積み重ねた一撃
「おっ……らぁっ!!!」
不安定な空中で高々度から落下してきた物体をまともに受け止められるわけもない。
そんな事は百も承知であるため、俺は黒い影の一撃を止めると同時にオーバーヘッドキック気味の蹴りを放っていた。
軌道を逸らすための被せるようなパウロの蹴りを食らい、黒い影は猛烈な勢いのままジョウの背後、石がゴロゴロした川原に落ちる。
ドゴンッ!という爆発音のような轟音に、戦闘中の冒険者達まで振り返っていた。
「パウロさんっ!?」
「な、なにっ!?今のっ!?」
体勢を整えて着地すると、背後からジョウとディーネの焦った声が届く。
が、その質問に答える前に、俺は振り返らないままでわずかに動きを乱した黒い水の龍を指差した。
「はい!二人は鉄砲水に集中!コントロールが疎かになってるぞ?」
「あっ!は、はいっ!すみません!」
瞬時に意識を正面に引き戻したか、濁流はまた滑らかに流れはじめる。
それに満足してから、俺はジョウ達の問いに返答した。
「多分、以前出くわしたあの黒いゴブリンのお仲間だな。でもまぁ、お前らは心配すんな。最初に言ったろ?二人を守るのは俺の……俺達の仕事だ」
ジョウとディーネに、そしてこちらに駆け下りてきたシャールに笑いながら伝える。
と、かなり下流の方まで吹っ飛んでいた黒い影は、何事もなかったかのように再び空に舞い上がった。漆黒の翼を広げて。
「あれは……ガーゴイルッ!」
「あー、あれだ。昨日見かけたヤツ。あれがガーゴイルか」
剣に手を掛けて上空を睨むシャールの隣で、俺はサンバイザー代わりに手を額に当ててホバリングする魔獣の姿を眺める。
ガーゴイル。
確か、冒険者ギルド基準ではBランクに位置付けられている魔獣だ。
石の魔獣というわけではなく、見た目は翼と角が生えたゴブリンといった風貌で、その力もゴブリンとそう変わらないらしい。
それが何故Dランク設定のゴブリンと違ってBランクに位置付けられているのかというと、それは偏にその飛行能力故だ。慣れていないとAランク冒険者ですら苦戦する事があるという。
高速で立体的な動きをする黒化ゴブリン。
そう考えると、あの黒いゴブリンの強さを知っている者は背筋が凍るような恐ろしさを感じるだろう。
だが……俺は自分でも驚く程に落ち着いていた。
ほんの一瞬の交錯だったのだが、槍を合わせたあの刹那に何故か感じていたのだ。
「あれ?コイツ、そんなに強くなくね?」と。
「……水の勢いが弱まるまで、なんとか凌ぎましょう。ここには水が大量にありますから、ジョウくんさえ自由になればどうにかなるはずです」
ジョウの背中を守るように立ち、シャールは上空のガーゴイルを見据えて腰を落とす。
そんな彼女の隣でしばし思案し、それから俺は一歩踏み出した。
「なぁ?シャール?ガーゴイルの相手、俺に任せてもらってもいいかな?」
「……えっ!?」
予想だにしない事態だったのだろう。
驚きの声を上げるシャールに、俺は軽く笑いながらヒラヒラと手を振った。
「約束するよ、絶対に無理はしない。ヤバそうだったらすぐに「助けてっ!」って言うからさ、その時はよろしく」
「で、でも!いくらなんでも一人ではっ!」
「アイツが俺を無視してジョウを狙うかもしれない。黒化魔獣があの一体だけとは限らない。だから、シャールはそこでジョウを守っててくれ」
「待っ……!」
「大丈夫ですよ、シャールさん」
ガーゴイルから視線を切らずに歩を進める。
そんな俺を引き止めようとするシャールを制してくれたのは、ジョウの声だった。
「パウロさんは無責任なことを言わないし、ちゃんと人に頼ることも出来る人です。だから、パウロさんなら絶対に大丈夫です」
「ジョウくん……」
「ははっ!」
きっと、ジョウはこちらに顔を向けていない。
だから、俺も振り向きはしない。
何よりも心強い声援を背に受け、俺は握った拳を高く掲げた。
「おう!こっちは任せろ!そっちは任せたぞ!ジョウ!」
「はいっ!」
そんなやり取りで、シャールはもう何も言わなかった。もしかしたら、何も言えなくなっていたのかもしれないが。
そして俺はガーゴイルとの距離を詰めながら、土手の上でこちらを見る皆にも声を掛ける。
「ガーゴイルがそっちに行くかもしれないから、皆はちょっと下がっててくれ!アイシェとエミリーは引き続き上空注意な!ガーゴイルはまだ結構いたから!」
皆に注意を促しながらさらに歩を進め、足場の具合を確かめる。
そうしてから俺は槍を構えて腰を落とし、目と気配で上空のガーゴイルに喧嘩を売った。
さぁ、戦ろうか?
俺がいる限り、ジョウに手出し出来るなんて思うなよ?
「……神鷹天槍流が槍士、パウロ=D=アレクサ。いざ、推して参る…………なんつってな……」
誰にも聞こえないようにそんな口上を呟く自分自身に、つい笑ってしまう。
肩の力は自然と抜けていた。
人生で一度くらい、こんな台詞を吐いてみたかったんだよね。
◎
旋風のように飛び回り、攻撃を仕掛けてくる黒いガーゴイル。
それをどこか楽しそうに避け、受け流すパウロ。
土手の上、戦いを見守るヴェイルの冒険者達は驚嘆のざわめきを漏らしていた。
この戦いを細部まで見極められている者は、果たしてどれくらいいるのだろうか?
