墓参の花束と抜けたトゲ
日差しが若干弱くなり、通りを抜ける風が涼しく感じるようになった頃。
俺が商店通りで彼女と偶然出会したのは、そんな時合のことだった。
「あらま?買い物にでも来てたのか?」
「そんなところです。貴方の方は……挨拶回りの予定でしたよね?」
青地のジャケットにロングスカートという、見慣れないオフモードの格好。長い髪は珍しくポニーテールにまとめられている。
そんな姿でもすぐに彼女だと気がついたのは、それだけ付き合いが長くなってきた証拠なのだろう。
だからこそ、彼女の言葉に訝しむようなニュアンスが含まれていることも、何をもってそう感じたのかも、俺にはよく分かっていた。
「挨拶回りは終わったよ。あとは最後の予定で、これを届けに行くところ」
そう言って、俺は空っぽになった袋と一緒に、肩に引っ掛けるように持っていた花束をシャールに見せる。花束といっても、白百合が二輪とカスミ草という素朴なものだが。
だから、これから俺が向かう先は彼女が怪しんでいるような、色気があるような場所ではないのだ。
「急ぎの用がないなら、一緒に行くか?」
「え、えっと、それは構いませんが……一体どちらへ?」
小走りで隣に並んだシャールに合わせ、俺も歩き出す。
俺が、俺達がこれから向かうのは……
「世話になってる人の、旦那さんのところだよ」
〇
「あれま?掃除もしようと思ってたんだけど、ピッカピカだな」
「供えられている花も新しいですし、昨日か今日に誰か来たんでしょうね」
街の外れにある教会、そこにある墓地。
俺がシャールを連れてやってきたのは、ジョウ達が住む家の持ち主であるアーケルさんの旦那さんが眠るお墓だ。
日中の暑い時間帯を避け、日頃のお礼に花を供えて掃除をしようと思ってやってきたのだが、どうも俺の出る幕はなかったらしい。
俺のものより立派な、カラフルな花束が供えられたお墓は、ケチのつけようがない程に綺麗になっていた。いや、ここだけではなく、墓地全体も。
「まぁとりあえず、この花も供えさせてもらおうか。ちっとばかり見劣りするけど、どうかご勘弁を」
ただ突っ立っているわけにもいかないので、軽く詫びながら花束を供える。
と、シャールは小さな声で笑った。
「いえ、マナーとしては貴方が正しいですよ。ちゃんと花屋で聞いて作ってもらったんでしょう?とは言っても、こんな明るい花束も私はいいと思いますけどね」
「だな。時と場合にもよるんだろうけど、こんくらい元気な花束の方が前向きな気持ちになれる気がするよ」
俺をフォローしつつも、決して他者を下げたりもしない。
まぁよく出来た子ですこと、と感心しつつ、二人で墓前に手を合わせる。
不意に声を掛けられたのは、目を開けたちょうどその時だった。
「ああ、あなた方もお参りに来られたのですね。パウロさん、シャールさん」
「っと、神父様。ご無沙汰してます」
俺達に声を掛けてきたのは、ここの教会の神父であるヴェルナーさんだ。法衣を身に纏い、眼鏡を掛けた細身のお爺さん。
祈りを終えた俺達が軽く頭を下げると、微笑みながら近くまでやって来たヴェルナーさんは深々と腰を折った。
あまりに重みのある一礼に、俺とシャールは思わずギョッとなる。
「この度は誠にありがとうございました。本当に感謝の念に堪えません」
「ちょっ、ちょっと待ってください!一体なんのことか、俺達には……っ!?」
慌てて頭を上げてもらうと、ヴェルナーさんはキョトンとした顔でこちらを見てくる。そして、先程の行動の意味を俺達に教えてくれた。
「おや?お聞きになっておられませんでしたか。今日の朝方、あなた方のパーティーの若い子達がお参りに来たのですが、その子達がこの霊園全体の清掃までしてくれまして……私も歳ですので、本当にありがたいことです」
「若い子……」
その言葉を聞き、チラリとお墓の方を見る。
なるほど納得だ。墓前に供えられたあの元気な花束は、いかにも彼ららしい。
視線を前に戻すと、隣でシャールが口元に手を当ててクスクスと笑っていた。一連の出来事が誰の仕業だったか、彼女にもすぐに分かったようだ。
「ゆっくり休むよう言われていたのに。ジョウくん達らしいですね」
「……まったくだ」
命令違反は命令違反でも、こんな命令違反をされたのでは叱ることも出来やしない。むしろワッシャワッシャと撫でてやりたい気分だ。
俺達の様子から事情を察したか、ヴェルナーさんはこれでもかと破顔して、胸の前で手を組み合わせた。
