実戦訓練、時々、縞パン
最後に全力で走ったのっていつ頃だったっけ?
確か……高校生の頃。それも一年生だった頃かな?
社会人になってからは趣味でスポーツでもしていないと、本当に走らなくなる。仕事で急いでる時だってせいぜい駆け足程度だ。
だからこれは……
「うおわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
実に二十五年ぶりの、いや、ある意味人生初の全力疾走だった。
俺は今、深い森の中をシャレ抜きの命懸けで逃げている。
「パウロッ!いくらその体でも、逃げてばかりではいずれ追いつかれますよっ!」
現実逃避か走馬灯か、昔の事を思い返しながら走る俺の耳に背後からシャールの声が届く。
彼女は早々に高い木の枝に飛び乗り、木々を渡りながら俺を追ってきているはずだ。が、今もそうなのかは分からない。
何故なら、とてもじゃないが振り返る余裕がないからだ!
背後から聞こえてくるのはシャールの声だけではない。
振動すら感じる程に重い四足動物の足音と、内臓に響く唸り声がすぐ近くから聞こえてくる。
その正体は、ワイルドウルフという名の魔獣。ワンボックスカーよりデカい、犬型の魔獣だ。
いやっ!ワイルドの冠いらんやろっ!?どう見たって野生だわっ!
心の中でツッコむ俺の背中に、再びシャールの声が届く。
「パウロの体なら簡単には死なないはずですっ!落ち着いて相手の動きをよく見てくださいっ!」
「そんな余裕あるかぁぁぁぁぁっ!?それにっ!簡単に死なないって!死ぬ時は地獄見るって事じゃねぇかぁぁぁぁっ!!!」
やっぱあの子っ!天才ですわっ!!!
振り向かないまま思わず叫んでしまうと、背後の気配はさらに距離を詰めてきていた。
さて、何故こんな事態になっているのか?
話は一時間程遡る。
◎
「魔獣と戦いたい、ですか?」
ちょっと人目が気になり出したため、街の外で待ち合わせてからのいつもの稽古。
一区切りついた所で切り出した俺の話に、シャールはちょっと驚きながら首を捻っていた。
ただ、俺の言い方と彼女の受け取り方とでは、少々ニュアンスに食い違いがあったんだけどね。
苦笑しつつ、俺は手を振る。
「好き好んで戦いたい、ってわけじゃないんだよ。だけど、実戦にも少しは慣れておかないといけない理由があってさ」
「と言うと……貴方の知っている『未来』の話ですか?」
彼女もすっかり慣れてきたものだ。
細かい説明が省ける事に感謝しながら、今日は用意してきた『パウロ』の愛槍と訓練用の模擬槍とを持ち変える。
「ファイエルとアイシェが戻ってきたって事は、そろそろちょっとした魔獣の襲撃が起きるはずなんだ。その時には流石にパウロも戦わないと不自然だからね。周りの目もあるわけで」
「……そんな風に余裕があるという事は、それ程大規模なものではない、と?」
「ははっ、本当に話が早い。まぁ一応はそれなりに規模の大きな戦いなんだけど、これはジョウがスゲー活躍して大勝利に終わる戦いだからね。俺達は万が一が起きないよう、ジョウをさりげなくサポートしてたら大丈夫だよ」
もうすっかり俺を信用してくれているのだろう。
そう伝えると、シャールは安心した風に胸を撫で下ろしていた。
原作『ボク耳』におけるシャールは、確かに『切れ者キャラ』という設定ではあった。が、それはあくまで作者基準の切れ者だ。
実際は作者の都合でよくヘマをしてはジョウに助けられ、読者の皆様から「ちょっと考えたら分かるやろ?」とか「切れ者とは……(困惑)」とか、度々ツッコまれていたものだ。
しかし、今こうして向かい合っているシャールは本当に頭の回転が早く、俺もちょいちょい助けられているくらいである。
よく気が利くし、この子を嫁さんに出来るヤツは幸せモンだろうね。頑張れよー、ジョウ。
そんな事を考えながら見るシャールは穏やかに微笑んでいた。
……ま、それからちょっと後に、俺は「馬鹿と天才は紙一重」という言葉の意味を痛烈に体感する事になるのだが……
◎
そんなやり取りの後、俺がシャールに連れられてやってきたのは、レクシオンの東にある森だった。
そう、あれだ……『危険な魔獣が徘徊する森』だ……
いや、そりゃね?ちょっとだけ「あるぇー?」とは思いましたよ?
