目覚めの時
それは、ヴェイルでの騒動を解決した翌日、早朝の出来事だった。
「こんな早くから精が出るな、トッシュ」
「えっ?あっ!お、おはようございますっ!」
黙って立ち去るべきか少々悩んだものの結局声を掛けた俺に、素振りを中断したトッシュは慌てて頭を下げていた。
防風目的か目隠し目的か、建物と同じくらいの高さの木々が立ち並ぶ宿の裏手。
ここで彼は、夜も明けきらないこんな時間から一人で剣を振っていた。
俺がこんな早朝に目を覚ましたのは、誰かが部屋を出る気配に気がついたから。
なんとなく気になってベッドを確認すると、ジョウは静かに寝息を立てていたがトッシュのベッドはもぬけの殻だった。
トイレにでも行ったのかと一度枕に頭を戻したのだが、そこでふと気がついた。トッシュのベッドのそば、立て掛けていたはずの剣がない事に。
だから俺はベッドを抜け出してきたのだ。
「あっ!?も、もしかして起こしちゃいましたかっ!?す、すみませんっ!」
「あー、違う違う。便所に行きたくなって目が覚めただけだよ。んで、トッシュの姿と剣がないのに気づいてな。ちょっと様子見に来ただけ」
実際は彼の言う通りなのだが、再び腰を鋭角に曲げたトッシュに変な気を使わせないよう嘘をつく。そして、少し躊躇いながら首の後ろ辺りを掻いた。
「えーと……やっぱ昨日の事を気にしてんのか?」
トッシュがこんな朝早くから剣を振っていた理由。
真っ先に思いついたのはやはり、役に立てなかったとヘコんでいた昨日の姿だ。
ただ、そうだったとして俺は何を言うべきか?
それが分からず俺は少々迷ってしまっていた。結局は放っておけずにこうして声を掛けてしまったのだが。
しかし、まごつく俺とは対照的に、トッシュはケロリとした様子で答えた。
「あっ、いえ。素振りは最近の日課なんです。いつも朝はこうして剣を振ってるんすよ」
「へ?あ、ああ、そうだったのか……」
思いの外サッパリとした返事に肩透かしを食らい、ホッとするより力が抜ける。
言われてみればヴェイルに到着した日、ヴェイル手前の町の宿で朝目覚めた時も、彼は俺より早く起きていた。
両手で握った剣を立て、トッシュは鏡を見るように剣身を見つめる。
「落ち込んでる時だけ頑張ってるようじゃ、いつまでたってもジョウには追いつけないっすよ。サラもエミリーもドンドン強くなってますし、オレだけ置いていかれるわけにはいかないっすから」
そう言うトッシュの様子には、自分を卑下するような気配は全くなかった。
現状を正しく認識しながらも諦めずに努力する。そんな心構えがしっかりと出来ているのだろう。
ならばもう、彼の努力は報われてもいい頃だ。
その時が来た事を知り、俺は辺りを見回して落ちていた細い枯れ枝を手に取った。
「なぁ?トッシュ。これ、斬れるか?」
「えっ?は、はい……さすがにそれくらいなら……」
完全に水分が飛び、軽く力を入れるだけで折れそうな枝。子供の小指よりも細い、長さ一メートル程の枯れ枝。
それを見て、トッシュは戸惑った様子で頷いていた。
その返事に小さく笑いながら移動し、俺はトッシュの目前、彼と平行になるように枝を差し出してみせる。
「よし。じゃあ斬ってみろ。ただし、何となくで剣を振るな。集中して、スパッ!と斬る事を意識してやってみろ」
「は、はい……」
俺が何をしたいのか、何を伝えたいのか、いまいち分からないらしく、トッシュはまだ迷いながら両手で持った剣を上段に構える。
だが、一度目を閉じて軽く息を吐き、再び目を開けると、彼は迷いを捨てて俺が持つ枝と己が剣に向き合っていた。
そして……
「……ふっ!」
「っ!」
短い呼気と共に振り下ろされた刃は、僅かな音も立てずに枯れ枝を断ち斬る。
十分予想は出来ていたものの『俺』の常識では考えられないその結果に、やはり俺はつい驚いてしまっていた。
きっと彼はまるで気づいていないのだろう。今、自分がどれだけ凄い事を成し遂げているのかなんて。
「おおう……やっぱスゲーな……」
「え、えっと……これでいいですか……?」
