命と恋の分水嶺
水の中、砕けた岩盤が次々と落ちてくる振動を全身で感じる。
あらかじめ息を溜めていたためパニック状態には陥らずに済んだが、だからこそ俺は冷静に状況を確認した上で焦っていた。
地上からこの地底湖まで、そう高さがなかったのは幸いだ。しかし、一緒に落ちた岩盤によって起きた水流に揉まれたせいで、俺はシャールの姿を完全に見失ってしまっていた。
そして、水の中は想像以上に暗く、凍える程に冷たい。
一秒でも早くシャールを見つけて引き上げねばならないのは分かっている。だが、このまま闇雲に潜って捜索するのは得策ではない。
即座にそう判断し、俺はまず頭上の光を目指して浮上した。
「ぶはっ!!!」
「パ、パウロさんっ!だ、大丈夫ですかっ!?ゲホッ!」
「よかった!お前も無事だったか!」
水面に出るとすぐにジョウの声が聞こえ、まずは一つ安堵する。少し離れた所で浮かんだ彼は、多少水を飲んだのか咳き込んではいるが怪我はしていないようだった。
そこへ、今度は頭上から声が降ってくる。
「ダーリンッ!マスターッ!大丈夫っ!?」
「俺らは無事だ!けど……っ!」
ポッカリと空いた大きな、しかしこの地下空間に比べると小さな穴から、ディーネがこちらに飛んでくる。
だが、ゆっくりと無事を喜び合うような状況ではなく、そんな余裕もない。
俺はディーネがこちらに来る前に手を上げ、彼女とジョウにすぐさま指示を出した。
「ディーネッ!お前はまず上に戻って、皆に俺達は大丈夫だと伝えてくれっ!まだ崩落するかもしれないから、穴のそばには近づくなと!」
「う、うんっ!分かった!」
「ジョウは水面から水魔法で水中を探ってくれっ!水の中は真っ暗だし、下手したらシャールは岩の下敷きになってる恐れすらある!なんのアテもなく捜すより、その方が確実だ!」
「わ、分かりましたっ!」
俺の言葉に空中で急制動をかけたディーネは、機敏な動きで来たルートを戻っていった。
そんな彼女を見送らず、ジョウが呼吸を整えるのを待たず、俺は肺の中の空気を一度吐き切る。
たとえ闇雲だろうと、俺だけのうのうと浮かんでいるわけにはいかないのだ。
「俺はダメ元で潜って捜す!シャールが見つかったら多少無茶してもいい!すぐに引き上げろっ!」
「はいっ!!!」
ジョウの返事を聞きながら、限界まで息を吸う。そして、俺は再び水の中へと戻った。
だが……
「っ!」
やはり何も見えない。
水の中は新月の闇夜のように暗く、水底などまったく見えない。まるでそのまま地獄の底まで続いているかの如く闇が広がっているだけだ。
恐怖と水の冷たさから、背筋に言い様のない悪寒が走った。
しかし、ここで臆して固まっているわけにはいかず、俺は覚悟を決めて深みを目指す。
無限の奈落のように思えるがそれはそう感じるだけの話であり、実際はそう深くないはずなのだ。
何故なら、原作のジョウは潜ってシャールを見つけ出し、水底から彼女を救い上げるのだから。
と、そこで俺は自身の思考にハッとなっていた。
「ジョウはこの闇の中からシャールを見つけたじゃないか」と。
原作でジョウは、何かの切っ掛けで水底に沈んだシャールを発見した。切っ掛けとなるそれは、この世界線でもきっと存在しているはず。
そう考え、その「何か」を暗闇と記憶の中から必死に探す。
その時だった。
記憶の扉を開く鍵が闇の中でキラリと輝いたのは。
「っ!?」
それはまさに暗中の「閃き」だった。
そうだ。ジョウは「閃き」に気付き、シャールの居場所を知ったのだ。
そして俺は、闇の中の微かな光を頼りに一気に潜行した。
◎
「……あっ!?」
水魔法の力で意識を広げた水の中、パウロさんが浮上してくるのが分かった。その腕に人一人をしっかりと抱いて。
すぐに水を操り、パウロさん達の体を一気に押し上げる。
「ぶはぁっ!た、助かったっ!」
「パウロさんっ!シャールさんっ!!!よかった……っ!」
水面に顔を出したパウロさんは荒い呼吸を繰り返していたが、抱き抱えたシャールさんの顔が水に触れないよう必死に立泳ぎを続けていた。
シャールさんは……血の気のない顔でピクリとも動かない……
「早く岸に上がろうっ!すぐに処置して体を温めないとヤバいっ!シャールも、俺達も!」
そう言ってパウロさんはシャールさんを自分の胸に乗せるようにしながら、うっすらと見える地底湖の端へと背泳ぎで泳ぎ出す。
少しでもその時間が短縮出来るよう、ボクは水の流れを生み出して二人の後を追った。
「マジで助かったよ、ジョウ。シャールを見つけられたのはお前のお陰だ」
「えっ?い、いえ、ボクは……なにも……」
泳ぎながら、パウロさんが労いの言葉をかけてくれる。
でも……ボクはほとんど何も出来なかった。またパウロさんに余計な心配をさせてしまったくらいのものだ。
それが心苦しくて、つい視線を逸らしてしまう。
だけど、パウロさんは歯を見せて明るく笑ってくれた。
「ジョウ、シャールの首元を見てみろよ」
「首元……?あっ!」
パウロさんに言われ、シャールさんの首元を見て、そこでボクはようやく気がついた。そして知った。
この暗い地底湖の中、パウロさんがどうやってシャールさんを見つけ出したのかを。
