返事
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遥陽も今日は一日予定がなかったらしく、僕の会おうという誘いに二つ返事で了承してくれた。
場所は少し迷ったけど、僕と遥陽のマンションの近くにある公園にすることにした。
遥陽はすぐにでも大丈夫とのことなので、僕も急いで自転車で、来た道を引き返すことにする。
今日ここに来てから一時間も経たないうちに帰るなんて、思ってもいなかった。九条さんに会って、二人でカウンターで注文している時とか、ちょっとデートっぽいな……なんて考えていたのがとても恥ずかしく感じてしまう。
僕自身、どうしてこんなにも気持ちが冷めてしまったのか不思議なぐらいだ。恋は盲目――なんてよく聞くけれど、まさに僕がそうだったのか……? あの会話の中で九条雛美という人物が、僅かながら垣間見えた気がする。
――僕は九条さんに、都合のいいように使われかけていた。
これが真実か僕の勘違いかは置いといて、そういう風に自分自身に言い聞かせて肯定しなければ、今から会う人に対して失礼――だから、ペダルに体重を乗せて一こぎする度に九条さんの印象を塗り替えるよう努めた。
***
公園の入口付近で自転車から降りた僕は、奥で木陰のベンチに座る遥陽を発見した。
「お待たせ遥陽」
「あっ、凛くん……すごい汗だくだけど大丈夫?」
ベンチの近くに自転車を停めた僕は、飛ばしてきたせいか汗で服が肌に引っ付いているのに気づく。とてもじゃないが、これから女の子と会う身体ではない……。
こんなことなら時間をもう少し後にして、一度家でシャワー浴びておくんだった……。
しかし今さら後悔してもどうしようもない。僕がその場で固まっていることおよそ十数秒。
「なに突っ立ってるの? 早くここに座って」
と、少し横にズレた遥陽が、ぽんぽんと横を叩いて僕に座るよう促してくれた。気にしないのかな……。僕はタオルでできる限り汗を拭き取ると、遥陽の隣にゆっくりと沈むように掛けた。
……以外と涼しい。
こんな真夏日に屋外の公園を指定するなんて僕はバカか? と一瞬自分を殴ってやろうかと思ったけど、ちょうど太陽の光は真後ろにそびえ立つ大木の木々によって遮られており、なおかつ風もいい感じで吹いているため、気持ちのいい暖かさだ。
「凛くん、それで……」
チラ、チラと首だけを動かして横目で僕の様子を伺う遥陽。
……そうだよね。誘ったのは僕なんだから、ちゃんと僕の方から話さないと。
「遥陽、あのね」
僕は正面の体勢からできるだけ遥陽の方に座り直し、顔を合わせるようにする。
「は、はいっ……!」
遥陽もぎこちない動作で僕の方を向く。薄い桃色のノースリーブから伸びている細くて綺麗な両腕に目が吸い寄せられた。
長年テニスをやっているとは思えないような、作り物のような肌をしている。日頃の練習を頑張っている証に少し焼けた肌色が、妙に艶かしい。
そしてさらに、手首より先は――まるでラケットを握っているかのように拳に力が込められていた。
多分このタイミングで二人で会おうとした時点で、遥陽の方もある程度覚悟をしてきたのだろう。
「……この前の返事を今ここでしてもいいかな?」
「……うん、お願い」
伏せ目がちだった遥陽の目が、少しだけ開かれた。どんな答えでも受け入れる――そんな意思が感じ取れる。
ここに来るまでの少しの時間だったけど、どういう風に言おうかずっと考えていた。遥陽の心に残るようなカッコイイ文言を必死に捻りだしていたはずなのに、僕の頭の中は真っ白になっていた。
脳内でせっかく書き上げていたはずの原稿が、白紙になる。
「本当に僕でいいの……?」
一抹の不安を含んだ確認。あの日以降、夢に何度も出てきてた。だからそのせいか、あれは本当に夢だったんじゃないかと、そんな風に考えてしまうこともあった。