ガーゴイルの動きは確かに速いが、血装を発動させたジョウくんと比べると若干見劣りする。そして、切り返しこそ速いものの、その動きは直線的なものだ。
今の彼なら捌くのは難しくないだろう。
だが、致命の一撃を打ち込むとなると話は別だ。
ガーゴイルのあの動きに溜めが必要な攻撃を合わせるのは、私だって簡単な事ではない。
やはりどこかで一瞬でもガーゴイルの動きを止める一手が必要になる。
そう感じて剣の柄を握る手に力を込めると、その気配を察したのかジョウくんが声を掛けてきた。
「大丈夫です、シャールさん。あんなヤツ、パウロさんなら一人で倒しちゃいますよ」
「ジョウくん……」
「うー……心配だけど……そうだよね!マスター!ダーリンならあんなヤツ、軽く倒しちゃうよね!がんばれーっ!ダーリンッ!」
振り向くと、ジョウくんはこちらを向いていなかった。ディーネは戦う『あの人』の方を見て必死に声援を送っていたが。
そんな二人の姿に、剣に掛けていた手の力が緩む。
ジョウくんは誰よりも『あの人』を信頼しているのだろう。そして『あの人』もまた、同じく。
二人がそんな関係になれるのは同じ男性同士だからか。それとも、他の理由があるのか。
羨ましい。
こんな状況だというのにそう感じる自分に、少しだけ嫌気が差した。
◎
「……ふむ……」
縦横無尽に迫るガーゴイルの爪撃を捌きつつ、場違いな程のんびりと考える。
もう断言してしまってもいいだろう。
「余裕で勝てる」と。
だから、今俺が考えているのは『被害を最小限に留める勝ち方』なのだ。
「……よし!」
決着までの筋道を決め、俺の体を引き裂かんと振り下ろされたガーゴイルの手を、手首を右手で掴み止める。
そして、力比べをする事なく、自身を軸として回転する事でその体を真横に投げ飛ばした。
ヤツから見て、俺とシャールが一直線に並ぶ。そんな方向に。
「さぁ……集中!」
体勢を整える僅かな余裕を確保して、基本の構えより足を開き、腰を落とす。
イメージは足で大地を掴むように。肩の力を抜いて右手握りは弛く、左手は槍に添える程度で。
そんな教え通りの型から、俺は改めて突進してきたガーゴイルに突きを放った。
「はっ!?」
驚く男の声が聞こえたのは、彼の目にはガーゴイルが俺の目前で突然ビタリッ!と静止したように見えたからではないだろうか。
案の定ダメージは通らなかったが、俺が放った四度の突きはヤツの突進力を完全に殺していた。
四ノ型・四爪。
神鷹天槍流最速の四連突き。
基本は相手の両肩、両大腿部を狙って突き、相手の動きを封じる事に重きを置いた技である。
俺の技はまだまだだが、師匠の放つ四爪は突く音が一つにしか聞こえない程だった。
そしてそこから、持ち手を変えながら槍を回し、左手でアッパーカットを打つように石突きでガーゴイルの顎をカチ上げる。
その流れで、俺は槍を担ぐように構えた。
二ノ型・兎狩。
両の手をそれぞれ支点、力点とする事により作用点を一気に加速させて斬り落とす、上段打ち下ろし。
ここに全霊の力を込めれば、コイツの体を両断するくらい容易いものだろう。しかし、それでは駄目だ。
出鱈目に槍を振り下ろした以前の一撃ですら地面に大きな傷痕を残した。技を身に付けた今、同じ事をしたら一体どんな結果になるか……
ジョウ達がいる前で同じ間違いを繰り返すのは、流石に示しがつかない。
そんな事前の判断から俺はわざと力を抜き、振り下ろす槍先をガーゴイルの肩に押し付けるようにしてその体を地面に叩きつけた。
そしてその反動を利用し、棒高跳びの選手がするように地に伏したガーゴイルの真上へと跳ぶ。
三ノ型・嘴廻。
蹴り出した後ろ足を前に出しながら、腰を、肩を、全身の可動部をフル活用して放つ片手捻り突き。
神鷹天槍流で最大の射程と貫通力を持つ技。
だがこの技は、相手の体勢が崩れ、こちらの体勢が整っている特定条件下でしか使えない、言わばダメ押しの技だ。
だから俺は考えた。好条件ばかりではない実戦の場で、この技をもっと有効に使う方法を。
「ふんっ!」
本来初動の支えにしか使用しない左手で、引いた槍の柄を掴んでありったけの力を込める。
槍を絞るように、無理矢理押し縮めるように。
そうして俺は空中という不安定な場所で圧縮した上半身の力を一気に解放し、直下のガーゴイルへ詰みの一撃として打ち放った。
これが俺の考えた三ノ型・改……
「嘴廻……剛穿!!!」
ズンッ!という腹に響く音が辺りに響き渡り、闘気を、身に付けた技術を、今の俺が持つ全てを込めた一撃は黒化ガーゴイルの硬い体を易々と貫いて地面までも穿つ。
ここは本来川底になる場所だ。どれだけ深い穴だろうと然程問題にはならないだろう。
……地底の王国でもなければ、だが……
……ないよね……?
そんな事を考えると、ついつい場違いな苦笑が漏れる。
強くなった。強くなれた。
自身でそう確信するに足る、そんな会心の一撃だった。




