさそうですが、霊体でもなさそうです。
「了解」
アライさんはそれだけ言うと、クリスタルに手で触れ、オークの顔を消していました。
「なんですか!? それは!?」
「遠隔地からの連絡だ。今のがこのダンジョンの長だよ。ダンジョンマスターのマスダだ。むかつく顔だからって喧嘩しないようにね」
くたびれた顔のオークが私たちの雇い主だったようです。
「随分、心労耐えかねたような顔をしていたな」
サキチは独特の感想を言っていました。
「偉くなると、考えることも多いのでしょう」
「共感しかない」
我々2人は肉体的疲労よりも精神的な疲労の方が後を引くということに身に覚えがあり、ダンジョンマスターのマスダには共感してしまいました。
「それで? 迷宮の罪人というのは誰です?」
「島のミノタウロスだ。元ダンジョンマスターで、古くはマスダの師匠でもあった。ただ、迷宮を乗っ取られて、仲間と共に戦い、責任を取らされた男だ。なんの呪いで縛るか考えないとね」
アライさんも丸椅子に座り、考え事を始めた。
「ダンジョンに罪人が来るのはよくあることなのか?」
サキチがゴブリンに聞いていました。
「今はそれほど多くないけど、ここは古いダンジョンだから、たまにあるみたい」
「ここで刑期を全うすると言っても、ほとんど冒険者なんて来ないし、ミノタウロスに行くまで俺たちみたいな新人がたくさんいるんだから戦うことはないんじゃないか?」
木箱を運び終えたオークが横から口を出してきました。
「何もしないで、ダンジョンの中で閉じ込めておくと言うことか? 暇で暇で死にそうになるぞ。碌なことにならん」
サキチもコロシアムの中で暇だったようだ。我々のような人間は技術を教えて、教え子が成長してしまえばやることはなくなってしまいます。
アライさんから大きなため息が漏れていました。
午後になり、ミノタウロスがダンジョンに連行されてきました。
角は片方折れていますが、肉の分厚さは人の国では見られないような魔物特有の筋肉を身にまとっています。
「頼む。戦いの中で殺してくれ」
アライさんの横を通る時に、ミノタウロスが囁いていたのを聞きました。