1話「老兵は去るのみ」
「魔王討伐はどうしたのです?」
私は賢者の耳を引っ張って聞いてみました。賢者の身体は少し浮いているようです。
お察しの通り、これは普通の暴行です。恐喝にも値するかもしれません。
衛兵に見つかれば直ちに捕まってしまう。
ですが、私にはこうするに至る理由がありました。
世間では10年で8人もの勇者が現れ、いよいよ魔王討伐は確実と言われておりました。
私が所属している冒険者のパーティーの中にも、教会によって勇者に選出された者がおります。教会の勇者選定委員会には疑惑はありますが、勇者がしっかり修行の成果を出しさえすれば、魔王を倒すことは難しくはないでしょう。
そう確信していましたが、魔王の側近に挑んだ際、パーティーメンバーの腰が引けてあえなく逃走。味方の能力を上げるバッファーである私は、膝を怪我して戦線を離脱することになりました。
私の戦闘服が独特であるということは否めませんが、怪我の療養には半年ほどかかりました。もちろん、魔王への再戦のため勇者たちは休むことなく修行の日々が始まり、私も冒険者ギルドの本部にて過去の冒険者たちが記した冒険の書を読破していきました。
膝も治り、メンバーの成長した姿が見れるかと期待して、勇者パーティーの本拠地へと向かうと、建物に入る前に、いささか珍妙な声が聞こえてまいりました。まるで雄鶏のような声が昼日中にも関わらず断続的に聞こえているのです。
建物のドアを開けると、酒の匂いや腐臭に交じり、栗の花の匂いがいたしました。
目の前には、教会にいるはずの修道女があられもない姿で倒れています。
酩酊状態にあり、毒でも盛られたかと思うのですが、そうではありません。隣には勇者が鼾をかいて寝ているのです。玄関先でことをした後のようです。
勇者を放っておいて、仲間たちは何をやっているのかと思えば、魔法使いと武道家は中庭で素っ裸のまま寝ているではありませんか。
二階に赴き、賢者の様子を見に行きますと、老若男女の教会関係者と共に精魂尽き果てて寝ている始末。若気の至りと言うには年を取り過ぎている牧師やご婦人までおられる。
私が暴行するに至った理由がお判りでしょうか。
「ステュワートさん! 怪我は治ったんですか?」
賢者は長い耳を引っ張られているというのに、のん気なものです。
「ええ、復帰できます。それよりもこの有り様はなんです? 修行の旅に出るのではなかったんですか?」
「行きましたよ! そのうえで、魔王を倒し腕輪を持ち帰って来たんです!」
「そうですか。その腕輪はどこにありますか?」
「えーっと、どこに行ったかな?」
魔王討伐の証明する物すら忘れているのに、賢者を名乗るとは……。はなはだ常識が覆される思いですが、怒りはぐっと我慢しました。
「これです! これ、これ!」
賢者はイミテーションとしてもチープな金色に塗っただけの腕輪を見せてきました。色は禿げ、嵌っている赤いガラス玉からはなんの重みも感じられません。
どこかの土産物でしょうか。文字が掘られていたようですが、そこはしっかり削り取られていました。
「嘘をつくにしてもお粗末ですね」
呆れ果てましたが、彼らの本性を見抜けなかったのは私のミスです。
結局のところ人は性が目的で、人を救いたいとか強くなりたいなどという気持ちは持続しないのかもしれません。
静かな屋敷の中で、私のカツカツと革靴の音が鳴り響きます。
剣の技術を磨き、魔法の実験を繰り返すような冒険者は古くなってしまったのでしょう。
「ん? あれ? ステュワート?」
下半身を丸出しにした勇者が起き上がりました。
「そんな布装備じゃ、魔王は倒せないぞ」
酔いが残っているのか、言ってはいけないことを口走っているようです。
「何度も言いますが、このスーツという服は、かつて異界からやってきた者によって広められた歴とした戦士の服です。付呪も重ねがけができる上に、動きやすく砂漠を行くにもちょうどいい代物です。整備もしていない鉄の装備よりもはるかに丈夫です」
「鉄の装備の方が固いに決まっているだろう! 何を言ってるんだ!? また怪我をして足を引っ張るんじゃないだろうな」
意味があるのかないのか、勇者は近くにいた娼婦のような僧侶の胸を揉みしだき始めました。
「どうやら、お邪魔のようですのでお暇させていただきます」
私はまっすぐ玄関から出ていきました。
「おい! ちょっと待て! パーティーメンバーに入れてやった恩を忘れたのか!? 誰でもいい。誰か塩を撒いておけ!」
ガシャン!
門をしっかり閉める時、思わず力が入ってしまいました。怒りよりも、少しでも勇者に関わった自分の愚かさが憎かったのです。
その足で、冒険者ギルドに向かい、勇者のパーティーから脱退いたしました。
「これから、どうするつもりですか?」
あどけなさが残るギルドの職員は、私の身を心配してくれたようです。
「王都からは遠く離れた場所へ向かいます。この町に広がる醜悪な臭いに耐えられなくなってきましたから」
「そんな……」
「ステュワートが旅に出るって?」
私が王都を去ると聞いて、ギルドの職長まで出てきてしまいました。
かつては共に冒険者ギルドを盛り上げる仲間でしたが、彼も道半ばで魔王の手先にやられ、残る傷を負ってしまいました。
「昔を知る友がいなくなるのは寂しくなるな」
「時代が変わってしまいましたから、老兵は去るのみです」
「手紙を出す。どこへ向かうんだ? それくらい教えてくれてもいいだろう?」
「西の果て、ウエストエンドのダンジョンが気になっています」
「あの、しぶとい魔物が出る割に宝物が少ないダンジョンのどこが……。いや、気になるというだけだな。そういう旅もあるか」
ギルドの職長は外まで送ってくれた
「さらば友よ」
「心がぶれないのがいいところです。どうか長生きしてください」
仕事の道具といくつかの着替えが入った鞄を手に、私は王都を去りました。