「もう、なんで凛くんがそんな顔してるの。そうしたいのは私の方なのに」
気がつけば僕の拳の上に、遥陽の手が添えられていた。いつの間にか、僕はついさっきの遥陽みたいに手汗を滲ませながら拳を握っていた。
「――何度でも言うよ。私は凛くんが好き、ずっと好きだった。凛くんの彼女になりたい」
思えば、僕の人生の大半は常に近くに遥陽がいた。
それが当たり前すぎて、もし遥陽がいなければ――なんて想像したこともなかった。
もし僕が他の誰かと付き合ったりしても、遥陽は友達としてこれからも僕のそばに居てくれる――そんな勝手なことを考えていた。
だから僕はあのぬいぐるみを受け取ってから今日までの間、この先遥陽がいなくなったら――という未来をイメージし続けていた。
達海さんの誘惑に耐えられたのも、九条さんの頼みを断れたのも、遥陽の存在が僕の中で大きくなっていたおかげだからだった。
そして極めつけは、つい先日のあの事件。未だに誰の仕業なのかは分かっていないけど、あんなに弱った遥陽を見た僕は、守ってあげたい、抱きしめて支えてあげたいという感情に駆られた。
不謹慎な理由だけど、幼い頃からずっと僕を引っ張ってくれていたお姉さんのような存在だった遥陽に、初めて横に並ぶことができた気がした。
そしてこれからも、横に立ち続けていたいと願った。
「――遥陽、僕も遥陽とこれからも一緒にいたいって思っている。友達としてじゃなくて、これからは遥陽の彼氏として――」
「りん、くん……!」
遥陽は口を結んだまま泣いた。
「遥陽……?」
つい最近に遥陽の涙を見ていたということもあって、少し戸惑ってしまった。けれども、すぐに遥陽は目元を拭い、満面の笑みを僕に向けてくれた。
「嬉しいの。ずっと不安だったから……ほとんど諦めていて……凛くんはずっと他に好きな人がいたから」
「今は……遥陽が一番だから」
「――! ありがとう凛くん。私を選んでくれて。すごい幸せだよ」
遥陽は僕との距離を詰め、僕の腰に手を回しながら肩にもたれかかってくる。
僕の心臓はもうすでに破裂寸前だった。遥陽の指が服を通して僕の肌を刺激する。
「は……遥陽! 僕その……汗とか……」
「気にしないよ。好きな人の匂いなんだから、もっと近くで凛くんを感じていたい」
僕が上体を逸らそうとしても、遥陽はそれを阻止するかのごとく、頭を擦り寄せて来て離れようとしなかった。
遥陽が気にしなくても、僕の方が気にするんだけど……。
「そっ、そうだ遥陽! あれ忘れてた……!」
この暑さも相まって、僕はいろんな意味で倒れてしまう寸前だったところ、何とか別の話題を出して遥陽にいったん離れてもらった。
「あれって……?」
不満そうにジーッと目をこちらに向けながら、遥陽は頬を膨らませる。
遥陽ってこんなに可愛いかったの……?
「ほらあの時取ったクマのぬいぐるみ。僕が返事をするときに返してって言ってたじゃない。それ忘れてしまったな……って」
「ああーあれかー。別に次でいいよ」
「次会ったときってこと?」
「うんうんー、次に凛くんが私に想いを伝えるときに持ってきて。そしたら私が一緒に受け取ってあげるから」
「それって……けっ――」
もう限界だった。
少しでも落ち着かせようとしたはずが、逆にもっと体温をあげる羽目になってしまった。
見ると遥陽の方もさすがに意識したのか、耳の先まで真っ赤になっている。
「……でも、私ちゃんと待っているからね」
――今たった付き合ったばかりなのに気が早すぎだよ。
なんて言えやしなかった。そんな世界線も有り得るのかもしれない――そう思ってしまった僕に、現実を語ることなんてできるわけがない。
「――改めて、これからもよろしくね凛くん」
「こちらこそよろしく、遥陽」
人生で初めて、彼女ができた。
僕の夏は、まだ終わっていなかった。
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