初デートの日の夜
僕たちは反射的に、何かに弾かれたかのように互いの手を離して距離を取った。
が、当人の目の前でそんなことをしたところで、もう手遅れである。
「……今手繋いでたよね? 二人ってその……」
僕と遥陽は顔を見合わせた。見合わせただけで、どちらもすぐに否定はしなかった。
それは、美帆にとっては答え同然の反応だった。
高校生の男女が手を繋ぎながら歩く。誰がどう見ても、この二人がどういう関係なのかは明らかだ。
「美帆ちゃんあのね――」
「……そうなんだ、よかったね。おめでとう二人とも」
「あっ、美帆――」
美帆は顔色一つ変えずにそれだけを言うと、僕の脇を通り抜けて行ってしまった。エコバックを片手に持った背中が小さくなっていく様子を僕と遥陽はただ黙って見ているだけだった。
「まさかこのタイミングで出くわすなんてね……」
「……そうだね」
少し気まずい空気が流れていた。美帆も美帆で、僕たちのことを察したはずなのに、びっくりするぐらい無反応だったのが意外だった。
前に九条さんの件で落ち込んでたときは、根掘り葉掘り聞いてきたのに今回は何も突っ込んでこないなんて……。
特に相手が気心知れた遥陽なのに、この無関心さはいったい何なのだろうか。
「美帆ちゃん何か機嫌悪かったのかな……?」
「母さんと喧嘩した……とかではないとは思うけど」
遥陽は美帆に知られてしまったことよりも、美帆自体を心配しているようだった。遥陽にとっても美帆は本当の妹のような存在なんだ。きっと祝福してほしかったんだと思う。
「凛くん、美帆ちゃんにはまだ話していなかったんだね」
「遥陽の方こそ。女の子同士は、こういうのはすぐに報告するもんだと思っていたよ ……」
「自分のことはしないよ。なんか自慢みたいで嫌じゃん。――というわけだから、あとのフォロー諸々は凛くんに任せるよ」
「えっ」
ドーンと背中を叩かれた僕が反論の言葉を口にするよりも先に、ポニーテールを揺らした遥陽が僕の前に出て道を渡ろうとしていた。
美帆のことを考えているうちに、いつの間にかマンションの近くまで来ていた。
「――またね凛くん! 今日は楽しかったよ!」
また連絡するから! と最後に言って、遥陽はエントランスの方へと消えていく。僕も遥陽の姿が見なくなるまで手を振り続け、自分のマンションの中に入った。
こんなに、次に遥陽に会うのが楽しみな別れは、初めてかもしれない。スマホ一つで連絡はできて声だって聞ける。その気になれば五分と経たずに会うことだってできる。
でも、この何気ない普通のやり取りとまた会おうの挨拶に、僕はこの上ない充実感で満たされていた。
***
美帆は僕が家に帰ってから一時間も経たないうちに帰ってきた。
僕はその間ずっと自室にいたから玄関の扉が開く音しか聞いていなかったけど、リビングには母さんもいたしやっぱりお使いを頼まれていたんだろう。
今日は遥陽と初めてのデート。
なのに、美帆のあの他人を見るような目が、さっきからずっと僕の頭から離れなかった。
僕は美帆に、どうしてほしかったんだろう。
『兄さんにもようやく春が訪れたんだね!』と言って手を叩いて喜んでほしかったのか。『遥陽さん! 兄さんだけはやめた方がいいですよ!』と、からかいつつも、満面の笑みで小突かれてほしかったのか。
そんなのは、ただの僕の妄想であり、願望である。僕たちの関係の変化を知った美帆が、どういう気持ちを抱いてどんな態度を取ろうが僕にそれをどうこう言う権利はない。
遥陽にはああ言われたけど、さっきの今で美帆に話しかけるのはちょっと難しい。最悪無視されるか、罵倒されるかの二択の未来しか浮かんでこなかった。
――夕食の席でも、美帆は静かだった。
普段から家では口数はあまり多くない美帆だけど、今日は自分からは全く言葉を発さなかった。
父さんも帰ってきて、久しぶりに四人揃っての食卓になったのだけど、父さんが会社でのおもしろ話をしているうちに皆食べ終わってしまった。
そもそも僕は、美帆と二人きりになったところで、一体どうするんだって話だ。
遥陽と付き合うことになった、以上。本当にそれしか言うことはないし、最早その事実も美帆にとっては既知のことなのでそこで会話も止まる気しかしない。
遥陽にどうしたらいいか聞こうと思ったけど、やめた。
どうせ時間が経てば、美帆の方からまた九条さんの時みたいに、あれやこれや質問してくるだろうし。
明日は久しぶりのバイトだ。今日は疲れたから早めに寝たかった。
実は今が夢で起きたら全部嘘でした、遥陽とはただの幼なじみですよ――みたいなノリだったら本当に泣くし。
僕は大きく欠伸をしながら今何時か確認する。まだ八時過ぎだ。
お腹が満たされたことで、強い睡魔が襲ってきた。さすがに寝るにはまだ早すぎる時間だったけど、お風呂が空くまで少し横になろう。美帆と母さんは長いから。
枕に頭を乗せて目を瞑る。
その間ずっと遥陽のことを考えていた。
今日だけで、遥陽のいろんな新しい表情を見ることができた。今まで長い間一緒にいたのに、僕は遥陽の可愛さの二割ぐらいしか見えていなかったのだ。
カフェではちょっと恥ずかしいことも口走っていた遥陽だけど、やっぱり付き合うってことは、そういうこともするかもってことなんだよね……。
――妄想の現実化。って表現はなんか下衆い感じがするけど、それは健全な男子高校生なら至って当たり前のこと……のはずなんだ。
「……やっぱりもっと僕の方から積極的にいくべきなのかな……」
今日だって手を繋いだりといった、肌が触れ合うようなことは基本遥陽主導だった。
もし遥陽の方からアクションを起こしてくれなかったら、僕は一度も遥陽に触れることなく今日を終えていたことだろう。
「次は僕から遥陽の手を握る……!」
よしこれでいこう。次の目標が定まった。
勝手に満足したことで睡魔がさらに強くなり、そのまま微睡むまで五分とかからなかった。




