物語に落ちた影
夜が更けてもヴェイルの街は賑わいでいるようだった。
宿の外から聞こえてくる喧騒に呆れ笑いを浮かべつつ、俺は廊下側から部屋の扉を閉める。と、同時に隣の部屋の扉が開いた。そちらから出てきたのはシャールだ。
「お疲れ。皆、なんだかんだ疲れてたんだな」
「そうですね。サラとエミリーもすぐに寝てしまいました」
軽く片手を上げて声を掛けると、シャールは小さく笑っていた。
真っ暗になってもお祭り騒ぎは終わりそうもなかったが、まず最初にジョウが限界を迎えた。
やはり一番消耗していたのだろう。プツリと糸が切れたように眠ってしまっていた。
それに合わせるようにディーネも寝てしまい、アイシェが酔い潰れ、トッシュとサラとエミリーもフラフラし始めた辺りで、俺達はお暇する事にしたのだ。
抱えて帰ったジョウをベッドに寝かせると、自分のベッドに倒れ込んだトッシュも速攻で寝息を立てていた。シャールの方も同じような状態だったのだろう。
皆、今夜はゆっくりと休んで欲しい。
部屋の扉を静かに閉めると、シャールは腰の辺りで手を重ねて少し申し訳なさそうな顔をこちらに見せた。
「貴方が一番疲れているでしょうから、今日は早めに休んでくださいね」
「おう、ありがと。でも心配いらないよ。この体なら、あと二、三日寝なくても余裕余裕」
彼女の労いの言葉に胸を張ったのは虚勢ではない。本当にまだまだ起きていられるくらい力が有り余っていたのだ。
そして、俺はもっと悲惨な修羅場を体験した事もある。
二日徹夜で仕事とかはマジでキツかったなー……
そんな過去を思い返して一人苦笑し、そうして俺は改めてシャールと向き合った。
「それより、シャールの方こそ大丈夫そうなら、少し付き合ってもらえないか?」
「え、ええ、私は構いませんが……どうかしましたか?」
「……うん、シャールにはどうしても話しておかないといけない事があってな……」
言いにくいが、彼女にまで黙っているわけにはいかない。
そう覚悟を決め、俺はシャールの瞳を正面から見据えた。
今日、俺が知ったその全てを彼女に伝えるために。
「……実はな、今日俺が単独行動した時、俺は会ってたんだよ……ジョウを狙うヤツに……もう一人の物語の改編者に……」
「…………え……?」
俺の言葉にシャールは表情を強張らせる。
外の賑わいがやけに遠くのものに聞こえたような気がした。
◎
「……」
男がフードを外してその顔を晒した瞬間に俺が固まってしまったのは、その顔があまりにも『彼』にそっくりだったからだ。
黒い瞳にサラサラとした黒い髪。整ってはいるが、特徴がないのが特徴とも言うべきその容姿。
そう、目の前の男の素顔は、驚く程ジョウによく似ていたのだ。兄弟というより、数年後のジョウの姿と言ってもいいくらいに……
だが、俺は即座に意識を現実に引き戻す事が出来ていた。
「違う、コイツはジョウではない」と。
何故ならば……目前に立つ男の目は、淀んだ水溜まりの如く濁りきっていたから。
ジョウがこんな目をするなど、断じて有り得ない。
一度大きく息を吐き、仕切り直して男と相対する。
「……顔見せてくれたんだから、まずは俺からだな……俺はパウロ=D=アレクサ……じゃないって事は分かってんだろ?」
「ああ、知っている。この世界には、パウロ=D=アレクサは存在しないはずだからな」
「やっぱ知って…………えっ……?」
まずは軽いジャブを。
そんな気持ちで発した俺の言葉にカウンターで返ってきたのは、抑揚のない重い一撃。いや、二撃だった。
予想だにしていなかった衝撃に、俺は頭を抱えながら空いた片手の平を男に見せる。
「……ち、ちょっと待て……パウロが存在しないって……それに、この世界『には』ってどういう意味だ……?」
想像すら出来なかった事態の連続に、目眩がしてくる。正直言えば「ちょっと」どころか、数分程インターバルが欲しい……
だが、男は俺のささやかな願いなど歯牙にも掛けず、淡々と言葉を返してきた。
「言葉通りの意味だ。この世界はパウロ=D=アレクサのいた他の世界とは違い、パウロ=D=アレクサが存在しないという前提によって新たに派生した世界のはずだ」
「……」
意味の分からない話を感情の起伏なく語られるというのは、何と気持ちの悪いものだろうか……
知らぬ間に喉元を流れた汗はゾッとする程に冷たかった。
そんなこちらの動揺などお構い無しに、男は機械的に言葉を重ねてくる。
「改めて問おう。貴様は何者だ?何故パウロ=D=アレクサとして行動している?」
「……なんで俺がパウロになってるのかなんて、そんなの俺が聞きてぇくらいだよ……パウロ役をやってるのは、元々はただの成り行きだ。今はもう、ちょっと違うけどな」
答えながら、視界を保護するために片手で額の汗を拭いつつ髪をかき上げる。いきなり襲ってくるという事はないと思うが、気を抜くわけにはいかない。
そして、今度はこちらから質問を投げた。
「それより、もう一度聞くが『パウロが存在しない世界』ってのはどういう事だよ?パウロがいなけりゃ、この物語は成り立たないだろうが?」
これは、この物語を知る者ならば誰にでも思いつく疑問だろう。
俺がパウロになる事で大きく流れをねじ曲げてしまったが、それでもこの物語は原作と同じく『パウロ=D=アレクサ』と『ジョウ=マクスウェル』が接触する事で始まったものだ。
さらに言えば、パウロが存在しなければ《輝く翼》が誕生する事もなく、ジョウがこのパーティーに入る事もない。
つまり、パウロの存在なくしてこの物語は成立し得ない。
それくらい分かるだろう?お前もこの物語を読んでいたなら。
そんな気持ちを込めた問い掛けだったのだが……
男の反応は予想外のものだった。
「……どういう事だ?」
「……は?」
本気で意味が理解出来ない。
言葉でも態度でもそう語る男の姿に、思わず呆然となってしまう。
一瞬「ただのアホなのか?」という疑念も過ったが、そこで俺はハッとなった。
そもそも前提から間違っていたのではないか、と。
目の前の男は最初から、機械的というかAI的というか、とにかく人間性を感じさせないのだ。
そう作られたキャラであるかのように。
そこに考えが至ったところで、一度肺の中の空気を絞り出す。
そして大きく息を吸い、俺は男にありのままの事実を伝えた。
「……最初から説明し直すべきだな。俺はこの物語を……文字と絵で描き綴られたこの世界を見ていた『外側の世界の人間』だ。言わば、この世界の創造主に近い存在だな」
「……っ!?」
「……お前は……違うんだな?」
そこでようやく僅かに変わった男の表情を見て、俺は勝手に悟る。コイツは俺と同じ世界の存在ではないのだと。
だが、だとしたらコイツは一体何者なのか?
