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義理の兄に彼女ができた

***



「あとそれから醤油も買ってきて!」



「はーい」



夕暮れ時と言えど、夏の暑さは馬鹿にならない。日焼け止めを入念に塗ってエコバックの中に財布を突っ込む。



クロックスかスニーカーか。玄関で数秒の迷いの後、スニーカーを選択する。部活の大会も近いため、つまずいたりして怪我でもしたら大変である。



「じゃあ行ってくるねー」



「行ってらっしゃい」



母に一声かけて、長浜美帆は近くのスーパーマーケットへと向かった。







***



兄である凜玖は、朝から出かけたきりまだ帰ってきていない。正確には凜玖とは血は繋がっておらず、母の再婚の際に家族になった義理の兄なのだが。



美帆はそんな義兄――凜玖に恋をしていた。



最初の顔合わせで、一目見たときに心を奪われた。最初はその気持ちが何なのか分からなかった。



クラスでも大人しめの女の子だった美帆は、当然休み時間や放課後に男の子と遊んだりといったようなこともなく、同世代の異性では凜玖が初めて近しい存在になったのだ。



凜玖はとてもいい兄だった。泣いたらすぐに慰めてくれるし、半分こにしたおやつも絶対大きい方を美帆に分けてくれた。



遊ぼうと言ったら遊んでくれて、ゲームで負けそうになったらわざと手を抜いて悔しそうな顔を見せる、そんな兄の事が大好きだった。



クラスの中では、お兄ちゃんがウザいだの、弟が鬱陶しいといった愚痴が時折耳に入ってくる。美帆にはそんな彼女たちの気持ちが全く理解できなかった。



――美帆のお兄ちゃんはあんなにカッコよくて優しいのに。



美帆の凜玖に対する『好き』が、家族としての『好き』ではないと自覚したのは、中学校に入る前だった。



心身ともに子どもから大人へと成長していった美帆は、日に日に凜玖への想いが強くなっていることに気づき出した。



初めのうちはずっと悩んでいた。



もうこの歳にもなると、自身の感情が歪んでいることだって理解していた。いくら血が繋がっていないとはいえ、家族のことを本気で好きになるなんて狂っている。



――気持ち悪い。



他の人にそう思われても仕方ない。だからずっと押しとどめてきた。絶対に、誰にも悟られないように。



一時はそんな辛い気持ちから逃げ出したくて、他の誰かを好きになろうと考えもした。けどちょうどタイミングよく同級生の男子から告白された時、吐きそうになってしまった。



凜玖以外の誰かに好意を寄せられる――それはまだ耐えられる。しかしその先は無理だった。



この人に触れられる、この人と手を繋ぐ、この人とキスをする――そう考えただけで、胃の底から湧き上がってきた嫌悪感に丸一日まともに食が喉を通らなかった。



いつしか兄にも彼女ができる。自分にも、兄以外に心の底から好きだと思える人が現れる。



そうやって自分自身を納得させる答えを持つことで、何とか心の均衡を保っていた。絶対に手を出すことができない好きな人と、何年もひとつ屋根の下で暮らすなんて、美帆にとって拷問以外の何ものでもない。



――けど無理だった。



凜玖に対する想いが減衰することはなく、むしろ逆に増していき、悶々とする日々をずっと過ごしていた。



それは高校生になった今も尚、留まることを知らない。それどころか、もう身体は成人済みと言っても差し違えない今日この頃、日に日にあんなことやこんなことをしたいといった欲求は高まるばかり。



二人の距離は廊下ひとつ分しかない。だからいつ何が起きてもいいようにと、凜玖に対する愛で興奮が最高潮に達したときは、スマホでアダルト動画を観て予習し、その時に備え知識を蓄えている。



――けど自分の恋が報われることは決してない。



それは誰よりも、美帆自身が一番よく理解していた。



あるいは凜玖も、実は美帆のことが――ということがあれば二人で駆け落ちなんてこともできたかもしれない。ドラマやマンガとかでよくあるやつ。



一番の恋のライバルになるかもしれないと勝手に思っていた国分遥陽は、幼なじみのその先に慣れる可能性がある。ぽっと出のクラスメイトが、今まで美帆と遥陽が築き上げてきたものをすっ飛ばしてゴールインすることも大いに有りうる。



