表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

石川町、全裸女。あと百合

作者: 葉山 灯

 午後六時、石川町駅のホームに私しか居ない時間がある。


 しん、と静まり返った構内周りは真っ暗な闇に切り取られて私はこの時間が終わるまでいつもベンチでぼけーっとしていた。


 石川町駅を知らなくても横浜中華街はご存知な方も多いと思う。その最寄駅がそこなのだ。


 本来ならあり得ない。この時間帯で一人も居ないホームなんて。だから何かしらの怪奇現象には違いないが、特に困ってはないので気にしていない。


 その空間ではスマホが使えないので写真も動画も撮れない。それよりもスマホが触っても動かないのが致命的で、水を失った魚は息絶えるように私も口を大きく開いて空を見るしかなかった。


 大体十五分もすると視界が真っ白になって気づいたら混雑した構内に戻っている。しかも列に並んでいて。


 この不思議な時間は石川町駅のホームを踏む時だけ発生する。時間も午後17時を過ぎると起きやすい。


 最初は面食らった。このまま永遠に続くのかと焦り、泣き喚いた。その十五分後には澄ました顔で列に並ぶ自分を見て、結構世間体を気にするタイプなんだと見直した。


 数年が経った今、石川町へはあまり行かなくなったがたまの帰省で機会があればちょいちょいこの駅へ立ち寄るのが増えていた。


 そしてここ数日連日のように駅のホームに居る。


 前までは非日常を味わうだけで怖いもの見たさで行っていたが、今はもうこの空間を満喫するために通っている。


 どうしてこうなったかは端折るが仕事のストレスによってこの空間で服を脱ぎ始めたのがきっかけだった。


 つまり露出癖に目覚めた訳だ。


 正確には駅のホームで全裸になる事に爽快感を感じるのであって、決して誰かに見られたい欲望は無いが遠目から見たらどちらも変態だろうから言い訳は言わない。


 ある日、泥酔中にこの空間で靴を脱ぎっぱなしのまま時間が経ったが元に戻ったらちゃんと履いていた事に気付いた。その時こう思った。


 ……イケるんじゃないか?


 過酷な労働とは恐ろしいもので平時では考えられない行動に背中をさすって後押ししてくれる。


 私は遺書を書いて全裸になった。そして無事に服を着ていた。それ以来、私はこの快感を味わうのが病みつきになり連日通ってる訳だ。


 ちなみに遺書は捨てたが退職届はきちんと上司の顔に叩きつけた。私の尻を撫でたあの豚の脂ぎった顔にべったりと貼りついて思わず吹いてしまった。


 そんなこんなでこの空間は最も開放感に溢れた場所になった。


 白色の電球の下、コンクリートのホームを駆ける。冬の風が冷たい。それがまた心地よいのだ。


 北欧ではサウナから出たら外へ出て雪にダイブするらしい。いつか行ってみたいものだが、今はこの真っ暗な空間にぽっかりと浮かぶホームでダンスを踊っていたい。


 石川町駅の細長いホームの十五分は私だけの空間だった。


 向かいのホームが突然現れるまでは。


 唐突にそこは当たり前のように線路を挟んで出現した。その時、私は鉄柱でポールダンスをしていた。


「…………」

 

 そして誰か居た。制服を着た女の子だった。


 目と目が合ったその瞬間、私は遺書を破り捨てた事を後悔した。遠心力により回る裸体だけがこの静止した空間の中心で輝いていた。


 大きな眼鏡を掛けたその子はずっと私の身体を見つめていた。


 この時の私は痴女として振る舞えば切り抜けられるのではないかと一瞬頭によぎったが、私は駅のホームで裸になる事を目的にしていたので一欠片の矜持を持って胸元と下半身を手で抑えた。