だけど全部が全部『危険な魔獣』ってわけでもないでしょ?
だからきっとCランク相当の魔獣とか、せいぜいBランクの魔獣とかを紹介してくれると思ってたわけですよ。
が……彼女が見つけ、石を投げつけたのは、あの馬鹿デカい狼だった……
「小さめの個体ですからAランク相当です!貴方なら大丈夫ですよ!」
そう言ってシャールは木の上に飛び上がったのだが……
もうねっ!本当にねっ!この子やっぱりアホなんじゃないかとっ!?
そりゃ『パウロ』ならこのくらい余裕で倒せるのかもしれんよっ!?
けど中身、『ただのオッサン』だって何度も言ってんじゃんっ!?
まさか、この前の『お姫様抱っこ事件』を根に持って俺をここで亡き者にしようとしてんのっ!?
そんなこんなで……この地獄の鬼ごっこはスタートしたのだ。
「さ、最初はさぁぁぁっ!ゴブリンとかじゃないのっ!?それか……ゴブリンとかっ!!!」
「そんなのいくら相手にしても訓練になりません!しっかりしてください!」
走りながら抗議の声を上げると、鬼教官からお叱りの言葉が返ってくる。
だが、続いて飛んできたのはアドバイスの言葉だった。
「その相手は私より速いですか!?私なら、とっくに貴方の前に先回りしてますよ!」
「そ、それは……!」
言われてみれば確かにそうだ。
シャールはいつも、スキルを使わずともコマ落ち映像のような動きで俺の間合いを潰してくる。
持久力は俺やワイルドウルフの方が上かもしれないが、瞬発力なら圧倒的にシャールの方が速いのだろう。
ならばイケるかもしれない。
相変わらず稽古では負けっぱなしだが、あの超速度に少しずつ反応出来るようになってはいるのだから。
「……やったらぁっ!!!」
覚悟を決め、地面に突き立てた槍を軸にして一気に体勢を反転させる。
と、その瞬間に俺が見たのは、顔を横にして大きく口を開けたワイルドウルフの綺麗な歯並びだった。
あ、アカン。死んだわ、これ。
歯の一本一本が人参くらいの太さがありやがる。
ワイルドウルフの背後、樹上にいるシャールの強張った表情もよく見えていた。
あと、フワリと舞ったスカートのその奥も……
白と水色の縞パンかー。なんか意外っちゃ意外だなー。
……って!これだけアレコレ考えられる余裕あるなら避けられるわっ!
恐らく、振り返ってからここまでコンマゼロ数秒の出来事だ。極限の集中状態になっていたのだろう。
踏ん張るのを止め、慣性を味方に後方へ飛ぶと、ギリギリの所で大顎がガチンッ!と空を噛む。
それを確認してから、俺は槍を体に固定するようにして、着地と同時に全力で地面を蹴ったのだった。
◎
「大丈夫ですか?パウロ?」
「……シャールさん……アンタ、鬼っすわ……」
地面に大の字になり、荒くなった呼吸を必死に整えていると、シャールが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
その手に持っている魔石は、今俺が倒したワイルドウルフのものだろう。
俺からの苦情に、シャールは安堵と呆れが半々といった感じのため息を漏らす。
「貴方の実力は、いつも相手をしている私が一番分かってますよ。今の貴方ならあの程度の相手に遅れを取る事はありません。足りないのは実戦経験と覚悟だけです」
「ぐぬぬ……」
鬼教官の手厳しい意見に唸りながら、上半身を起こす。
そして、差し出されたシャールの右手を借り、槍を杖代わりに立ち上がった。
「悔しいけど、ド正論だな。あまり慣れたくはないんだけど……」
まだ震える自らの手を見つめていると、シャールが背中の汚れを払ってくれた。どうもありがとね。
アレコレ考えられる程に思考が加速し、冷静に判断出来ていたつもりではあったが、実際はかなり興奮していたのだろうと思う。