ささくれ一つない枯れ枝の断面を眺めて感嘆していると、トッシュは恐る恐るといった様子で尋ねてくる。そんな彼に笑いかけ、俺は手に残った枝をポキリと折ってみせた。
「お前、これが普通だと思ってるみたいだけど、全然普通じゃないからな?この通り、メチャクチャ脆い枯れ枝なんだ。その剣では俺やシャールがやったって同じようにはならないよ。十中八九、斬る前に折れる」
「えっ?」
まだ意図が伝わっていないのだろう。神業を見せてくれたトッシュは俺の言葉にポカンとなっている。
シャールの持つ切れ味鋭い剣とあの剣速ならば、あるいは近い結果を出せるかもしれない。だが、恐らくここまで綺麗な断面にはならないだろう。
この結果は偏に、トッシュが持つ可能性によるものだ。彼はまだそれに気づいていないだけ。
もっとも、『気づいていないからこそ』この試みは成功したとも言えるが。
自分の考えが正しかった事を知り、満足して、俺はトッシュに枝の断面を見せた。
これから彼が進むべき道を照らすために。
「これがお前の力で、お前が目指すべき『最強』の姿だ」
「……最強の姿……?」
「俺はトッシュが皆より劣ってるなんて思ってないよ。むしろ皆の先頭に立って困難を切り拓いていくような、そんな『最強の剣士』になれると思ってる。いつか必ず、な」
「……」
ようやく昇った太陽の光が、放心したようなトッシュの顔を照らし出す。
長い夜が明けた。
◎
『憧憬の一撃』
トッシュが宿すこの力の肝は、『いかに自分を信じられるか』という部分にある。
出来ると信じられれば斬撃を爆発させる事も出来るし、剣から炎を出す事も出来るだろう。だけど、それは剣という武器が持つイメージとは大きくかけ離れたもの。
自身の力を余す事なくストレートに使いたいのなら、彼はこう信じるべきだ。
『自分はどんなものでも斬れる』と。
この力は本来努力を必要としない力であり、根拠のないものでも自分に自信さえ持てれば十分に力を発揮する。
だが、寄る辺を持たない自信程脆いものはない。
だから俺は待っていた。トッシュが確かな努力を積み上げ、一度や二度の失敗や挫折で砕けない心を宿す時を。
とは言え、トッシュはようやく羽化の兆しを見せたばかりだ。この世界には剣で石や金属を斬ってしまえるような連中が普通にいるが、彼はまだ自分が同じ事を出来ると信じられる段階にはないだろう。
だからこれから少しずつ自信をつけていってもらうつもりだったのだが……
「……アダマスは石や鉄みたいに生易しいもんじゃないぞ……?」
「分かってます……!」
半ば脅すように告げるが、トッシュの視線はぶれなかった。ジョウ達は驚いた様子でとんでもない事を言い出したトッシュを見ている。
全員が息を呑む中、トッシュは震える自分の手の平に視線を移した。
「……お前はいつか最強の剣士になれる……オレ、パウロさんにそう言ってもらえてメチャクチャ嬉しかったんです。でも、その言葉に甘えちゃいけないとも思ったんです……」
そう言ってトッシュは拳をグッと握り込む。
そして顔を上げた彼は、真っ直ぐに射貫くような瞳を俺に向けて言い放った。
「こんな時にこそ前に踏み出す勇気が持てなきゃ、きっと『いつか』なんて日は一生来ない……だから……俺にやらせてくださいっ!!!」
「……っ!」
少年のその言葉に、思わず体が震える。
大事な仲間達に追いつき、隣を歩き、いざという時には皆の先頭に立って艱難辛苦を断ち斬る剣となる。
そんな覚悟が、トッシュの瞳の奥に見えた。
そしてその覚悟は、過ちばかりだと嘆いていた俺の弱い心さえも斬ってくれた。
これまでに俺がやってきた事は決して間違いだけではなかったのだと、トッシュはその姿で俺に教えてくれたのだ。
「……ははっ……言ってくれるじゃないか……!」
擦りきれかけていた心と体に、再び熱が戻ってくるのが分かる。トッシュの熱が俺を、そして皆を奮い立たせているのがはっきりと。
そして俺は、泣きそうになるのを堪えてトッシュに笑みを見せた。
「お前に託す!思いっきりやってみろっ!!!」
「はいっ!!!」
ダメだったその時は?