 まずは謝罪をすべきと判断し声を掛けた。


 ごめんね。汚いもの見せて。ここに人が来るなんて思わなかったから、と。


 線路向かいのホームは思ったより離れているので久しぶりに腹から声を出した。そして思い出して服を着た。


 女の子から返事を期待してなかったが、驚いた事に彼女は立ち上がってこちらに返事をしてくれた。


「わ、私も! した事あるから気にしないでください!」


 なんて事だ。その歳でこの領域に踏み込んでいたとは。ここには二人しかいないが変態が二人いると思うと石川町駅も物騒な場所になったものだ。


 私は一瞬迷ったが良かったら元町でカフェをしないかと誘った。この空間で会った初めての人間だし、個人的にも彼女に興味があった。


 特に全裸になった経験がある、という部分を詳しく知りたかった。同好の士とは一期一会では終わらせたく無い。死ぬまで執拗に絡んでいきたいのだ。


 彼女はしばらく悩んでいたが、やがて遠慮がちに頷いてくれた。


 そして十五分が過ぎ、石川町駅は人混みに溢れ返った。エスカレーターでホームから降りた私は改札で佇んでいると、反対側からあの子が階段で降りてきた。


 私と彼女はしばらく見つめ合い、黙って一緒に駅を出た。高架下のからっ風が強く吹いていた。


 近くのカフェで彼女と一時間近く喋って分かった事はあの駅の現象がどうして起こるのかさっぱり分からない、という事だ。


 彼女の名前は身バレを防ぐ為にここではメガネちゃんと呼ばせてもらう。彼女は数ヶ月前にあの空間に入れるようになったのだと。


 何故私とメガネちゃんだけがあそこに入れたのか。どうして私達が会えたのか。全く分からなかった。


「分からない事が分かりましたね」


 ポークソテーか。ソクラテスだった。全然違う。ついでにそれを注文した。お腹が空いた。彼女の分も奢った。


 もう三十路が喉に手を掛けているこの年になると、女子高生に恐怖を感じてしまうようになったが、何故かメガネちゃんとは気楽に喋れた。


「あの、お願いなんですけど。私が居ても気にしないでくれませんか。別に良いと思うんです。裸になっても」


 彼女の出現により内心諦めていた露出だったが、察しが良いメガネちゃんはそれを気の毒に思ったらしい。


 何て出来た子だ。産むならこの子だな。けれど私はその言葉に対して静かに首を振った。


 もう終わりにする。そう決めたのだ。


 あの空間は誰もいなかったから、私は自由になれたのだ。


 貴女がいるかも知れない空間では、私は脱げない。でもそれはメガネちゃんの所為では無い。


 本当は知っていた。駅で服を脱いではいけないのだと。ふふ、このポークソテー、ちょっとしょっぱいね。


「納得出来ません」


 彼女は私の手を強く握った。


「とても楽しそうでした。他の誰よりも顔が活き活きとしていました。私の所為で脱ぐのを辞めないで下さい」

 

