6話「憑りつかれた少女の背中を押す方法」
広間の真ん中に、昨夜来た花売りの少女が立っていました。
目の焦点はあっておらず、猫背だった背筋がピンと伸びて風格さえ漂っています。貴族の悪霊に身体を乗っ取られたのでしょう。
「すぐに蹴散らしなさい! あなたの中に入ってきているのはただの悪霊です!」
身体の持ち主に語り掛けます。
まったくもって面倒なことになりました。
少女は私の声が耳に入っていないようで、獣のように跳躍。グールの死体の胸から、模造刀を抜き取り、一直線にこちらに走り始めました。
攻撃の方向が決まっているなら、躱すのは容易です。むしろ、悪霊が少女の身体をうまく使えていないように見えました。少女が抵抗しているようです。
私の声はしっかり届いていました。
「あなたの内なる声には力があります! 無駄ではない! あなたの身体もあなたの人生も誰のものでもない! あなたを一番よく知っているのはあなた自身です! 悪霊の声に耳を貸してはいけません!」
少女の振るう模造刀が頬をかすめます。悪霊は人間のリミッターを外して攻撃してくるので、少女の腕と肩の筋肉がぶちぶち切れていく音がします。
ボフッ。
掌底を胸骨に当て、少女の体を飛ばして一旦距離を取りました。
「いいですよ! 抵抗してください! たとえどれだけ蔑まれ、打たれても、あなたには価値がある! 何一つ、悪霊の言うことを信じる必要なんてないんです! 徹底的に抵抗してください!」
少女の内なる精神に語り掛けます。
人が変わるタイミングには何かしら合図があるものです。
吹き飛ばされて、立ち上がった少女の目から、涙がこぼれ落ちました。
悪霊に身体を乗っ取られた少女の必死の抵抗が表に出てきました。
あとは背中を押してやるだけ。
振り上げた模造刀が私の脳天に目掛けて振り下ろされます。前腕で模造刀の腹を打って軌道を外し、細い体の背中を手のひらで叩きました。
「彼女の身体から出ていきなさい!」
パンッ!
「ウォオッ!」
少女の口から、白い煙のような思念体が頭を出しました。
破邪の腕輪をした右手で思念体を掴み、彼女の身体から引きずりだしました。
「キャァアアアア!!!」
思念体が叫んでも、破邪の腕輪の効果は変わりません。
ただ、邪なる者を払うのみ。
グシャリ。
およそ思念体とは思えぬ音が鳴り、貴族の悪霊は消え去っていきました。
後には倒れて気絶している少女が残りました。
「仕事を取ってくるのも楽じゃないですね」
スーツがだいぶ汚れてしまいましたが、洗えば落ちるのが布製の服のいいところ。ほつれた切れ目も針と糸さえあれば補修はできるでしょう。
脈と呼吸が落ち着くのを待ち、少女を起こしました。
「どこか痛みますか?」
「ん? ああ、昨日の……痛っ」
少女は体を起こすのにも痛がっていました。
「悪霊に身体を使えわせるからです。どうして私が渡した破邪の腕輪をつけていないんです」
「腕輪は、父に見つかると取り上げられるから木の根元に隠しました」
少女は、ほとんど自分の持ち物を持ったことがないようです。
「自分の身体だけは自分のものです。いいですか? しばらくは筋肉痛が続きますが、自分の身体は大事にしてください」
「はい! 先生!」
少女は無理やり立ち上がって、私を見てきました。
「先生ではありません。ステュワートです。あなたの名前は?」
「ハルです」
「ではハル、歩けますか?」
「ああっ!」
ハルは一歩踏み出して、叫び声を上げました。
足から尻にかけての筋肉も断裂を起こしているようです。
とりあえず、持っていた回復薬をハルの全身にかけ、おぶって町へと戻りました。
町行く人には白い目で見られましたが、仕方ありません。
宿の部屋に連れて行き、昨日と同じようにクリーム状の回復薬を全身に刷り込むように塗りました。さながら、肌が白いお化けのようになっています。
「夕方まで一歩も動かないように」
「え? それじゃあ……」
「いいですね!?」
「はい……」
宿の部屋を出て、冒険者ギルドの職員に屋敷で起こったことを報告。グールと悪霊を討伐したことを報せると、職員は「依頼も出ていないのに!?」と驚いていました。
「屋敷の管理者から報酬は貰います。どなたが管理しているか調べてください」
「あそこの貴族は没落して、今は家名も剝奪されているはずです。おそらく町の管理になっていたような……」
「しっかり調べてください。報酬は少なくて構いませんから」
「わかりました」
報告を済ませて、冒険者ギルドから出ました。
広場まで行くと、屋台の店主たちから「よっ、色男!」「あの娘を誰から救ったんだい?」などの声をかけられますが一切無視。田舎の噂は広がりやすいが、すぐに冷めるでしょう。冒険者が怪我をした少女を背負って帰って来ただけですから大した事件にはなりません。
「鑑定お願いしていいですか?」
広場の隅にあるアクセサリー屋に、屋敷で見つけた呪具を見せました。
「なんだい、これは?」
「元貴族の屋敷に霊廟がありましてね。そこで見つけたものです。おそらく呪いの品です」
「冒険者ギルドで鑑定してもらえばいいじゃないか?」
「付呪がついた物の適正価格を知りませんから」
アクセサリー屋の店主は、私の手からネックレスと指輪を取り、光に当てながら、指輪の模様などを見ていました。
「デバフ、いわゆる能力を下げるような呪いで間違いない。正規のルートがあるのかないのかは知らないけど、珍しいものであるよ」
「ネックレスも?」
「ああ、魔力か判断力かの違いはあれど、下げ幅はほとんど変わらない。わざわざこんなものを作る奴の気が知れないけど、人の王都で一つでも見つかればそれなりにアクセサリー屋が捜査されるんじゃないかい?」
「霊廟の部屋一つがこういう壺などの呪具で埋まっていたとしたら?」
「こんな田舎であろうとも事件にはなるだろうね。でも、まさか……」
「そのまさかです。価値もわからない冒険者ギルドの職員たちが取りに行くと大変なことになります。盗賊が持ち出したら……」
悪用すれば、暗殺、謀略、詐欺、恐喝、何でもできるでしょう。魔物の世界もいい者ばかりではない。
「そんな量が出回ると、もっと厄介なことになるよ。くそぅ」
「悪霊の方は退治しておきました」
「まったく、商売あがったりだよ!」
アクセサリー屋の店主はすぐに店じまいの支度をはじめました。
「では、よろしくお願いいたします」
「あんた、名前は?」
「ステュワートと言います。ワンちゃんの首輪に履歴書は入れておきました」
「追って報せを送る」
「あなたの名は?」
「アライだ。アラクネのアライと覚えておいて」
「わかりました」
翌日、報せは3通、届きました。
ダンジョンから1通、王都からは2通です。