俺と同様に、明らかに外側からこの物語を見ていたかのような物言いをし、原作本来の流れも知っている。
そんなキャラはこの物語に存在していなかったし、そもそも存在する道理もない。
しかし、男は俺の問いに答える事なく、微かにため息を漏らして天を仰いだ。
「……そうか、そういう事か……まさか世界を動かすために必要な歯車をこのような形で補うとは……いや、『理外の力』に抗えた時点で気づくべきだったか……」
「理外の力って……あの、魔獣を黒く変色させた力か?」
男の発言の中に気になる部分は山程ある。
が、まず真っ先に気になったのは、ジョウ達の安否に関わるこの部分だ。
尋ねると、男は素直に顎を引いた。
「そうだ。この世界の理を改竄する力……『チート』とも言う力だ」
「……いや、おま……それは主人公側の……あー、いや、違うな……」
唐突に、あまりにも唐突に飛び出した俗っぽい単語に目眩がする。
ゲームやラノベに詳しい者には聞き慣れた、見慣れた単語なのだろうが、こんな状況下で耳にするとかなり脳に響いた。
が、『チート』の本来の意味は『不正』や『ズル』といったものだ。だとすれば、コイツがその言葉を使うのはむしろ正しい。
知らぬ間に俺も随分と毒されていたんだろうな……
そんな事を考え、ふらついていると、男は静かに半身を翻した。
「理の外から来た者よ、貴様はすでに役目を終えている。早々に在るべき世界へと帰るがいい」
「お、おいっ!?ちょっと待て!話はまだ終わってねぇだろうがっ!?」
その動きから、男は勝手に話を終えて去ろうとしている事に気づき、慌てて距離を詰める。こうなったら警戒して間合いを取っている場合ではない。
しかし、男の肩を掴もうとした俺の手は、あえなくヤツの体をすり抜けていた。
ギョッとしながらたたらを踏み、隣に並ぶと、男は闇のような黒い瞳を俺に向けた。
「無駄だ。私はこの世界に落ちた影のような存在。何人たりとも私に干渉する事は出来ない」
「……何なんだよ……お前、マジで……」
意図せずして足が一歩後ろに下がる。
そんな俺を見ても、男の表情には一切変化がなかった。まるで路傍の石でも見るかの如く。
そして、男の姿は木々の影に溶けるように徐々に薄れはじめていた。
「……帰れったって、そんな方法あんのかよ……?」
悔しいが、触れもしないのだから引き止める術もない。だからせめてギリギリまで情報を引き出す道を選ぶ。
と、男は俺の問い掛けに対し、事も無げに答えた。
「簡単な事だ。その役目を放棄すればいい。つまり……パウロ=D=アレクサとして死ねばいい」
「なっ!?」
パウロとしての死。
それは、元の世界に戻る可能性として考えていなかったものではない。が、当たり前だが試すわけにもいかなかった手段だ。
恐らくだが……ヤツの言葉に嘘はない。
とは言え、「はいそうですか」と受け入れる事など到底出来ようはずもなく……
それを理解してか、男はさらに言葉を重ねる。
「それが出来ないのであれば、時が来るまでおとなしくしている事だ。パウロ=D=アレクサという存在が、完全に役目を終えるその時を」
「パウロの役目が終わる時って……」
「貴様なら分かるのだろう?その時が来れば、貴様はこの世界から解放されるはずだ」
すでに男の姿はほぼ消え、森の中にその声だけが響く。
こちらが知りたい事はほとんどが分からないままだが、それを問い質す時間はもうないのだろう。
だから俺は、最後に怒りを含めた短い言葉を闇の奥に投げた。
「せめて名前ぐらい名乗っていきやがれ!」
「……名前、か……そうだな……」
少しだけ逡巡するような声。
そしてヤツは、この言葉を残して完全に気配を消した。
「……『ニヒト』……そう名乗るとしよう……」