 でも……。


「わ、分かりました。分かりました」


 メガネちゃんは意を決したのか覚悟が篭った目でこう言った。


「脱ぎます。私は、脱ぎますから」


 彼女は脱衣をしたことがある。けれどそれは下着だけだった。誰も居ないからとこっそりパンツを下ろしたが恥ずかしくなってやらなくなったのだと。


 だから全部脱いでいた私を見て、ある種の感動を覚えたらしい。


 そうだったのか。メガネちゃんは大した事が無いように言うが、駅構内で下着を脱ぐというのは中々にヤバい奴だと思うけどそれは一旦置いておく。


 分水領だ。彼女が変態になる瀬戸際。


 私は……いやらしい顔で挑発した。


 お前に出来るわけが無い。駅で裸になる覚悟をメガネちゃんは持っていないに決まっている。


 それでもやれるやってみろ。明日の午後六時。石川町駅で会いましょう。


 会計書を手に取り、私はそう言って店を出た。


 私は結局選択をしなかった。彼女に委ねたのだった。ただやはり自身の欲望を抑えられなかった。


 初対面の彼女にあんな事を言ってしまうなんて。まるで期待して待っているみたいじゃないか。


 頼むから脱がないでくれ。メガネちゃん。私は君を泥沼に堕としたくないのだ。


 それなのにこの身体から溢れ出る熱は何なのだろう。狂おしい程のこの感情を何と呼べば良いのだろう。


 カップル連れが多いこの元町で前を向ける独身女がそこに居た。


 次の日、私は朝の五時に起きた。驚く両親をよそにゴミを捨てた後はそのまま外に出かけた。


 ファミレスでドリンクバーを頼み、席に座る。鞄から履歴書を取り出した。


 仕事は嫌だ。間違いない。だが行く。それは仕方ないのだと諦める事にする。


 バイトでも何でもとにかくやる。理由がある。確信があったのだ。メガネちゃんは今日必ず石川町駅にやってくると。そして服を脱ぐのだと。


 昨日会った彼女を思い出す。あの暗くドス汚れた濁った眼を。見覚えがある。ストレスでやられちまった瞳。


 鏡で見た私の眼だ。彼女の爪は伸びていて、顔のケアもしてないのかニキビがあった。


 それだけであの子は必ず今日やって来るとそう信じた。


 私が脱がないと言った時、彼女の眼に力が篭った。


『脱ぎます。私、脱ぎますから』


 猫背だったメガネちゃんの姿勢はピンと立っていた。その姿が今も目に焼き付いている。


 もし今日あの子が来たら、私は負ける。何に? 分からん。だが負けるのだ。


 今まで生きてきて勝者になりたいと思っていても、敗者になりたいと思った事は無かった。


 そうしたら力が抜けた。何故か履歴書が書きたいと思えるようになった。


 私は初めて自分が大人になったのだと気付いた。コーヒーをブラックで飲む。苦いから砂糖を加えた。


 あと手書きで書く履歴書程バカらしいものは無い。そもそも誠意が欲しいならもっとマシな餌を寄越せと。


 私はポストに用を済ませて、そのまま横浜まで歩いた。白楽辺りは唐揚げ屋が多いのが良い。途中でパン屋にも寄る。


 午後五時に横浜から桜木町、赤レンガ沿いに歩いて山下公園に辿り着く。五時四十分、中華街へ。華やかな中央通りを抜けて、高架下に行けばそこは石川町駅。


 五時五十五分。私はホームの壁側に立つ。


 気分が落ち着かない。自販機で飲み物でも買おうと足を動かした瞬間、世界は無音に包まれる。


 ざわめきもアナウンスもここには無い。周りが暗闇に包まれた空間。私のダンスホールだ。


 しかし今日の主役は私じゃない。耳を澄ますと向こう側のホームから階段を駆け上がる音がする。


 メガネちゃん。見ると顔つきが昨日とは見違える程綺麗になっている。私を見つけるとホッとした表情を浮かべた。


「あの……! その、えー。じゃあ、見てて下さい!」


 うん。待ってた。


 この世界では十五分しか居られない。それは彼女も知っている。羞恥心や常識に囚われていれば世界はあっという間に終わる。


 だから彼女は思い切り自分の頬を叩き……そして制服のネクタイを外した。


 二分後、私は彼女の全てを見た。仁王立ちで立つメガネちゃんに私は走っておいでと伝えた。


「貴女は?」


 脱ぐよ。当たり前。今日、私は負けたんだから、ね。


 メガネちゃんはそれを聞いて嬉しそうに笑った。そしてそのままホームを駆け出した。


 後五分も無い。私は全裸になって歌った。


 一昔前の懐メロ。それでも、ああ……



 心が踊る。



 この世界には私と貴女しか居ないのだから。そうして世界は消えていった。


 気付いたら私は壁に立っていた。向こうを見るとメガネちゃんが手を振っていた。


 だから私は改札がある方向に指を向けた。


 彼女に会って話をしたかった。頷く彼女は急いで階段を降りていった。


 改札から出ると彼女の方へ向かう。私は自分の名前を告げた。


「私は○○です。××さん」


 楽しかったね。どっかカフェ行こうよ。


 彼女はクスクスと微笑んで、私の腕を掴む。


 こうして私はメガネちゃんと知り合ったのだ。


 ちなみに数年後に彼女とルームシェアをする事になるのだがそれはまた別の機会に話すつもりだ。


 この話はこれで終わり。今もこの怪異は石川町駅に行けばある。私達しか経験出来ないけど。


 読んでくれてありがとう。けど、いいか? 現実では脱ぐなよ。約束だかんな。


 そんじゃ、終わります。ありがとね。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