今はそんな事考えない。
俺が今考えるべき事は、彼がその剣を振り下ろす先への道をどう拓くか。
ただそれだけだ。
◎
「始めるタイミングはそっちに任せる。失敗したってこれで終わりじゃないんだ。あまり気負うなよ、トッシュ、サラ。ダメだったら皆でワーワー言いながら逃げようぜ」
手早く段取りをまとめてから、パウロさんはそう明るく笑いながらノソリと起き上がったアダマスの方へと駆けていった。
きっとその言葉は、オレ達に余計な重しを乗せないための言葉なのだろう。あの人はどんな時でも自分のことよりオレ達のことを考えてくれている人だから……
「お兄に稽古つけて貰ってるんだから、不様な姿見せんじゃないわよ。しっかりやんなさい、トッシュ」
アイシェさんはオレにそう発破を掛けてパウロさんの後を追っていった。
エミリーとディーネはこのままここに残り、まだ意識の戻らないシャールさんの護衛。
ジョウはパウロさんと一緒にアダマスの注意を引く役割だが、オレとサラの気持ちの準備が整うまで一緒にいてやれとパウロさんに言われ、まだこの場に留まっている。
だけど、心の準備が整ってなかったのはどうやらオレだけだったらしい。
「じゃ、始めるからね」
「早ぇよっ!!!」
あっけらかんとした様子で所定の位置へと歩き出したサラに、オレは思わず声を荒らげてしまう。
コイツはコイツで重要な役目を任されているはずなんだけど……
オレの叫びに、振り返ったサラは腰に手を当てながら不満顔を見せていた。
「なによ?」
「い、いや……お前、どんな神経してんだよ……?」
「パウロさんに頼まれちゃったんだもん。だったらあたしは、相手が神様だろうと蹴っ飛ばすだけよ」
そう言ってサラは胸を張って鼻を鳴らすと、俺に向かってニッと笑った。パウロさんには見せることのない、男のような笑い方で。
「それに、アンタがやる時はやるヤツだってことくらい、あたし達は知ってるんだから。ね?エミリー」
「そうそう。普段は頼りないくせに、いざって時にはトッシュが一番度胸があったもんね、昔っから」
「……お前ら……」
サラの言葉に応じ、エミリーもいたずらっぽい笑顔を浮かべる。
幼馴染二人からの思わぬ激励に妙な気恥ずかしさを覚え、オレの手の震えは少し和らいでいた。
そんなオレ達のやり取りに、ジョウはクスクスと小さな笑い声をこぼす。
「ボクは二人ほどトッシュと付き合いが長くないけど、これだけは分かるよ。トッシュはボクなんかよりもずっとずっと努力家だ。だから、絶対に上手くいくよ!」
「……ジョウ……」
オレより年下なのに、オレのずっと前を行く友達。
『最高の友達』だとは胸を張って言えるが、今のオレの実力では『最高の仲間』だとは恥ずかしくて言えない。
そんな風にすら思っていた友達からの言葉に、思わず目の奥が熱くなる。
それを隠すためにも、オレはまだ意識の戻らないシャールさんの方へと視線を落とした。
オレは……シャールさんに憧れていました。
シャールさんのような、華麗な剣技を振るう剣士にいつかなりたいと……
だけどファイエルさんに鍛えられ、パウロさんに教えられて、ようやく気づくことが出来ました。
それはオレが征くべき道ではないのだと。
華麗じゃなくていい。泥臭く、格好悪くてもいい。みんなに尻を蹴っ飛ばされてでも、みんなの前をふさぐ壁を斬り崩す。
それが、不器用なオレが目指すべき『最強』の姿だ。
「覚悟は決まった?」
「……おうっ!!!」
微笑むサラ達に応え、強く拳を握る。
手の震えはいつしか完全に止まっていた。