「そうだ。これが、お前の想いが、シャールの居場所を俺に教えてくれたんだ。だからお前のお手柄だよ」
「……っ!」
パウロさんの言葉と笑顔に、思わず涙が出そうになる。
シャールさんの首元。そこには、わずかに差し込む陽の光を反射して、翼を模したペンダントがキラキラと輝いていた。
◎
湖岸に辿り着き、シャールを地面に寝かせてすぐ彼女の脈と呼吸を確認する。
その間に、なんの指示も出さない内に、ジョウは水魔法で俺達の体と衣服を濡らす水分を全て奪い取ってくれた。
「……くそっ!」
シャールを水底で見つけた時から薄々は気がついていた。元よりこうなる運命だとも知っていた。
だが、それでも悪態が口を衝く。
シャールの心臓と呼吸は……やはり停まっていた……
分かっていたとしても、突きつけられた現実は重い。
「……そんな……」
「大丈夫だっ!絶対に助かるっ!」
ショックのあまりかふらついたジョウに声を掛け、急いでシャールの胸甲を外しにかかる。そのタイミングで、地上の皆へ報告を済ませたディーネが戻ってきた。
「シャールッ!?」
「戻ってきたばかりのところ悪いっ!ディーネッ!なんとか上に通じる道を探して、皆を呼んできてくれるかっ!?」
「う、うん!分かった!探してみるっ!」
燃やせるような物が何も見当たらないこの場所では、暖を取るための火はアイシェかエミリーの魔法に頼らなければならない。
ここまで原作通りなら、ディーネはなんとか地上に続く道を見つけて皆を呼んできてくれるだろう。
そう考えてディーネに新たな指示を飛ばす。
と、そこでハッと我に返ったジョウが、声を張り上げてディーネの動きを止めた。
「待って!ディーネッ!」
「ど、どうしたのっ!?マスターッ!?」
「地上に通じる道を探す!少しだけ時間をちょうだいっ!」
そう言って、ジョウは合掌するように胸の前で両の手を打ち合わせる。すると、辺りは瞬く間に濃い霧で満たされていった。
元から薄暗いところに濃霧だ。一番近くにいるシャールの姿すらまともに視認出来なくなっている。
だが、今のジョウが意味もなくこんな事をするわけがない。
そう信じて、俺は手元の感覚を頼りに胸甲を外す作業に専念する。
ジョウの行動の意味に気づいたのは、繋ぎの革ベルトをどうにか外した瞬間、霧の中からジョウとディーネの声が重なって聞こえた瞬間だった。
『あったっ!』
その声とともに再びパンッ!と手を打つ音が響き渡り、辺りに満ちていた霧は潮が引くように消えていく。
そんな中、何処かへと飛んで行くディーネの後ろ姿が辛うじて見えた。
「ありがとう!マスター!すぐにみんなを呼んでくるからっ!」
「頼んだよっ!ディーネッ!」
ディーネを見送り、ジョウはすぐさまシャールのそばに、彼女を挟んで俺の対面に膝をつく。
古い記憶の中から心臓マッサージのマニュアルを掘り起こしつつ、俺は彼の行動を称賛した。
「この空間を水で満たして地形を把握したんだな。本当にすごいよ、ジョウ。どんどん成長していくな」
「い、いえ……ただ必死で……」
胸の上に両手を重ね、肘を曲げず垂直に力を加える。ペースは一分間に百回程度。
頭の片隅に残っていた記憶を頼りに心臓マッサージを始めつつ、不安そうな表情でシャールの顔を覗き込んでいるジョウを見る。
原作ではただアバウトな指示をディーネに出しただけで、こんな風に水魔法を活用する事はなかったはずだ。
そして、それはこの場に限った話ではなく、ジョウは自身の行動についてしっかりと思考するようになった。彼だけではなく、他の皆も。
その点については、やはり俺は間違っていなかったのだろう。
だけど、俺は自身の過ちを嘆く中で不意に気がついた事があった。
それは、『変える』事によって『変わらなくなる』ものもあるのだという事。
だから……俺はこの『願い』がジョウに届かないだろうと予想出来てしまっていた……
「ジョウ、一つ頼めるか?」
「は、はいっ!ボクに出来ることならっ!」
手を止めないまま告げると、ジョウは跳ねるように顔を上げる。
そんな彼に、俺はありったけの想いを込めて伝えた。
「……人工呼吸はお前に任せたい……出来るか?」
「……」
俺の言葉に、ジョウは一時停止ボタンを押したかのようにフリーズしてしまった。
ジョウのために。シャールのために。
そして何より、二人の事を心の底から大切に思う俺自身のための願い。
だが、それは案の定と言うべきか、『今』のジョウの許容限界を超える願いだったようだ。
「……っ!?っ!?」
「……そっか……そうだよなぁ……」
しばしの硬直の後、声にならない声を出しながら残像が見えそうな勢いで首を横に振るジョウの姿に、思わずため息が漏れる。
きっと「嫌だ!」というわけではないのだろう。ただシンプルに「ボクには出来ない!」と、彼はそう思っているのだ。
何故なら……今のジョウは『ハメ太郎』とは違い、キスの一つも未経験な純情少年のままなのだから……
恐らく……恐らくなのだが……人工呼吸なしでシャールを救う事は出来ない……
そして、このフラグを掴まねば、シャールの命の灯はここで消えるかもしれない……
これはそういう運命なのだ……




