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待ち伏せ①

***


九月に入って日が暮れるのも早くなったな――と美帆はラケットを背負い直しながら空を見上げた。



テニス部に入ってもうすぐ半年が経とうとしている。ほとんどが経験者か、軟式上がりの子が多い中で美帆は数少ない未経験者の一人だった。



中学の時は義理の兄である凜玖の近くにいたいという理由でバスケ部に入り、高校は遥陽と凜玖をくっつけないよう牽制するためテニス部を選んだ。



今となってはそれも無駄骨となり、さらに凜玖と遥陽のイチャイチャっぷりを想像すればするほど、テニスに対するモチベーションが下がっていくのは避けられないことだった。



「……疲れた」



美帆はもう、いろいろと疲弊していた。体力的にも精神的にも。やることなすこと全てが裏目に出ていた。



狙ってコインの表裏を外し続けるみたいに、わざと間違った選択をしているのではないかと錯覚――もとい本当にそうだと思い込んでしまうほどに。



部活の大会の日が迫ってきているが、メンバーに選ばれていない美帆たち十数人はレギュラー陣より三十分ほど早く練習を切り上げる。



それもあり、最近は遥陽と帰りを共にすることも少なかった。



遥陽と二人のときは、向こうも気を使ってなのかあまり凜玖の話題は出してこない。けど美帆にとってはそれが逆に負け犬みたいな扱われようで、耐え難い苦痛でもあった。



「……今日の晩御飯何かな」



帰ったら凜玖がいる。ぶっちゃけ晩御飯の中身なんて何でもいい。大事なのはそれを誰と食べるのかということだ。



凜玖の優しい笑顔をこそが美帆に効く一番の心身緩和剤なのだから。



「〜〜♪♪」



一人で自転車を漕ぎながら、軽く鼻歌を響かせるのが最近の美帆の帰宅ルーティンとなっている。



門を出るまでは自転車を押していき、いざ出たところで出発しようとしたその時だった。




「――ねえ、あなた長浜美帆さんだよね?」




薄暗い明かりに照らされた、一人の女性の声が突然横から聞こえてくる。



「えっ……と」



自分の名前を呼ばれたことから、人違いではない。ちょうどペダルに足を置いた美帆がそこから降りようかどうか迷っていると――



「急にごめんね、わたしは二年五組の九条雛美って言うんだけど、少し時間取れるよね?」



「っ――」



改めて美帆は、その声の主を視界に収めた。



取れる? ではなく、取れるよね? 最初から拒否権などなかったのかもしれない。



美帆の心の内を見透かそうとする水晶のような黒い瞳に捉えられた美帆は、コクっと頷くことしかできなかった。












***



「アイスコーヒーでよかった?」



二人がけのテーブル席に座る美帆の正面に、グラスが二つ置かれる。



「あっ、お金……」



「奢るからいいよそれぐらい。わたしが急に誘ったんだから」



カバンの中に手を突っ込んだ美帆はお礼を含んだ会釈をしつつも、心の中では悪態をついていた。



――あんたがほぼ無理やり連れてきたんでしょうが。



学校の近くにあるカフェに入った二人は、入り口から少し離れた丸いテーブルに向かい合って座っていた。



最初にストローでアイスコーヒーをすすった九条が口を開く。



「わたしとは初対面のはずなんだけど、さっきのあの反応だと知っているんだよね? わたしのこと」



「…………」



一瞬目だけを九条に合わせ、美帆も一口吸って喉を潤した。



九条はそれを無言の肯定と受け取ったのか、話を進めていく。



「名前はさっき言ったし、細かい自己紹介とかはいいか。 もう外も暗いし、あまり遅くなったらお兄さんが心配するよね?」



「……家にはもう連絡いれましたから」



「そっか、でももし門限とかがあるようなら、わたしからお兄さんの方に――」



「いいです! もう母から了承を得ているんで、わざわざそこまでしていただなくても」



さっきから無性に腹が立っているのはなぜだろう。九条の口からお兄さんという言葉が発せられるせいだろうか。なぜか美帆の耳には、その部分だけが強調されたような聞こえてしまう。



「わたし、あなたのお兄さんと席が隣同士なんだけどさ、二学期になってから人が変わったようにわたしへの接し方が変わったんだ。どうしてだと思う?」



「……さあ。何でですか?」



美帆のそっけない返事にも、九条は嫌な顔をすることなく口元を綻ばせる。



ショートヘアの美帆とは対象的な、肩の下まで伸びた艶やかな黒髪。背はそこまで変わらないとは思うけど、スタイルの差は明らかだった。



ファッション誌の読モをやっているって言われてもおかしくないぐらい、整った顔立ちに強調された胸の膨らみ。



もしかして凜玖は面食いだったのかと、美帆の中で一つの疑惑が確立される。



「彼女ができたんだよ、お兄さん。知ってた?」



「……知ってますけど、それがどうかしたんですか?」



「うーん……自分で言うのもなんだけどあなたのお兄さんさ、ずっとわたしのことが好きだと思っていたんだ。というより、明らかにそうだった。わたしへの好意が隠しきれてなかったから」



九条のその感じ取っていた好意は、確かに本物であったと美帆は知っている。だけど、それを今美帆に話してなんだというのだろう。



てっきり例の件について問い詰めてくるとある程度覚悟していただけに、身構えた緊張の糸を維持し続けるのがしんどい。



そんな美帆の心境を推し量ることもなく、九条は構わずに続ける。



「今だから言えるんだけど、わたし長浜くんのことはちょっとだけいいかなって思っていたんだよね。私の周りってグイグイ来る人が多いから、ああいう初心な男子が可愛く思えちゃって」



「兄さんはピュアですから」



「あっ、そこはちゃんと同意してくれるんだ。……でもわたしは他に好きな人がいたんだ。で、いろいろあってその人と付き合えることになったんだけど、すぐに浮気されちゃったんだ」



はぁ……と深いため息をついた苦情は、顎の上に手を乗せた。



――短い沈黙。



店内には、聞いたことがあるようなないようなジャズの曲が緩やかに流れている。



美帆は黙って九条の次の言葉を待った。カフェに来て、こんなに意心地が悪くて息苦しい思いをするのは初めてだった。



本当は何もかも無視して九条の手を振り切るという選択肢もあった。けど今、美帆はここにいる。九条と同じテーブルについている。



本来なら今頃同じ食卓を囲んでいるのはこんな人ではなく、最愛の人のはずなのに。



九条がわざわざ美帆をここに連れてきた目的は、未だに不透明感が強かった。



――この人はどこまで知っているのだろうか。



美帆の中では、九条が自分と二人で話したい理由は二つ思い当たる部分がある。



一つはさっき九条自身が口にした、彼氏が浮気したことについて。



二つ目が、一つ目にも関連することだけど書道部をいろいろと引っ掻き回したこと。







「――長浜さんってさ、お兄さんのこと好きなんでしょ? 家族としてじゃなく、一人の男として」







――どちらでもなかった。

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