「あの子達は素晴らしい薫陶を受けているようですね。あなた方を見れば、それも納得です」
「いやいや!とんでもない!俺は反面教師みたいなもんですよ」
若人の評価を掠め取るような真似をしたら、オッサンの名折れだ。そこは全力で否定する。
とは言っても、やはりジョウ達のことを褒められるのは我がことのように嬉しいのだ。
だが……そんな胸の内の温かさは、続くヴェルナーさんの言葉で一瞬の内に凍りつくことになった。
「今日は本当にありがとうございました。あなた方にもどうか、ポーズィティフ様の加護と祝福があらんことを」
「…………あっ……」
俺はその瞬間、頭の奥底に眠って記憶を、頭の片隅に追いやって忘れかけていた記憶を、同時に思い出していた。
いや、記憶の糸が繋がった、という方が正しいか。
〇
「……何かありましたか?」
ヴェルナーさんとの話を終え、帰る途中。不意に尋ね掛けてきたシャールを隣に見て、俺は足を止めて息を吐いた。
ヴェルナーさんの前では最後まで平静を装っていたが、やはり彼女にはしっかりバレていたらしい。
辺りに人気がないのを確認して、改めてシャールと向き合う。
「ポーズィティフ、だっけか?あれって、この世界の創造神みたいな存在の名前だよな?」
「はい。あくまで神話上の存在ですが……」
俺からの質問にシャールは戸惑った様子で返答するが、それはそうだろう。立場を置き換えると、「キリストを知っているか?」と聞かれるようなものだ。
この常識の差のせいで、俺は気づくのが遅れてしまったわけである。
この世界にも教会があり、神父という身分も存在する。だが、この世界にキリスト教は存在しない。
この世界で一般的な宗教は『聖神教』というものであり、その最高神が『ポーズィティフ』だ。
ただ、これは原作において物語としては本当にどうでもいい要素で、ストーリーには何の影響もない名前だけのものだった。
言い訳を繰り返すようだが、だから思い出すのに今日までかかったわけだ。
「ポーズィティフってのは、俺の世界のドイツって国の言葉で、『肯定的な』みたいな意味の言葉なんだよ」
「そうなんですか?こちらではそういった意味はないはずですね……」
シャールの言葉に、「そりゃそうだろう」と心の中で頷く。
聖神教自体が作中では大して意味のないものだったのだから、そこにまつわる設定も深く考えてはいないだろう。神の名前も、恐らくネット検索などで見つけて気にいった言葉を当てただけだ。
ようやく気づいた本当の問題は、そこではない。
本当の問題とは……
「肯定の対義語は否定だ。で、否定はドイツの言葉だと……ニヒト、なんだよ」
「っ!?」
そう伝えると、シャールの顔色がサッと変わった。
これが、ヴェイルの騒動にてニヒトの存在を知ってから、頭の隅にずっと引っ掛かっていた刺の正体だ。
だが、これは「ニヒトの正体が分かった」という話ではないし、本当の問題の部分でもない。むしろ、ニヒトに関しての謎はさらに深まったとも言える。
「……では、ニヒトは創造神と対になる存在だと……」
「あー、ごめん。それは違うから、心配しなくていいよ。これは説明がややこしい話なんだ」
最悪の想像に青ざめるシャールを落ち着かせるべく、軽い調子でパタパタと手を振る。
そう、落ち着いて聞いてもらわなければ整理も難しいくらい、これは本当にややこしい話なのだ。
「前にもちょっと言ったけど、俺が見た物語の中ではニヒトなんて名前のヤツはいなかった。言葉としてすら存在しなかった。肯定の神とやらも名前だけで実在はしてなかったし、その対極にあたる否定の神なんて概念としてすら存在しなかったんだ。シャールだって聞いたこともないんだろ?」
「そ、それはそうですけど……でも、それなら否定という言葉はどこから出てきたんですか?」
困惑しきった様子で、シャールが質問を返してくる。
それに答えるため、俺は小さく前へならえをするように、胸の前に両手を出して見せた。出来る限り彼女にも分かるように説明するには、これが一番だろうと。
「右手が俺の世界で、左手がこの世界だとするとだな、否定の神ニヒトの名が出たのは……この両手の間にある世界なんだよ」
「……間の世界……?」
この説明ではまだ、彼女には理解出来ないだろう。これは、俺と同じ世界の人間でなければ理解出来ない概念なのだから。
現実世界と物語世界との間。
それはつまり……感想欄だ。