反転攻勢に出た俺が狙ったのはワイルドウルフの眉間だった。
本当に冷静になった今なら分かる。あれは悪手だ。
パウロの力と槍の鋭さに救われたが、あんな大型動物の骨である。普通なら硬い頭骨に槍先が弾かれ、滑り、致命傷にはならなかった可能性が高い。
まぁ、倒したら魔石を残して霧散する生物?になんで骨格や内臓があるのかは謎なんだけどね。多分それは作者に聞いても答えが分からない謎だ。
震えを無理矢理止めるために強く拳を握り込む。
「まぁ、確かにシャールの言う通り、場数をこなすしかないか……」
「ええ、その通りです。いざとなったら助けに入りますし、快復薬もありますから、安心してください」
「……怪我するのは織り込み済みかー……こりゃ、本格的にそろそろ防具も構えないとなー……」
痛いのはヤなんだけど……と項垂れると、シャールはキョトンとした顔で小首を傾げた。
「紅蓮の鎧があるじゃないですか。あれは売っていないんですよね?」
「いやー、あのゴテゴテした全身鎧で動き回れる自信ないよ。それに……赤くて恥ずかしいし……俺もシャールみたいな部分鎧がいいなー。それも、鉄色とかの地味~なヤツ」
「そんな事言ってると、その内本当に大怪我しますよ?」
「……ド正論で責めんといてー……」
分かってる。俺が言っているのはただの我が儘だ。
その我が儘で泣く羽目になるかもしれない事も分かってる。
それでもなー……
などと腕を組んでウンウン唸っていると、俺を見るシャールは妙に楽しそうな顔で苦笑していた。
「それでは、近い内に一緒に防具を見に行きますか?」
「あー、そうだな。俺が見ても良し悪しなんて分からないし、お願いしようか」
ホントに気が利く少女に軽く頭を下げると、彼女はニッコリと笑って頷く。
そして、軽やかな動きで身を翻した。
「さて、それでは、今日はあと一体くらいで終わりにしましょうか?」
「えー?まだやるの?」
「当然です。次も逃げたら、今度の稽古は厳しめにいきますからね?」
帰る気マンマンだったのに……と口を尖らせると、振り返ったシャールはすでに鬼教官の顔に戻っていた。
そこで俺は、ブーイングがてら思わず口を滑らせてしまう。
「鬼ぃー。縞パン」
「なんですか?そ……あっ!?」
「あ、やっべ」と思っても、もう遅い。
ハッとなってスカートを押さえるシャールの顔は見る見る真っ赤に染まっていった。
恥じらい……より、怒りが強い気がする……
「……パーウーロー……?」
「はい!異議あり!そんな恰好で木の上飛び回るシャールさんにも非はあると思います!これは事故!そう!事故だと思います!」
俺を睨みつけてくるシャールに、挙手して全力で抗議する!
が、シャールさんは怖い笑顔を作って剣に手を掛けていた……
「……予定を変更して実戦形式の稽古といきましょう……大丈夫、大怪我はさせませんから……大怪我しても、それは事故です……」
「待ってっ!シャールさん!超怖いんですけどっ!?」
「ヘルプッ!」の意味を含んだ俺の悲鳴は、誰にも届かず、深い森の中に吸い込まれていった。
……この後、俺はよーく思い知る事になる……
シャールさんと比べたら、あのワイルドウルフなんて子犬だわ……
シャールさんより怖い魔獣なんて多分おらんわ……
髪をいじりながらモジモジするアイシェの発言に、ついつい『渇いた』笑いが漏れる。
『乾く』と『渇く』の違いは、その度合いの違いだそうです。
「少し動いて喉が乾いた」「砂漠を彷徨って喉が渇いた」
こんな使い方でしょうかね?
まぁ『渇いた笑い』という言葉はありません。
正解は『乾いた笑い』です。
はい、加藤 宣明さん、正解でーす。
まぁよく言葉を知ってますこと。
腹筋しますた。
今回は誤字であり設定ミスでもあり。
読み返しやがれください(笑)