―― だがしかし、美帆には何もない。



義理の妹という、最も近くて遠い存在。そこからジョブチェンジは決してできない。



もう限界だった。相談する相手なんていない。もちろん友達と恋バナなんてできるはずもなく、せめて自分の気持ちを共有できる誰かがほしかった。



同情しろとは言わない。ただ慰めてほしかった。泣き止むまでずっと寄り添ってほしかった。






美帆の一番のハンディキャップであった義理の妹という立場。何とかそれを活かすことができないだろうか――。



あるきっかけで、一つだけ思いついたことがあった。



これなら兄である凜玖が好きだってことがバレることはなく、凜玖にまとわりつくおじゃま虫を排除できるかもしれない。



あわよくば、その隙に自分を凜玖に意識させることができるかもしれない。









――途中までは順調だった。怖いぐらい自分の都合がいいように動いていた。




――それと同時に、崩れるのも一瞬だった。




***



マンションを出てスーパーに向かう途中、美帆は出かけ際に母に頼まれていた醤油をスマホのメモ帳に追加した。



歩きスマホは本人が思っている以上に視野が狭くなる。それをまさに今、体感するところだった。



「――す、すみませ…………」



「――いえこちらこそ…………」



完全にこちらの不注意。曲がり角で人影に気づき、何とか衝突は免れたけど悪いのは注意を払っていなかったこちらの方だ。



すぐに頭を下げて謝罪をするが、それを遮るようにして聞こえてきた男性の声に美帆は、丸めた背中をすぐに元に戻した。



相手は世界で一番大好きな人だった。



隣には幼なじみの遥陽もいる。



たまたま帰り道にで一緒になったのだろうか。そう尋ねようとして――見てしまった。



見えてしまったのだ。この世で最も目にしたくなかった光景が――



――その後の二人の反応で、何もかも察してしまった。









――そこからのことはもうほとんど覚えていなかった。



どうやって買い物を終わらせて家に帰ってきたのか。母が何かが足りないと怒っていたけど、そんなもの知らない。文句言うなら最初から自分で行けばよかったんだ。



晩ご飯の時も、まともに凜玖の顔を見ることができなかった。こんな醜い顔をしている自分を見られたくなかった。



さっさと夕食を済ませ自室に戻った美帆は、すぐにスマホのロックを解除しメッセージアプリを開く。



『ねえどういうことなの!? 全然話が違うじゃない!』



ついでに怒りのスタンプ百連打だ。



美帆の恋の協力者に抗議文を送るが、なかなか既読はつかなかった。たまたま手が空いていないのか、それとも何か後ろめたいことがあるのか――



今の美帆には、何もかもがネガティブにしか考えられなかった。



こういうときはもう自分で自分を慰めることで、少しでも気を晴らすに限るが、さすがに今はそんな気にさえなれなかった。



「とりあえずお風呂に入ろう……」



もうこのまま溺れて沈んでしまいたい。湯船に浸かりながらずっとそんなことを考えていた。



「奥手の兄さんが自分から告白するはずない。きっと遥陽さんの方からだ……」



ある意味一番恐れていたことだった。遥陽も凜玖に対してはかなり慎重だったから、当分は大丈夫だろうと考えていたのだが、別の対処をしている間にまさか……といった感じだ。



お風呂から出てパジャマに着替えた美帆はもう一度スマホを確認するも、先程の返信はまだ来ていなかった。



「今日は……二十四日か……」



とりあえず、幼少期からの日課である日記を開き、今の感情を書き殴った。



――もしかしたら、もう取り返しのつかないことになったのかもしれない。



遥陽が相手だと――鈍感な兄が遥陽を異性として意識しだしたら、最早打つ手はない。



確かに遥陽は、美帆にとっては恋のライバルだったけど、それと同じくらい大好きなお姉ちゃんのような存在だった。



出会った当初から一緒に遊んでくれて、今でも部活の先輩後輩として可愛がってもらっている。そして誰よりも、遥陽が凜玖に寄せている甘い気持ちを傍で見てきた。



「相手が遥陽さんだったら……もうしょうがないって割り切れるのかな」



――遥陽さんからは何て言われて、兄さんはどういう返事をしたの?



なるべく普段のように、ちょっとからかう感じで。そういう口実でいこう。



気がつくと美帆は部屋を出て、凜玖の部屋のドアの前に立っていた。まだ明かりはついているし時間も遅くない。



「…………兄さん、美帆だけど入ってもいい?」



ノックをするも返事はない。



「……入るよ兄さん」



音を立てないようにゆっくりと扉を開ける。



凜玖はベッドの上で仰向けになったまま、静かに寝息を立てていた。



息を吐く度に、胸が上下に揺れている。それに呼応するように、美帆の中の熱い感情も膨れ上がってきていた。



――これ以上はダメ。



理性とは裏腹に、美帆の足はゆっくりとベッドに向かっていく。



震える手先を凜玖の顔に持っていき、優しく肌に触れる。赤ちゃんのような柔らかい頬。こっちは毎日スキンケアをして潤いを保っているというのに、嫉妬してしまうぐらい綺麗だった。



顔を見下ろしていると、嫌でもその口元に目が行ってしまう。



「……遥陽さんとはもうしたのかな」



いつ付き合いだしたのかは分からないけど、恋人同士なんだからもう済ましていても不思議ではない。



そしていつか、それ以上のことだって当たり前のようにするんだ。想像するだけで、胸の奥が苦しくなる。



美帆は自分の唇が乾いていることに気づいた。



舌先で少し湿らせ、膝を折ってしゃがみ込む。間近で好きな人の寝顔を覗きこめる事なんてほとんどない。



「……兄さん、本当は起きてたりしない?」



反応はない。すっかり夢の中だ。



「……美帆も今だけ、これで最初で最後にするから夢を見てもいい?」



もう我慢できなかった。止める人も咎める人もいない。



美帆は凜玖に顔を近づけ――上唇と下唇の中心部をほんの先だけ凜玖のそれと合わせた。



一秒にも満たない、至福の時間。



「初めての相手が兄さんでよかった」



これで満足したと言えば嘘になる。本当はもっとしたい。味わっていたいし、独占したい。



しかしなぜなのか。これ以上にない幸福と、満足感でいっぱいだった。けど――



「やっぱり諦められない、諦めきれるわけないよ……」



自分が何をしてしまったのかはちゃんと理解している。いけない事だとも分かっている。だがその事実を知る者は、美帆本人を除いて誰もいない。



様々な感情が入り交じりつつも、何とかこぼれ落ちそうになった涙を堪え、美帆は凜玖の部屋を後にする。



「――おやすみ兄さん。大好きだよ。今までも、そしてこれからも」










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